第11話 VS 侍ジャパン
背番号29を背負い、鳳陽斗はゆっくりとキャメルバックランチ・スタジアムのマウンドへ向かった。
メインスタジアムは内野の固定座席3000席と外野芝生エリア10000人、13000人を収容することができる。この日、チケットはソールドアウト。日本代表と陽斗見たさに日本人らしき観客も今日はよく見かける。
一歩、また一歩。グラウンドを踏みしめるその足取りに、浮足立ったところは微塵もない。16歳の若武者には不釣り合いなほどの、泰然自若とした空気を纏っていた。
一塁側の侍ジャパンベンチ。指揮を執る中久保裕紀監督は、腕を組みながらその姿に目を奪われていた。
(……なんて落ち着きだ。昨季シーズンやスプリングトレーニングの活躍は漏れ聞いていたが……あの若さでMLB軍団をバックに立って全く臆していない。まるで、長年メジャーで戦い抜いてきたエースのような完全な風格を完成させている……。)
ドジャース側が格上へのテスト、としてこのマウンドに立たせているわけではない事を感じ取る中久保監督。
(……間違いない。あの少年は本気で侍ジャパンを叩きのめしに来ている。主力と当落線上のマイナー選手のミックスオーダー、先発もオープン戦活躍してこそいるが、まだ話題先行の鳳、気持ちよく大量得点で準決勝のアメリカ戦に弾みをつけようと思っていた……が、そんな甘い相手では全くないようだ。)
中久保監督は、腕組みをしたままわずかに眉を寄せた。16歳とは思えぬ、静かなる威圧感。グラウンドを踏む足取り一つ取っても、ただの少年ではない。何より、その目——。相手を〝制圧する標的〟としてしか見ていない冷厳な眼差しが、遠目にもはっきりと感じ取れた。
「プレイボールッ!」
球審の高らかな声が響く。陽斗はロジンバッグを置くと、ゆっくりとマウンドのプレートに足を乗せた。そのまま深く息を吸い、投球動作に入る。
侍ジャパンのリードオフマン、日本球界が誇るトリプルスリーの申し子・1番の山内が右打席で構えて待つ。だがその初球、いきなり目を見張ることになった。
150km/h台の直球を想定してタイミングを合わせ構えていた山内の視界で、陽斗の初球はふわっと浮き上がり、落差鋭くミットに収まったのだ。
「ストラーイク!!」
球速は64mph(約102km/h)。弧を描くスローカーブの前に完全に意表を突かれた格好、続く97マイルのフォーシームはカットしたが、最後も低めに決まったカーブにバットが空を切る。山内はまさかの三球三振でベンチへと引き下がった。
続く2番は世界最高峰の二塁手と称される菊田。高いバットコントロールと奇表を突く俊敏な足、そしてゴールデングラブ常連の強肩堅守。
菊田は陽斗のリズムを狂わせようと、初球から絶妙なモーションでセーフティバントの構えを見せた。しかし——。
カンッ!!
高めに釣り上がるような97マイルのフォーシーム。予想を遥かに上回る圧倒的な球威にボールの下半分を叩いてしまった。あっけなく真上に打ち上げられた打球を、キャッチャーのグランダルが悠々とキャッチする。
3番は侍ジャパンのクラッチヒッター・坂上。
何とかバットに当てて出塁を——その思いでコンパクトにスイングした坂上だったが、インコースへ投げ込まれた自己最速タイの98マイル(約157.7km/h)のフォーシームに差し込まれる。
――バキィッ!
(チッ…!)
