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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第2章 巡り合うには遠すぎて
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第39話 美少女と朝帰りした王子の図

本日の続きの投稿は夜に持ち越しです。

 朝。


 アンティクイランド王国軍の本陣は、夜明けから妙に騒がしかった。


「第一王子殿下がいない!」


 レノウィウスの天幕を確認した兵士が叫んだ。


 天幕の中に本人はいない。


 馬もない。


 剣もない。


 クロスボウもない。


「いつからですか!」


「分かりません! 夜の間に出られたものと!」


 報告を受けたカイの顔が引きつる。


「……まさか」


 昨夜は宴だった。


 戦勝の余韻もあり、兵士たちの気が緩んでいた。


 その隙を狙って敵の残党が――。


「捜索隊を出します!」


 カイが叫ぶ。


「森を探せ! 戦場周辺も確認しろ! 第一王子殿下を最優先で捜索する!」


 兵士たちが一斉に動き始めた。


 ガイウシア子爵も慌ただしく指示を飛ばす。


 エクウス伯爵まで周囲を確認し始める。


「殿下に何かあれば一大事だぞ!」


「分かっています!」


「ならば急げ!」


 本陣中が慌ただしくなる。


 そして。


「伝令!」


 別の兵士が駆け込んできた。


「森の方角から、騎馬が一頭こちらへ向かっています!」


「誰だ!」


「まだ確認できておりません!」


「近づけ!」


 全員が森を見る。


 朝靄の向こう。


 一頭の馬が、ゆっくりと姿を現した。


 その背にいる人物を見て。


「……殿下?」


 誰かが呟いた。


「第一王子殿下だ!」


 安堵の声が上がる。


「ご無事だった!」


「よかった……!」


 だが。


 次の瞬間。


 本陣にいた全員が、言葉を失った。


 レノウィウスの後ろに――。


 一人の少女が乗っていた。


 淡い金色の髪。


 白い肌。


 澄んだ淡赤色の瞳。


 戦場にはあまりにも似つかわしくない、美しい少女だった。


「…………」


 ガイウシア子爵の顔が固まる。


「…………」


 エクウス伯爵も固まる。


「…………」


 カイは完全に停止した。


 そして。


 レノウィウスが何事もなかったかのように馬を降りる。


「おはよう」


 あまりにも普通だった。


 だからこそ、カイの中で何かが決壊した。


「殿下」


「何だ?」


「……もう、大人の階段を登られたのですね」


「…………」


 本陣が静まり返る。


 レノウィウスは無表情でカイを見る。


「お前は何を誤解している」


「いえ、しかし!」


「不敬罪で処すぞ」


 真顔だった。


「申し訳ありません!」


 カイが即座に頭を下げる。


 だが、顔だけはどうしても納得していない。


「で、ですが殿下!」


「何だ」


「昨夜、姿を消して!」


「森へ行った」


「朝になって!」


「ああ」


「美少女を連れて!」


「助けた」


「しかも同じ馬に乗って!」


「森に置いていけなかった」


「……」


 カイは黙った。


 ガイウシア子爵も黙った。


 エクウス伯爵も黙った。


 周囲の兵士たちも、微妙な顔をしている。


「……何だ、その顔は」


 レノウィウスが睨む。


 誰も答えない。


 すると、後ろにいたティアが小さく笑った。


「ふふ……」


 カイが振り返る。


「そちらは?」


「ティアです」


「ティア……さん?」


「はい」


 丁寧に頭を下げる。


 その仕草が、妙に上品だった。


 カイの目が細くなる。


「……殿下」


「何だ」


「どこで出会われたんですか?」


「森だ」


「それは聞きました」


「盗賊に襲われていた」


「……なるほど」


 カイは頷いた。


 そして、もう一度ティアを見る。


 もう一度レノウィウスを見る。


「本当に、それだけですか?」


「それだけだ」


「本当に?」


「二度言わせるな」


「……はい」


 それでもカイの顔には、疑念が残っていた。


 ティアはそんな彼を見て、また小さく笑う。


「カイさんって、面白いですね」


「面白くありません!」


 即答だった。


 レノウィウスがため息をつく。


「朝から騒ぐな。昨日の戦争で疲れているんだろう」


「疲れているのは殿下の方でしょう!」


「俺は寝た」


「どこでですか!」


「森」


「…………」


 カイは天を仰いだ。


「なぜですか……」


「静かだったからだ」


「そういう問題ではありません!」


 ティアが堪えきれずに笑い出す。


「ふふっ……」


 レノウィウスが横目で見る。


「お前も笑うな」


「だって……」


「何だ」


「みんな、レノウィウスのことを心配してたんですね」


「……まあな」


「だったら、ちゃんと帰ってきてあげないと」


「帰ってきただろ」


「朝帰りですけど」


「……」


 レノウィウスは黙った。


 周囲が静かになる。


 カイが、ゆっくりレノウィウスを見る。


「……殿下」


「何だ」


「やはり――」


「黙れ」


「はい」


 その返事があまりにも早かったため、ティアがまた笑った。


 そんな彼女を見て、レノウィウスもほんの少しだけ口元を緩める。


 その瞬間。


 周囲の兵士たちは、さらに確信を深めた。


 ――何かある。


 もちろん、何もない。


 本当に何もない。


 ただ森で盗賊から助けた少女を、本隊へ連れて帰ってきただけだ。


 だが。


 昨夜まで何の気配もなかった第一王子が、朝になったら見知らぬ美少女を後ろへ乗せて帰ってくる。


 しかも、本人はいたって平然としている。


 これで誤解するなという方が難しかった。


「……まあいい」


 エクウス伯爵が苦笑する。


「殿下がご無事だったのですから」


「そうですね」


 ガイウシア子爵も頷く。


 カイだけは、まだ釈然としない顔をしていた。


「殿下」


「何だ?」


「……今後、森へ行く時は、せめて私に一言ください」


「分かった」


「絶対ですよ」


「ああ」


「本当にお願いします」


「分かったと言っている」


「……はい」


 ティアはそのやり取りを見ながら、また笑った。


 そして心の中で、ほんの少しだけ思う。


 ――やっぱり。


 こういうところも、少し湊に似ている。


 その一方でレノウィウスも、ティアの笑い方を見ていた。


 ――美咲も、こんなふうに笑っていたな。


 二人とも、まだ知らない。


 目の前にいる相手が、かつて最も近くにいた幼馴染だということを。


 それでも。


 朝の戦場には、一晩の間に少しだけ距離を縮めた二人と、事情を何も知らない周囲の人間たちが残された。


 そしてカイはその日一日――。


 レノウィウスの「朝帰り」を疑い続けることになった。

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