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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第2章 巡り合うには遠すぎて
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第42話 政変の予兆

 エクィトゥム王国王都コンスタンティア。


 フェルゼンハルト公爵とグランツェン辺境伯の戦死。


 二万を超える侵攻軍の崩壊。


 第一王子の敗走。


 そして――。


 第三王女グラーティアの失踪。


 西部国境から届いた一連の報告によって、王城はかつてないほどの緊張に包まれていた。


 そして、緊急の御前会議。


 その場に集まった者たちは、まだ誰も口にしていなかった。


 この敗戦が、単なる戦争の失敗では終わらないことを。


「……フェルゼンハルト公爵は死んだ」


 国王が静かに言った。


「グランツェン辺境伯も死んだ」


 誰も答えない。


「二人は、今回の戦争を主導した」


「そして、その結果として二万人を超える軍勢を失った」


 国王は机の上に置かれた報告書へ目を落とす。


「だが、問題はそれだけではない」


 宰相が一歩前へ出る。


「今回の戦争について、王政府が保有する文書を再確認いたしました」


「すると?」


「宣戦布告の根拠となった海賊への武器供与について、確たる証拠が存在しておりません」


 会議室がざわつく。


「フェルゼンハルト公爵が提出した報告書」


「グランツェン辺境伯からの補足報告」


「それらを基に、アンティクイランド王国への敵対行為と判断した」


「つまり――」


 国王が言う。


「我々は、フェルゼンハルト公爵の主張を信じて戦争を始めた」


「はい」


 宰相が頭を下げる。


「十分な裏付けを取らぬまま」


 重い沈黙。


 やがて。


「ならば」


 一人の国王派の重臣が口を開いた。


「この責任を明確にすべきです」


 貴族派の者たちが顔を上げる。


「フェルゼンハルト公爵はすでに戦死」


「グランツェン辺境伯も戦死」


「死人には事情を聞くことも、責任を追及することもできません」


 一人の貴族が不満げに口を挟む。


「では、すべてを死者に押し付けるのですか?」


「すべてではありません」


 重臣は冷静に答えた。


「戦争の直接的な発端と、侵攻を主導した責任です」


「フェルゼンハルト公爵」


「グランツェン辺境伯」


「そして、侵攻軍の総大将を務めた第一王子殿下」


 会議室の空気が張りつめる。


「第一王子殿下まで……?」


「王族だからこそ、責任を問われる必要がある」


 別の国王派が続ける。


「ただし、殿下は王族です」


「処罰などという話ではない」


「しかし、少なくとも軍務上の失敗については明確に記録すべきでしょう」


 第一王子は生きている。


 だからこそ、完全に責任を押しつけて終わらせることはできない。


 だが――。


 この敗戦を政治的に利用することはできる。


「第一王子殿下については、今回の侵攻作戦において総大将を務めた」


「しかし、実際の作戦立案と戦争そのものの主導権は、フェルゼンハルト公爵とグランツェン辺境伯が握っていた」


「その形に整理するのが妥当でしょう」


 国王はしばらく黙っていた。


 やがて。


「そうしよう」


 短い言葉だった。


              ◆


 だが。


 これで終わらなかった。


「次の議題です」


 宰相が別の書類を取り出す。


「フェルゼンハルト公爵家について」


 会議室の空気が変わる。


「戦争を主導したフェルゼンハルト公爵家には、戦争責任についての調査を行う必要があります」


「同家の財政状況」


「軍事力」


「他貴族家との資金の流れ」


「商人との取引」


「軍需品の調達記録」


「すべて確認します」


 貴族派の一人が立ち上がった。


「待っていただきたい!」


「公爵家はすでに当主を失っている!」


「だからこそです」


 宰相は冷たく答える。


「当主の死によって、調査を止める理由にはなりません」


 さらに別の書類が置かれる。


「グランツェン辺境伯家も同様です」


「今回の侵攻軍に参加した諸侯についても、派遣兵力、資金、軍需品、戦争への関与をすべて調査します」


「まさか――」


 貴族の一人が呟く。


「全家を調べるつもりか?」


「当然です」


 宰相は即答した。


「二万人の軍を動かしたのです」


「その費用を負担した者がいる」


「兵を出した者がいる」


「武器を提供した者がいる」


「そして、この戦争を支持した者がいる」


「王国が敗北した以上、これを曖昧にすることはできません」


