第19話 セプテンバー・コールアップ
8月下旬。
ロサンゼルス、ドジャー・スタジアムの奥深くに位置するフロントオフィス。
普段は冷徹に数字と編成を組み上げる中枢部──通称〝War Room〟に、球団中枢が集結していた。
分厚いデスクの前に揃っていたのは、アンドリュー・フリードマン編成本部長、ファーハン・ザイディGM、そしてデーブ・ロバーツ監督の三人。
彼らの視線の先に立っていたのは、ドジャースが誇る最高峰のメディカルチームを率いるチーフ・メディカル・ディレクターだった。彼は数日にわたる陽斗の精密検査の結果をまとめ上げた決定的な報告書を手に、力強く頷く。
「今朝方、全ての測定データが出揃いました。結論から申し上げます。」
静まり返ったオフィスに、メディカル・ディレクターのクリアな声が響いた。
「鳳陽斗、17歳4ヶ月の身体的成長に関する最終報告です。先月の測定時から身長の伸びは完全に停止し、現在6フィート5インチ1/4(約196cm)で安定しています。最新のX線画像でも、大腿骨および上腕骨の骨端線が完全に閉鎖していることが確認されました。つまり、骨の長軸成長は終了しています。また、各関節靭帯の硬化や大筋肉群によるフレームの完成などから、成長期特有のティーンエイジャーが陥りやすい深刻な『自己破壊・リスクフェーズ』を、完全に脱却したと診断いたします」
「……ということは、ドクター」
ロバーツ監督が腕を組み、ゴクリと生唾を飲み込む。
「もうストッパーは必要ない。関節や靭帯の土台は、ハルト自身の全出力に耐えうる状態になったと?」
「ええ、組織としての土台は完成しています」
ドクターは力強く肯定したが、手元のカルテをゆっくりとめくり、表情を一層引き締めた。
「ですが、それはあくまで身体の成長が完了した事への確認に過ぎません。私はそれとは別に、メジャーでの本格運用に向けて、一つだけ進言させていただきたい点があります。」
「進言?」
「はい。いくら強靭な大人の土台が完成したとはいえ、彼が出す『105マイル超(169km/h)』の球速は、人類の生体力学における限界のスレスレです。どれだけ強力なプロテクトギアを装着していようと、これを1試合を通じて常時出力し続ければ、いずれは蓄積疲労を起こし、腕は間違いなく破綻します。」
メディカル・ディレクターはフリードマン本部長の目を真っ直ぐに見据えた。
「そこで、昇格後の運用において〝ダブル・キャップ(二重制限)〟の厳格な設定を提案します。一つは当然ながら、段階的にイニングを増やすための『試合ごとの総球数制限』。そしてもう一つが最も重要です。『105mphを超える、リミッターを解除した球を投じる球数』自体にも明確な制限を設けてください。」
「……なるほど。MAX出力を許す球数も厳格に決めるのか。」
ザイディGMが興味深そうに顎を撫でた。
「はい。常に全力で105マイルを投げ込ませるのではなく、AAAで身につけた出力を落とした省エネ投球と高いコマンド力をベースに据え、三振がどうしても必要な場面だけで、〝リミッター解除〟を許す。この上限突破の回数管理こそが、彼を10年、15年と長期エースとして活躍させるための、最重要の管理策になると考えています。」
「非常に理にかなっているし、実に賢明な運用案だ。ここぞという場面でのみ全力を解き放つなら、それは絶望的な投球術として、メジャーの強打者たちを蹂躙できるだろうな。」
フリードマン本部長が即座に同意した。AAAでの驚異的な防御率0点台と与四球の少なさが示すように、100マイル前後の抑え気味の投球だけでも十分に完成されている。
「……ドクターの言う通りにしよう」
ザイディGMが静かに告げ、キーボードを軽く叩いた。
その瞬間、モニターに表示されたHaruto Ohtoriのステータスが、ブラックから鮮やかなグリーンへ切り替わった。
「ロサンゼルスの怪物……いや、これからはMLBの至宝だ。退屈なマイナーに閉じ込めておくのは今日まで。あと数日で9月になる。セプテンバー・コールアップで、奴をロサンゼルスに呼ぶぞ。」
三人の首脳陣の間に、凶悪なまでの野心と興奮が入り混じった熱波が満ちていた。
数日後――。
オクラホマシティ・ドジャースのクラブハウスで、次戦に向けたミーティングとビデオ確認を終えた陽斗は、マイナー監督から直接「オフィスに来い」と呼ばれ監督室へ。
「失礼致します……今日のメニューか何かで、ミスでもありましたか?」
怪訝な顔をしてオフィスに足を踏み入れた陽斗に、3Aの監督がニヤニヤと笑いながら近づいてきて、その分厚い大胸筋をドンッと軽く小突く。
「ミスだと? ああ、そうだなハルト。お前は少しばかり……やりすぎた。手加減付きの分際で、このリーグの有望株どもの自信をバキバキにへし折り続けるからな。とうとうロスのお偉方から、『そんな狭い遊び場で怪物をいつまで退屈させておくつもりだ。早く最高峰のステージへ連れてこい』って焦り出したんだよ。今すぐ彼を西海岸へ寄こせと猛烈な催促の嵐で、こっちは手続きにてんてこ舞いさ。」
その言葉に、陽斗はふっと冷ややかなため息をこぼし、片方の眉だけを軽く持ち上げる。
「……それは少々、理不尽な物言いですね」
「うん?」
「そもそも、俺をこのマイナーに一切の期限を設けずに無期限隔離するよう、あなた方に厳命したのは他でもない、そのLAの首脳陣たちのはずですよ?」
陽斗のポーカーフェイスから放たれた、的を射た静かな皮肉。それを聞いて、監督はたまらないといった様子で腹の底から愉快そうに声を上げて笑った。
「ハッハッハッ! 違いない! まったくお前って奴は、本当に可愛気のない17歳だな!」
ひとしきり笑った後、監督は姿勢を正し、今度は真剣な指導者の瞳で陽斗を真っ直ぐに見据えた。
「明日の試合の準備はもうしなくていい。いや、これ以上ここでお前に球を投げさせたら、俺が本気でロバーツ監督に殺されるからな」
すべてを察した陽斗は、決定的なその一言を受け止めるべく、静かに、だが熱を帯びた瞳で監督に視線を送る。
「……いよいよ、その時が来たんですね。」
「ああ、荷物をまとめろ、ハルト! 9月の特例〝セプテンバー・コールアップ〟で、ロースター拡張枠に背番号『29』が追加されたそうだ。お前の片道切符の行き先はカリフォルニア……世界一最高で、美しい『ドジャー・スタジアム』だ!」
その言葉に、陽斗の胸の奥底で、長らく固く封じ込められていた巨大な感情が、熱を帯びて一気に膨れ上がる。
遠い日本から覚悟を決めて海を渡り、厳しい環境に耐え、己の出力を殺しながら孤独にスタッツを積み上げ続けた。母からの変わらぬ応援。そして14歳の少女がデータに込めた絶対の信奉と、革新のプロテクトギア。
そのすべてが一本の線となって繋がり、光の差し込むメジャーへの重い扉がようやく開かれたのだ。
「――っ……はい……!!」
普段は冷静沈着でマシンとも揶揄される陽斗の喉から、感情が滲んだくぐもった声が漏れた。その瞳には、抑えきれない激しい炎と、静かな光が宿っている。
リミッター解除の権利を手にした規格外の怪物が、世界を震撼させるために
——今、ロスの大地に降り立つ。