不快な痺れが両手を襲う。坂上が愛用するしなりと粘りに優れた硬いメイプルバットの根元が、鈍い音とともに見事にへし折られた。無様に弾き返された打球は、陽斗の正面左へと力なく転がるボテボテのピッチャーゴロ。一塁へ緩いボールが送られ、スリーアウトチェンジが宣告された。
陽斗はグラブをポンと叩くと、マウンドの左側にコロコロと転がっていた坂上の折れたバットの先端側を静かに拾い上げた。
一塁へ走る途中でアウトを確信して足を緩めていた坂上は、苦笑いを浮かべながら小走りでマウンドの主の元へと歩み寄る。
「おー、ありがとうな、陽斗くん。」
木片をスッと差し出した16歳で194㎝の青年からバットの半分を受け取ると、坂上はどこか呆れたような、しかし心の底からの感嘆を隠しきれない顔で気さくに声をかけた。
「……自分、ホンマに16歳か? むちゃくちゃえげつない真っ直ぐ(フォーシーム)放るやんけ。こんなんアカンわ、大切な商売道具1本やられたし、新品のバット代請求したろかな~。」
日本球界のスーパースター特有の、関西弁まじりのフランクな挨拶。威圧感ではなく、純粋に若き才能への称賛を含んだ声掛けだ。
陽斗は憧れの一人のスーパースターでも気圧されることなく、帽子を取って軽く会釈する。
「……恐れ入ります。バットの請求書は……俺に思い切り投げろとエールをくれた前園さんのロッカーの方へお願いします。」
「お、なんや言うやんけ~。冗談も言える余裕あるとか大した奴やな、ホンマ……ケンタには後でちゃんと先輩を立てるよう言っとかなアカンな!」
「素晴らしい先輩たちに思い切り投げるのが楽しくて仕方ないので……。つい……。」
少し笑みを浮かべ三塁側のドジャースベンチへと引き揚げていく陽斗の後ろ姿。
それを見つめる坂上の眼光は、会話で見せていた気のいい兄貴分のような笑みから一変、ヒリつくようなトッププロのそれへと切り替わっていた。
一塁側の侍ジャパンのベンチへ引き上げてきた坂上は、真っ二つになったバットをケースの横へ放り込み、プロテクターを外しならが小さく息を吐いた。
(……あいつ、想像以上にヤバいな。真っ直ぐに球威があるのは見て分かってたが、あのエグいカーブに、おそらくスライダーも。あれだけストライクゾーンいっぱいに決めてこられたら的の絞りようがない。)
グラブを手に取りながら、人中に握り拳を当てて思考を巡らせる坂上。
国際大会では、初見で手を出せない好投手と対峙した時、とにかく球を待って(待球作戦)、四球で歩いて崩れるのを待つ。
もしくは図体デカく、ちょっとどんくさそうな投手だとセーフティバントの構えだけ見せて揺さぶり走らせ、疲れさせたりイラつかせたりという定石がある。しかし……。
(あの落ち着きとリリースポイントの安定感……あれはどう見たって、ジックリ待球したところで勝手にフォアボール出して自滅してくれるようなタマちゃうぞ……。それに野手もやってるからかフィールディングも上手そうや。……というか簡単にバントさせてくれそうな球威とちゃうな……。)
ならばどうする。このまま初見の手探りでフライやゴロを打ち上げ続ければ、相手にペースに飲まれたままズルズルと主導権を握られるだけだ。
(……フッ、今考えてもしゃあないな。切り替えんと。)
坂上は気持ちをいったん切り替え、グラブを装着し守備位置につくのだった。
――――
無得点に終わった初回の攻撃を終え、2回の攻撃に向けて準備を進める侍ジャパンのベンチ。
張り詰めた空気の中、ヘッドコーチの奈良田が円陣の中心で打撃陣を集め、かつてないほど険しい表情で作戦を伝達していた。
「フルスイング(大振り)で待ってたら、あの真っ直ぐと動く球のコンビネーションには絶対に対応しきれん。このあとの準決勝の本番に引きずってバッティングフォームが崩れる恐れもある。緩いカーブは思い切って捨てていい。全員、バットを指二本分短く持て。強振せずにコンパクトに食らいついていかんと、あいつの球は攻略できんぞ。どんな形でもいいから、とにかくランナーを出していくぞ。」
「……はい、わかってますよ。相当厄介そうですね、あいつは。」
バッティンググローブのテープをギリリと強く締め直しながら、次打者である4番の筒鳥が渋い顔で頷いた。
勿論、これは本戦ではない。大会へ向けた調整を兼ねたMLB球団とのエキシビションゲームにすぎないという見方もあるだろう。だが、ドジャース側の錚々《そうそう》たる陣容と、今まさにあのマウンドでこちらを見下ろしている16歳の怪物を前にして、〝たかが調整〟などと悠長に構えていられる余裕はどこにもなかった。
筒鳥に続いて打席を待つ、パ・リーグのスターでファイターズ不動の4番を張る血の気の多い中武。そしてこの代表チームで唯一の現役メジャーリーガーとして招集されているベテランの青野。日本を背負う彼らの瞳にも、刺すような鋭い光が宿っていた。
(相手がドジャース自慢のトッププロスペクトだか何だか知らねえが……俺たち日本代表が、束になって1点も取れないなんて有り得ねえんだよ……!)
世界一の奪還を掲げる彼らにとって、メジャーリーガーですらない16歳に手玉に取られることなどプライドが許さない。
「気合い入れろ!! 絶対1点取るぞ!! 行くぞ!!」
「しゃあっ!! っおぃ!!」
円陣を組んだ一塁側ベンチ前で、声出し担当の咆哮が響き渡った。
並々ならぬ熱気と気迫をまとった掛け声が、グラウンドに轟く。プライドと意地を懸けた日本の侍たちは、完全に気合いを入れ直し、決死の覚悟で打席へと向かっていった。
――――――――だが。
その必死の反撃も、最強と謳われた彼らのプライドも、
直後に完全に肩が温まり、全力全開となった陽斗の圧倒的な剛球の前には無力だった。
結論から言えば、この日、侍ジャパンが陽斗のボールに〝バットが触れた〟のは——
1回表、坂上がバットをへし折られて転がした、あのピッチャーゴロが最後であった。




