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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第2章 巡り合うには遠すぎて
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第46話 ティアの能力

 ティアが王宮で暮らし始めて、しばらく経った。


 身元については、まだ何も分かっていない。


 本人の証言では、帝国内戦で没落した高位貴族家の生き残り。


 しかし、それを証明する記録はまだ見つかっていなかった。


 俺はグラフィルに調査を命じている。


 帝国内戦で没落した伯爵家以上の貴族を一つずつ調べ、そこからティアに該当する者を探す。


 だが、グラフィル曰く、それにはかなりの時間がかかるらしい。


 その間、ティアは王宮で保護することになった。


 そして、サナと年齢が近いことから、今ではすっかり妹の遊び相手として定着している。


「お兄様!」


 その日も、サナに手を引かれながら中央宮殿の回廊を歩いていた。


「どこへ行くんですか?」


「父上のところだ。少し用事がある」


「じゃあ、私も行きます!」


「お前はついてきても暇だろ」


「ティアお姉様が一緒なら暇じゃありません!」


「私ですか?」


 ティアが苦笑する。


「サナ様、本当に私のこと気に入っていますね」


「だって楽しいですから!」


 その時だった。


「まあ」


 前方から、優雅な声が聞こえた。


 俺は足を止める。


 侍女と護衛を従えた女性が、こちらへ歩いてくる。


 第二王妃ヴィクトリア。


「レノウィウス殿下」


「ヴィクトリア様」


 互いに形式的な挨拶を交わす。


 ヴィクトリアの視線が、俺の隣へ移る。


 まずサナ。


 次にティア。


 その視線が、ほんの僅かに止まった。


「こちらの方は?」


「ティアです」


 俺が答える。


「戦場の近くで盗賊に襲われていたところを保護しました」


「そうでしたね」


 ヴィクトリアは微笑む。


「帝国内戦で没落した高位貴族の家の生き残り、というお話でしたか」


「本人はそう話しています。身元については、まだ確認できていません」


「そう」


 ヴィクトリアは頷いた。


 そのままサナへ視線を移す。


「それにしても、サナともずいぶん親しくなったようですね」


「はい!」


 サナが嬉しそうに答える。


「ティアお姉様と一緒にいると楽しいんです!」


「それは結構なことです」


 ヴィクトリアは笑っている。


 だが、その笑顔の裏に何かあることは、俺にも分かった。


「ただ」


 ヴィクトリアが続ける。


「王宮というのは、多くの人間が出入りする場所ですから」


「……」


「身元が確認されていない方を、第一王女のすぐそばに置くというのは、少々慎重さを欠くようにも思えますね」


 直接的な非難ではない。


 だが、言っていることは分かる。


 俺が身元不明の少女を王宮へ置いたこと。


 そして、その少女をサナの近くに置いていること。


「ティアは保護対象です」


 俺は答えた。


「身元が分かるまで王宮で管理する。それだけです」


「ええ。殿下のお考えは分かっています」


 ヴィクトリアは穏やかな笑みを浮かべる。


「ただ、第一王女という立場もございますでしょう?」


「サナの安全を心配している、と?」


「母親として当然のことでしょう」


 なるほど。


 俺を直接責めるのではなく、サナの安全という正論を使っている。


 反論しにくい。


 その時。


「それでしたら」


 ティアが口を開いた。


「一つ、伺ってもよろしいでしょうか」


 俺は横目でティアを見る。


 ヴィクトリアも同じだった。


「何でしょう?」


「第二王妃様は、私がサナ様のおそばにいることそのものを危険だとお考えなのですか?」


「そこまでは申し上げていませんよ」


「では、具体的にどのような問題があるのでしょうか?」


 ティアの声は穏やかだった。


 挑発しているようには聞こえない。


 ただ、純粋に尋ねているようにしか見えない。


「身元の分からない者を置くことには、当然慎重になるべきでしょう?」


「はい」


 ティアは素直に頷く。


「私もそう思います」


「でしたら――」


「だからこそ、身元が確認できるまで王宮で保護していただいているのではないでしょうか」


「……」


 ヴィクトリアが一瞬だけ黙った。


「それに」


 ティアが続ける。


「私が危険だという具体的な理由があるのであれば、私は従います」


「王宮の規則に反するのであれば、退きます」


「ですが、危険だという根拠がないのであれば、私の存在そのものを問題にされるのは少し違うのではないでしょうか」


 論点が変わった。


 ヴィクトリアは「身元不明者を王女のそばに置く危険性」を話していた。


 ティアは、それを「具体的な危険性を示せるのか」という話に変えている。


 根拠がないなら、第二王妃の言葉はただの懸念に過ぎない。


 しかも。


「私はサナ様に招いていただいているだけです」


 ティアがサナを見る。


「私から無理に近づいたわけではありません」


「そうですね」


 サナが即答する。


「私がお願いしました!」


 ヴィクトリアの視線がサナへ向いた。


 そこでティアはさらに一歩踏み込んだ。


「サナ様が望んでくださっていることまで、私の出自だけを理由に制限する必要があるのでしょうか?」


「もちろん、安全を最優先にされるお気持ちは分かります」


「でしたら、私に必要な監督や規則をお命じください」


「そのうえで、問題がないのであれば――」


「サナ様との時間まで奪う必要はないと思います」


 誰も口を挟めなかった。


 ヴィクトリアはティアを見つめている。


