第43話 王都への帰還
西部国境から王都レクィエリアへ戻る道中、俺はほとんど口を開かなかった。
エクィトゥム王国軍との戦いには勝った。
二万を超える侵攻軍を崩し、敵本陣を制圧した。
フェルゼンハルト公爵。
グランツェン辺境伯。
敵軍を率いていた二人も戦場から消えた。
結果だけを見れば、誰がどう見ても大勝利だ。
だが。
俺の頭に浮かぶのは、勝利という言葉よりも、戦場に残された兵士たちの姿だった。
倒れた仲間。
傷を負った騎士。
動かなくなった馬。
勝った。
それは間違いない。
けれど、勝利したからといって、失ったものが戻ってくるわけではない。
「殿下」
隣を走っていたカイが声をかけてくる。
「何だ?」
「もうすぐ王都が見えてきます」
「ああ」
前方を見る。
やがて、遠くの地平に巨大な城壁が現れた。
王都レクィエリア。
出発した時と、何も変わらないように見える。
だが。
俺たちが王都を離れた時、この国は戦争の真っただ中ではなかった。
今は違う。
西部国境が戦場になり、多くの兵が命を落とした。
そして、俺たちはその戦争を終わらせるための大きな勝利を持って帰ってきた。
「……帰ってきたな」
俺が呟く。
エクウス伯爵が後方から馬を寄せる。
「王都では大変な歓迎になりそうですな」
「歓迎?」
「戦争が始まった時、王都の民もかなり不安だったと聞いております」
「そうか」
「その不安を終わらせた軍が戻ってくるのです。何も起きない方がおかしいでしょう」
「……面倒だな」
思わずそう答える。
エクウス伯爵が苦笑した。
◆
王都の城門が近づく。
すると。
街道の両側に、人だかりが見えてきた。
「……多いな」
俺は目を細める。
商人。
職人。
農民。
子供。
老人。
貴族らしき者までいる。
街道を埋め尽くすほどの人々が、こちらを待っていた。
兵士たちも次々に気づく。
「人が集まっています!」
「歓迎か?」
「どうやらそうらしいです!」
王都の門を越える。
その瞬間だった。
「第一王子殿下だ!」
誰かが叫んだ。
「第一王子殿下が帰ってきたぞ!」
一気に歓声が広がる。
「おおおおおおっ!」
「勝ったんだ!」
「エクィトゥム軍を追い返したぞ!」
「王国は守られた!」
「おかえりなさいませ!」
様々な声が飛んでくる。
俺は馬上から群衆を見る。
笑っている者。
泣いている者。
両手を合わせて祈るようにしている者までいる。
戦争が始まった時。
彼らは、何を考えていたのだろう。
大国エクィトゥム王国が攻めてきた。
二万人を超える軍勢が西へ進んでいる。
王国は守れるのか。
王都まで攻め込まれるのではないか。
家族を失うのではないか。
きっと、そんな不安を抱えていた。
だから今。
帰ってきた軍を見ている。
ただ、それだけなのだろう。
俺は手を上げた。
大きく振るわけでもない。
ただ、そこにいる人々へ向けて。
それだけで、歓声がさらに大きくなった。
「殿下!」
カイが横から声をかける。
「もう少し嬉しそうにされてもよいのでは?」
「何故だ?」
「王都の人々が喜んでおりますから」
「……そうだな」
俺は少しだけ口元を緩めた。
兵士たちの間からも笑い声が上がる。
「なんだか、凱旋みたいだな」
「実際、凱旋だろ」
「昨日まで戦場だったのにな」
そんな会話が耳に入る。
俺たちはそのまま王都を進んでいく。
やがて、誰が言い始めたのか。
人々が街道へ花を投げ始めた。
子供たちが兵士の後ろを走る。
建物の窓からも人々が身を乗り出して手を振る。
王国旗があちこちに掲げられる。
気づけば。
軍の帰還は、完全に凱旋行列になっていた。
俺はその光景を静かに眺める。
悪くない。
少なくとも。
この人たちが安心して笑えるなら、戦った意味はあった。
◆
その少し後。
一台の商家の馬車が、王都へ入ってきた。
どこにでもあるような馬車だった。