 ここで、国王派の別の重臣が口を開いた。


「それだけではありません」


 その手には、さらに別の資料があった。


「西部国境の防衛線崩壊についてです」


「敵軍が侵入した際、いくつかの貴族家は規定の動員数を満たしていなかった」


 貴族たちの顔色が変わる。


「兵を出さなかった家」


「動員を遅らせた家」


「装備を十分に準備していなかった家」


「そうした記録も存在しています」


「これは――」


「軍務上の責任です」


 議論が始まった。


 だが。


 国王派は、もう止まらなかった。


              ◆


「フェルゼンハルト公爵家には、軍を維持する権限を一部制限する」


「グランツェン辺境伯家の軍事力についても、王政府による監査を実施する」


「侵攻軍へ参加した諸侯には、兵力と財政の報告を義務付ける」


「軍需品の購入についても王政府の許可制へ移行する」


「勝手に兵を増やし、王国軍とは別系統の軍事力を持つことを許してはならない」


 一つ。


 また一つ。


 貴族派が持っていた権限が削られていく。


 これまでは「国境を守る」という名目で、各大貴族がかなりの軍事的自由を持っていた。


 しかし。


 今回の敗戦によって、その自由が「危険な私兵戦力」として見直され始めた。


 そして。


「戦争責任に関する特別調査委員会を設置する」


「委員長は宰相」


「王政府直属とする」


「各貴族家への立ち入り調査も認める」


「帳簿の提出を命じる」


「兵力の再登録を実施する」


 貴族派の顔から、次々と血の気が引いていく。


 それは、単なる敗戦処理ではない。


 派閥そのものへの締め付けだった。


「陛下」


 ある貴族が震える声で言う。


「これは……少々やりすぎでは?」


 国王は、その貴族を見た。


「やりすぎ?」


「はい」


「二万人の軍が敗れた」


「西部国境の防衛線は崩壊した」


「我が国には千人を超える死者・行方不明者と、それ以上の負傷者が出ている」


「その原因を調べ、二度と同じことを起こさないための措置を取ることが、やりすぎなのか?」


「……」


 反論できなかった。


              ◆


 だが。


 国王は、さらに一手を打った。


「そして、今回の侵攻軍に参加した貴族家には――」


 全員が国王を見る。


「アンティクイランド王国への正式な謝罪を命じる」


「……!」


 貴族派の一人が息を呑んだ。


「侵攻に関わった責任を認めさせる」


「アンティクイランド王国へ謝罪させる」


「戦争終結のための講和交渉にも協力させる」


「それが王国に対する最低限の責任だ」


 これによって。


 貴族派の多くは、王政府に逆らうことが難しくなった。


 戦争を支持した。


 兵を出した。


 そして敗れた。


 しかも、王国自身が「戦争の主導者はフェルゼンハルト公爵とグランツェン辺境伯だった」と公式に整理しようとしている。


 今ここで国王に逆らえば――。


 自分たちも責任追及の対象になる。


 誰もそんな賭けには出られない。


「……」


 会議室には、かつてないほどの沈黙が広がっていた。


              ◆


 こうして。


 エクィトゥム王国は、アンティクイランド王国との戦争に敗れたことをきっかけに、国内政治そのものを大きく変えることになる。


 フェルゼンハルト公爵。


 グランツェン辺境伯。


 そして、侵攻軍の総大将を務めた第一王子。


 戦争の責任は、この三者を中心に整理される。


 だが、生きている第一王子にすべてを押しつけることはできない。


 そのため、最も大きな犠牲を払うことになったのは――。


 貴族派そのものだった。


 軍事力を監査される。


 財政を調査される。


 諸侯間の資金の流れを調べられる。


 私兵の規模を制限される。


 戦争に参加した貴族は謝罪を命じられる。


 そして何より。


 フェルゼンハルト公爵という、貴族派を一つにまとめていた中心人物が消えた。


 公爵の死によって生じた空白を埋める者は、まだいない。


 グランツェン辺境伯もいない。


 そのため、貴族派は一気に求心力を失った。


 国王派は、そこへ容赦なく楔を打ち込んでいく。


 もちろん。


 貴族派のすべてが消えるわけではない。


 だが――。


 これまで王国内で国王派と肩を並べていた一大勢力は、この敗戦を境にして、二度と以前の力を取り戻せないほどまで弱体化していくことになる。


 戦争に負けた。


 それだけではない。


 エクィトゥム王国では、この敗戦そのものが――。


 貴族派解体の始まりとなった。

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