第1話 アリゾナ州グレンデール
2016年3月の京都。
鴨川沿いの桜がうっすらと綻び始めた季節、鳳陽斗は烏丸北中学校卒業式を終えた。
「鳳くん……あの…もしよかったら、一緒に写真撮って……もらえませんか?」
教室が涙と別れを惜しむ歓声で包まれる中、少し離れた廊下で、顔を真っ赤にした同級生の女子がもじもじと彼を呼び止めていた。
「……え? あ、ああ……俺でよければ……。」
肩をくっつける……ことはなく適切な距離感を保ってツーショット撮影。
「あ、ありがとうございます……! アメリカ……行っちゃうって聞いたんですけど、応援してます!」
「ありがとう。じゃあ、これで……。」
逃げるように踵を返し、足早に校門へ向かう。内心では焦っていた。やはり女の子の好意は、どう対応していいのかわからない。ビデオゲームの恋愛シュミレーションのようにはっきりとした三択の選択肢が出るわけでもなく、気の利いた言葉一つすら出てこない自分に少し辟易した。
***
3月末、いよいよ陽斗はアメリカ、アリゾナ州フェニックス・スカイハーバー国際空港へ降り立った。最高気温は27℃、湿度は22%、汗ばむ陽気だ。高速バス利用し2時間程でキャメルバック・ランチに到着。
日本時代に接触があった代理人を通じ、練習生として参加する事となった陽斗。正式な契約は満16歳になって、なおかつ契約解禁日の7/2になるまでまだ結べないが、ここアリゾナ州グレンデールのキャメルバック・ランチでマイナーリーグキャンプ、その後の延長スプリングトレーニングに参加させて貰えることとなった。
(多いな……)
陽斗と同世代の16歳前後でドミニカなどのアカデミーから上がってきた荒削りな原石たち。パワー5カンファレンスに所属する大学出身の巨漢エリートや、怪我で浪人して這い上がろうとしている20代半ばのベテランまで。
年齢経歴人種、文字通りバラバラな人種のるつぼ。
しかし、そんな中でも陽斗は明らかに浮いていた。
(まあ、この場にいる〝中卒のイエロー〟は俺一人だけだからな……)
ロッカールームで荷物を解き、愛用のグラブとバットを取り出した時の事だ。
「Oye, mira a ese niño. ¿Qué hace un asiático aquí?」
おい、あのガキ見ろよ。アジア人がここで何してんだ?
「Es grande, pero tiene una cara de aspecto torpe.」
身体はデカいが鈍くさそうな顔した奴だな…
「Jaja, de todos modos, seguro que solo sabe decir 'Konnichiwa'.」
ハッ、どうせ「コンニチワ」しか言えねえんだろ
アジア人=スペイン語なんて理解できるわけがない。そういう侮りが完全に透けて見えていた。彼らは一切声を落とすことなく、あからさまに陽斗の背中を見て嘲笑している。
陽斗は荷物を整理し終わると、ゆっくりと振り返った。笑い合っていた二人の大柄な黒人とヒスパニック系の選手達に、少しだけ面倒くさそうな視線を送る。
「Te escucho, amigos」
(丸聞こえだよ。お二人さん。)
二人の男は驚いた顔をする。
陽斗は巻き舌でさらにこう続ける。
「¿Creísteis que no podía entender español solo porque soy asiático? Soy Haruto y soy lanzador. Lanzo mucho más rápido que vosotros... probablemente.」
俺がアジア人の子供だからってスペイン語がわからないとでも?俺は陽斗、ピッチャーをやっている。君たち二人よりずっと速い球を投げられるよ……たぶんね
その瞬間、ロッカールームの空気が変わった。
10代のドミニカ出身らしき男は口を開け、隣にいたパナマ出身のキャッチャーは目を皿のようにして固まっている。
一瞬の静寂
そして二人の後ろにいたベネズエラ出身のピッチャーが吹き出した。
「 お前ら、完全に聞かれてたじゃねえか! おい嘘だろ!こいつスパニッシュ喋りやがったぞ!」
「あ、いや……悪かった、ハルト! 驚いた、どこでそんなスペイン語を……」
ドミニカの若者も慌てたように笑顔を作り握手を求める。陽斗のどこか堂々とした態度は、一瞬で彼らの中にある謎のアジア人への警戒と偏見を拭い去っていた。
「気にしなくていいよ。まあ、よろしく頼むよ。」
陽斗はそれだけを言い残し、あっさりとグラウンドへ向かっていった。
陽斗は深呼吸しストレッチ
(こういう裏表のないストレートな環境の方が、日本の高校野球より何倍も俺には合っていそうだ。)
甲子園を目指さず直接アメリカに乗り込んだ15歳の練習生、女の子の機嫌を取るのも統率を取り周囲を引っ張るのも苦手だが、自身をからかってきた陽気な奴らを言葉一つで黙らせる事なら容易いかも知れない。何よりここには、球拾いも声出しもトスの相手もせず存分に野球に打ち込める環境がある。
まだ初日も経過していない。だが陽斗は自身が思っていたよりもずっと早く、この生活に慣れそうな予感がしたのだった。




