第20話 ダルウィーシュ&前園 デビュー前の喧騒
ロサンゼルス・ドジャースは公式Twitter、およびプレスリリースを通じて、盛大な声明を発表した。
【ロースター・ムーブ:ドジャースは、マイナーAAA所属の鳳陽斗(Haruto Ohtori)投手/外野手とメジャーリーグ契約(40人枠入り)を締結した】
その日の朝、ドジャー・スタジアムのフロントオフィスを訪れた陽斗と代理人のマイクは、契約書にサインを交わす。
AAAでの月給わずか数千ドルというマイナー契約に終止符が打たれた瞬間だった。これにより彼は正式にメジャーリーグ最低保障年俸『53万5000ドル』(約6000万円)を受け取る権利を得たのだ。ただし残りシーズンは約30日しかなく、実際の支払いは日割りとなる。それでも真の〝メジャーリーガー〟としての身分が確約されたことに変わりはなかった。アンバサダー契約を結んでいるエレンたちに、良い報告ができる。
その日の午後。遠征へ出発する前のホームクラブハウスに姿を現した陽斗を、選手たちは口笛と大歓声で迎え入れた。
「よお、ずいぶん遅かったじゃねえか、ハルト! もう今年は来ないんじゃねえかってヒヤヒヤしたぜ!」
そう言って肩にタックルしてきたのは、数ヶ月前に見送ったコディ・ベリンジャーだった。すっかりチームの中軸に定着し、新人王街道を爆走中の兄貴分の笑顔がそこにある。
「首脳陣がなかなか許可を下ろしてくれなくて。これでも必死にマイナーで課題をこなしていたんですよ。」
前園やコーリー・シーガーらが次々と集まり、「いよいよあのイカれたボールがここで見られるんだな」と歓迎のタッチを交わす。
と、その喧騒の奥から、日本人として最も実績を持つ大柄な長身の投手が、穏やかで人懐っこい笑みを浮かべて近づいてきた。
「おお……来たなスーパースター!初めまして、陽斗くん。ケンタからもよう聞いとるし、映像もめっちゃ見てるで~。それにしても……背は同じくらいやけど、分厚すぎん?いわば学年でいうたら高2の秋やろ?俺ひょろひょろやったで自分くらいの時。どうやってデカしたんや?」
この年の夏、テキサス・レンジャーズからトレードで世界一を狙うドジャースに合流したダルウィーシュ有(Yu Darwish)からの挨拶だった。日本を代表するメジャーのエース格を前に、陽斗は背筋をピンと伸ばし、深く頭を下げた。
「スーパースターだなんていやそんな……。ダルウィーシュさん……お会いできて光栄です。鳳陽斗です。先輩方の邪魔にならないよう、必死に自分の仕事をさせてもらいます」
「おお~?なんや謙遜が中途半端とちゃうか?半分くらいはスーパースター自負しとるんかぁ?まだデビュー前やぞ~。」
先輩のからかいにも真っ直ぐ目を見て答える陽斗。
「……いえ、自負というわけではありません。」
陽斗は微かに眉をひそめ、至って大真面目なポーカーフェイスのまま、自分なりの素直な自己分析を口にした。
「……AAAでの自分の打率.368、OPS1.230、そして防御率0.93という数字から客観的に試算すれば、マイナーの選手としては上位1%未満のパフォーマンスであることは事実だと思います。ただ、MLBでのアウト取得数、および安打数は現時点で完全にゼロですので、自分をスターと定義するには数字上の実績が完全に不足していますので……スターうんぬんはこれから次第という事で……。」
――静寂。
数秒の後、ドジャースのクラブハウスにダルウィーシュの爆笑が轟いた。
「ぶははははっ! おいおい、マジかよハルト! 数字で言い返してくるんかい! なんやねんそのデータキャラみたいな返し! 眼鏡もかけてないのに! 噂には聞いてたけど、ホンマにお前マシーンやんけ!」
お腹を抱えて笑うダルウィーシュの横から、前園が待ってましたと言わんばかりに顔を突っ込んでくる。
「ね!? 言ったでしょダルさん! こいつ、こういう可愛げのない理屈っぽいところがあるんですよ! 普通は『いえいえ、滅相もないです!』って慌てて謙遜する所ですよね!」
「前園さん、事実にない過度な謙遜は、自身のコンディション評価およびアナリティクスに対する不誠実にあたりますよ。」
「う~わ出た出た! ほら見てくださいダルさん、先輩を煽るようなこの澄ました顔!」
「いや~、ええわぁハルトくん!てかさっきから何で標準語やねん!自分京都やろ!」
「……母が京都で教職に就いているので、幼少期から標準語と英語とスペイン語と正しい敬語を叩き込まれたのが理由の一つですよ。」
陽斗は至って真面目な顔でそう答えると、ふっと一瞬だけ間を置いた。そして、どこまでも冷徹なポーカーフェイスのまま言葉を付け足した。
「……それと、僕がこの場で下手に京都弁を使うと、前園さんに対する〝煽りの出力〟が無駄に3割増しになると分析しているからです。」
「ぶっ……はははははっ! 煽りの出力ってなんやねん! ほんまに計算して喋っとんのか自分!」
ダルウィーシュが腹を抱えて大爆笑し、クラブハウスの天井に笑い声を響かせる。
一方、ターゲットにされた前園は、あ然とした後に笑いながら陽斗を指さす。
「ほらー!! やっぱりコイツ煽ってるじゃないですか!! 確信犯ですよコイツ! ダルさん、騙されたらダメですって!」
「いや~おもろい、ハルトくん合格やわ! その冷静な顔で毒吐く感じ、めちゃくちゃいいと思うで!」
先輩たちの爆笑と大騒ぎを前にしても、陽斗はただ静かに「……俺は事実を述べたまでですけどね。」と言いたげに肩をすくめてみせるのだった。
ダルウィーシュは満足そうに何度も頷くと、バシバシと陽斗の分厚い肩を叩く。その眼差しには、からかいの中にも若い規格外の怪物に対する大きな期待と温かみが溢れている。
「でもまあ、それだけの数字叩き出して上がってきたんやから、堂々としとったらええねん。メジャーのバッターもピッチャーも化け物揃いやけど、自分なら絶対にやれるわ。トレーニングでも配球でも、困ったことあったらいつでも聞きに来てな。飯も美味いとこ連れてったるから」
「……はい。ありがとうございます、ダルウィーシュさん。頼りにさせていただきます。」
そう言って、陽斗は深く頭を下げた。
普段はデータとトレーニングと自分自身だけを信じる向上心の塊のような17歳だったが、大先輩からの惜しみないリスペクトと懐の深い歓迎に、胸の奥が熱くなるのを確かに感じていたのだった。