荷台には布地や食料、日用品。
御者も普通の商人にしか見えない。
しかし。
それは本物の商家ではなかった。
身分を隠すために用意された、偽装の馬車だった。
その荷台の奥には、一人の少女がいる。
「……すごい」
ティアは小さな隙間から王都の様子を眺めていた。
自分が生まれ育った国とは違う。
違う街並み。
違う旗。
違う言葉。
そして。
違う王国の民衆。
今、自分がいるのは敵国の王都だ。
「……本当に来ちゃった」
小さく呟く。
つい数日前まで、エクィトゥム王国へ帰ることだけを考えていた。
ところが。
盗賊に襲われ。
護衛を失い。
森でレノウィウスに助けられ。
そのまま、この国へ来ることになった。
しかも。
自分が向かっているのは――王都。
敵国の中心だ。
「……まるで小説みたい」
ティアは苦笑する。
前世の記憶にある物語なら、こんな状況もありそうだった。
戦争。
敵国。
身分を隠した少女。
そして、偶然自分を助けた少年。
「……本当に、どうなってるのよ」
けれど。
ティアの中にあるのは、浮ついた感情だけではない。
むしろ不安の方が大きかった。
自分はエクィトゥム王国の第三王女。
今はその身分を隠している。
もし正体を知られれば、この王都の中で自分がどう扱われるのか分からない。
それなのに。
馬車の外から、歓声が聞こえてくる。
そして、その中心にいる人物を見つけた。
レノウィウス。
多くの兵士を従え、王都の街道を進んでいる。
人々から歓声を浴びている。
「……」
ティアは黙って彼を見た。
森で会った時とは、少し違って見える。
あの時も冷静だった。
盗賊を倒す時も、必要以上のことはしなかった。
助けた後も、淡々と自分を叱った。
今も同じ。
歓声を浴びても浮かれることなく、ただ静かに前を見ている。
「……やっぱり、変な人」
ティアは小さく笑った。
そして、その姿を見ているうちに、胸の奥にまたあの感覚が浮かぶ。
懐かしい。
どうしてなのかは分からない。
ただ。
レノウィウスの横顔を見ていると、前世の湊を思い出す。
それだけだった。
恋愛的な感情ではない。
湊に向けていた想いは、前世の記憶の中に今も残っている。
目の前の少年を見て感じるのは、それとは別の――。
長い年月を越えて、記憶の奥に触れるような懐かしさだった。
「……湊」
思わず、その名前を呟く。
もちろん。
今、目の前を進んでいる少年は湊ではない。
そう思うしかない。
それでも。
あの話し方。
あの目。
そして、叱る時の妙に冷静な口調。
どこか似ている。
「……変なの」
ティアはそう呟いて、もう一度だけレノウィウスを見る。
その姿は、すでに民衆の向こうへ遠ざかっていた。
◆
馬車はレノウィウスたちとは別の道へ入る。
向かう先は王宮。
ティアは窓の外を見ながら、静かに息を吐いた。
「敵国の王都……」
怖い。
正体が知られればどうなるか分からない。
この先、いつまで自分を隠せるのかも分からない。
それでも。
昨日まで森の中で震えていた自分が、今こうして王都へ向かっている。
状況があまりにも現実離れしていて、少しだけ笑いたくなった。
「……ラノベの主人公じゃないんだから」
もちろん。
そんな軽口を叩いていられるのも今のうちだ。
ここは敵国。
しかも、その中心。
油断などできない。
ティアは外套を整え、静かに息を吐いた。
そして、馬車の進む先を見る。
王宮。
そこには、自分を助けてくれた少年がいる。
その少年が、自分の前世で最も近くにいた幼馴染と同じ魂を持つことを――。
ティアは、まだ知らない。
そして。
レノウィウスもまた。
今、別の道を進んでいる馬車の中に、自分がかつて最も大切にしていた少女がいることを知らない。
ただ。
前世から離れていた二人の道が、この日から再び同じ場所へ向かい始めていた。




