第17話 エレン②
「――さあ、立ち話もなんだし、奥のテーブルへ行きましょう。今日はこのフロアを完全に貸し切っているから、誰の目も気にする必要はないわよ。」
エリザに案内され、三人はプライベート・ダイニングへと歩を進めた。
巨大な窓ガラスの向こうには、西の空に沈みゆく太陽と、深いオレンジ色に染まり始めたオクラホマシティの広大な平原、そしてゆっくりと灯り始める街の夜景が、360度のパノラマで広がっていた。
テーブルには、陽斗の17歳の誕生日を祝うコース料理が美しく並べられている。野球にすべてを捧げてきた陽斗にとって、こうした会食の場は少し苦手意識があった。しかし、隣に座るエレンが、最近話題となっている新しいセイバーメトリクス指標や、データ派のMLB選手が使っているという最新の投球分析ツールについて熱弁を振るうおかげで、退屈することは一切なかった。
食事がひと段落し、デザートのプレートが運ばれてきたところで、エリザがフォークを静かに置き表情を一変させる。真剣なビジネスウーマンの鋭い瞳がそこにあった。
「さて……。LAから1200マイルも飛んできたのは、もちろんあなたの誕生日を直接祝うためでもあるけれど、それだけじゃないの。早急に確認してほしい大事なビジネスがあると言ったわよね?」
エリザの合図を受け、黒服のスタッフが頑丈な黒のペリカンケースをうやうやしくテーブルの脇に運ぶ。
カチリ、カチリと金属製のラッチが外される音が響き、ケースが慎重に開かれる。
中に収められていたのは――鈍い光沢を放つ、真新しい漆黒のスパイクシューズ。そしてもう一つ、生体力学に基づいた複雑な幾何学模様のラインが刻まれた、漆黒の一体型アームギア。
右肩から大胸筋、そして右腕全体を広く覆う設計で、筋肉の連動と投球時のトルク伝達を最適化するための精密パターンが施されてあり、第二の皮膚のように滑らかに密着する予感がした。
「これは……?」
陽斗が思わず身を乗り出すと、今度はエレンが背筋を伸ばし、鋭い視線を向けた。
「『Ellen Sports』と、『Caltech(カリフォルニア工科大学)』のバイオメカニクス研究所が共同開発した最新のプロトタイプ・ギアよ。……ハルト、あなた専用の特注シグネチャーモデル。」
「俺専用……?」
「ええ。侍ジャパン戦で見せた105.6マイルの剛速球、そして打席での115マイルを超えるハードヒット。ドジャース首脳陣があなたにストップをかけたくなるのも当然ね!今のあなたの骨格で、あの莫大なエネルギーを毎週出し続けていたら、肘も肩も確実に限界を迎えてしまうわ。」
エレンはタブレットを取り出し、陽斗の投球フォームを3Dモデルで映し出した。
「このスパイクは、投げたときの強い反動を地面で上手く分散・吸収する特殊インソールを入れているわ。それによって、無駄なエネルギーロスと足首の負担を極力減らせるの。そして、もうひとつ……これが今回の核よ」
エレンは漆黒の片腕一体型アームギアを指差した。
「名称は『Neutrino Arm』(ニュートリノアーム)。既存のアームサポーターとは全く違うわ。これにはCaltechの航空宇宙工学から転用された『非ニュートン流体ナノチューブ繊維』が編み込まれているの。通常時はただのサポーターのように柔らかく、ほとんど着けている感覚がないほど自然に伸び縮みする。だけど――」
エレンは声を熱くし、タブレットの画面をぐっと拡大する。そこには、陽斗の肘から肩にかけての負荷を示す赤い危険域が、鮮やかに表示されていた。
「105マイルを投げ込むリリースの瞬間からフォロースルーにかけて、関節に致死的な牽引力が加わるゼロコンマ数秒だけ――繊維が瞬時に超硬化・収縮し、強靭な人工筋肉・人工靭帯へと変化するの。一切のパフォーマンスを落とさず、怪我の境界線で自動的に衝撃をブロックする。生体動作と完璧にシンクロする究極のギアよ。」
「……出力も落とさず、負荷のピーク時だけ自動でプロテクトをかける……?」
陽斗は驚愕する。彼自身、全力投球直後に右腕の筋繊維と靭帯が軋む感覚を知っていた。テーピングでは球の感覚が狂うが、これなら必要な時だけ勝手に靭帯の補助をしてくれる。
エリザが熱を帯びながらも微笑み、言葉を継ぐ。
「ドジャースの首脳陣は、あなたの身体が完成するまでメジャーに昇格させないとインタビューで語っていた……それは正しい判断。でも私たちは、ただ出力を抑えるだけじゃなく、今後骨格が完成して、全力を出す時が来ても故障しにくい完璧なプロテクトを提供するわ。これを使ってメジャー昇格への課題を安全に完走し、完全な二刀流としてメジャーに立たせる。それがEllen Sportsからの答えよ!明日の練習からすぐにテストして、フィードバックをちょうだい!」
テーブルの上にある二つのギアは、ただの道具などではない。
それは14歳の少女が集めたデータを、エリザ率いる企業の資本とCaltechの頭脳を総動員して作り上げた、陽斗への投資と信頼の結晶だった。
「……凄い。」
陽斗はニュートリノとスパイクを手に取り、その異次元の軽さと手に吸い付くような素材の感触に息を呑む。
そしてエレンの瞳を真っ直ぐに見据た。彼女はわずかに緊張した面持ちで、陽斗の評価を待っている。
「手にしただけで、エレンさんの分析とこのギアに込められた情熱が伝わってくる。……ありがとう、エレンさん。それにミセス・ミラー。」
「……!」
陽斗に深く静かな声で感謝され、エレンは嬉しさを堪えきれず、ぱっと顔を輝かせた。
「このギアがメジャーのマウンドで旋風を巻き起こす日を、全米に見せつけてやりましょう! それに……エレンと呼び捨てでいいわよ。私の方が年下だし……。そ、それにっ! もうあなたとは友達なんだから、もっと気軽にね!」
「ああ……わかった、エレン。必ず活躍を約束する!」
眼下に広がるオクラホマの夜景を背に、17歳の若き怪物と、14歳のセイバーメトリクスマニアの少女。
データと信念で結ばれた二人が、メジャーの歴史を塗り替えるための長い闘いの火蓋がこの夜、静かに切って落とされた。