 ティアもまた、静かに見返していた。


 決して目を逸らさない。


 だが、敵意も見せない。


 相手を追い詰めているのに、追い詰めているようには見えない。


「……なるほど」


 やがて、ヴィクトリアが小さく笑った。


「随分とよく考えて話されるのですね」


「申し訳ありません」


「いえ」


 ヴィクトリアは首を振る。


「謝る必要はありません」


 その声には、先ほどまでの柔らかさとは違うものが混じっていた。


「ただ、少し意外でした」


「何がでしょう?」


「帝国内戦で没落した高位貴族の生き残りだと伺っていましたので」


「この程度の受け答えくらいは、できます」


 ティアは微笑む。


「家が没落しても、教わったことまで失うわけではありませんから」


 それ以上、ヴィクトリアは何も言わなかった。


「では、失礼します」


「はい」


 ヴィクトリアは侍女たちを連れて、その場を離れていった。


 姿が見えなくなる。


 サナが大きく息を吐いた。


「……怖かったです」


「サナ」


「でも、ティアお姉様、すごいです!」


 サナがティアを見る。


「第二王妃様、何も言えなくなってました!」


「そんなつもりはありません」


「絶対そうです!」


 俺はティアを見る。


「お前」


「はい?」


「今の話、かなり上手かったな」


「そうですか?」


「ああ」


 ティアは少し首を傾げる。


「私は、聞かれたことに答えただけです」


「それで相手の論点まで動かしたんだ」


「……そういうつもりは」


「まあいい」


 俺は歩き出す。


「助かった」


 ティアは少し驚いたような顔をした。


「ありがとうございます」


 サナがティアの手を取る。


「ティアお姉様、もっとお話ししましょう!」


「サナ様、切り替えが早いですね」


「だって、もう怖い人はいませんから!」


 そんな二人の声を聞きながら、俺たちは回廊を進んでいった。


              ◆


 だが。


 その一部始終を見ていた者たちは、俺たちとは違う反応をしていた。


 中央宮殿の別の回廊。


 数人の文官と重臣が、今のやり取りについて話している。


「……あの少女」


「ええ」


「第二王妃の言葉に動じなかった」


「それだけではありません」


「論点の切り替えが早すぎる」


 一人の老文官が腕を組む。


「最初から、相手が何を問題にしているのか理解していた」


「だから、『危険だという具体的な根拠は何か』へ持っていった」


「そして、第一王女殿下の意思まで利用した」


「利用したというより、守る形に変えましたな」


「どちらにせよ、巧い」


 別の文官が低く呟く。


「十二歳の少女とは思えません」


「帝国内戦で没落した高位貴族家の出身という話でしたね」


「ええ」


「それだけの教育を受けられる家だったのでしょうか?」


「調べてみる必要がありますな」


 そこで、一人の重臣が言った。


「いや」


 全員がそちらを見る。


「家系だけではない」


「どういう意味です?」


「彼女自身を調べるのです」


「政治」


「外交」


「経済」


「軍事」


「どこまでの知識を持っているのか」


「そして――」


 一拍。


「何を隠しているのか」


 その言葉に、全員が黙った。


              ◆


 その日の午後。


 ティアについての調査が、王宮内の複数の部署で始まった。


 ただし、グラフィルによる正式な身元調査とは別のものだった。


 こちらは、彼女の知識と能力についての調査。


 日常の会話。


 サナとの遊び。


 文官とのやり取り。


 貴族社会での作法。


 簡単な計算。


 地理。


 歴史。


 そして、人との会話における反応。


 少しずつ報告が集まっていく。


「礼法に問題なし」


「むしろ、かなり洗練されています」


「計算も速い」


「地理の知識も年齢に比べて明らかに高い」


「歴史についても、帝国内戦以前の情勢までかなり詳しい」


「さらに、相手の発言意図を読むのが非常に速い」


「……本当に十二歳か?」


 調べるほどに、疑問が増えていく。


 そして。


 彼らが知らないことが一つある。


 ティアは、自分が何者なのかを理解している。


 エクィトゥム王国第三王女グラーティア。


 それが本当の自分だ。


 そして今。


 敵国であるアンティクイランド王国の王宮にいる。


 だからこそ。


 能力を見せすぎない。


 余計な知識をひけらかさない。


 それでも、必要な時には隠しきれないほどの教育と判断力が滲み出てしまう。


「……少し、目立ちすぎたかな」


 その夜。


 ティアは一人で自室に戻り、小さく呟いた。


 正体を知られてはいけない。


 それは分かっている。


 グラフィルが自分の身元を調べていることも知っている。


 帝国内戦で没落した伯爵家以上の貴族を調べているのだろう。


 時間がかかる。


 だから、それまでに余計な痕跡を残さない。


 それが今の自分にできることだった。


「……まったく」


 ティアは窓の外を見る。


 敵国の王宮。


 そこにいるという事実そのものが、未だに信じられない。


 それでも。


 サナと過ごす時間は楽しい。


 そして――。


 レノウィウスを見ると、どうしても懐かしさを覚える。


 それは恋ではない。


 前世で湊に抱いていた想いとは、まったく別のものだ。


 ただ。


 昔、大切だった人を思い出す。


 それだけだった。


 ティアは小さく息を吐いた。


「……絶対に、ばれないようにしないと」


 そう呟き、静かに部屋の灯りを消した。

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