第33話 時間稼ぎ
平原。
遮るものの少ない広大な戦場に、二つの軍勢が向かい合っていた。
右手には森林が広がっている。
その森林の中には、国境へ通じる一本の道があった。
フェルゼンハルト公爵とグランツェン辺境伯は、自軍中央後方の指揮位置に立ち、次々と届けられる伝令の報告を聞いていた。
平原とはいえ、戦場全体を肉眼で把握することはできない。
特に両翼の先まで見通すことは難しい。
そのため、二人は前線から送られてくる報告をもとに戦況を判断していた。
「右手の森林は?」
フェルゼンハルト公爵が尋ねる。
「少数の部隊を配置しております」
幕僚が答えた。
「森林内を通る道は一本だけです。大軍があの道から迂回してくる可能性は低いでしょう」
「一本の道なら、少数で十分だ」
グランツェン辺境伯も同意する。
「敵がそこへ兵を回したとしても、こちらの主力が到着するまで時間を稼げます」
「ならば、正面を厚くしよう」
二人の判断は一致していた。
敵軍は約八千二百二十。
対して、エクィトゥム王国軍は約二万六百。
約二・五倍の兵力差がある。
ならば、無理に複雑な戦術を取る必要はない。
広い平原の中央へ大量の兵を集中させ、正面から敵の戦線を押し崩す。
両翼は無理に突破を狙わず、中央の進展に合わせる。
それが二人の判断だった。
「敵中央を最優先する」
フェルゼンハルト公爵が命じる。
「中央を押し切ったところで、両翼も前進させる」
「承知しました」
命令が各部隊へ伝達されていく。
◆
やがて。
両軍が前進を開始した。
平原を埋めるように兵が動く。
中央。
右翼。
左翼。
三つの戦線が、ほぼ同時にぶつかった。
最初の衝突は激しかった。
中央では歩兵同士が正面からぶつかり、盾が押し合い、槍が交差する。
右翼でも騎兵と歩兵が衝突し、左翼でも同様に激しい戦闘が始まった。
しばらくして、中央から最初の報告が届く。
「中央、交戦開始!」
「戦況は?」
「現在は互角です!」
公爵が頷く。
その直後、別の伝令が駆け込んできた。
「右翼より報告!」
「言え」
「敵軍との戦闘は互角。大きな変化はありません!」
「左翼は?」
「こちらも互角です!」
フェルゼンハルト公爵とグランツェン辺境伯は顔を見合わせた。
両翼は拮抗している。
だが、正面の中央にはこちらの兵力をより多く集中させている。
時間が経てば、差が出る。
「中央へ圧力をかけ続けろ」
公爵が命じた。
◆
しばらくして。
「中央より報告!」
新しい伝令が駆け込んでくる。
「敵中央の一部が後退しています!」
「後退?」
「はい。中央の一部で押し返されております!」
グランツェン辺境伯が頷いた。
「こちらの兵力差が効いてきましたな」
だが、まだ決定的な崩れではない。
「敵中央の状況を詳しく」
「複数の部隊が後退。ただし、戦線そのものは維持しています」
フェルゼンハルト公爵は少し考える。
「ならば、ここで押す」
「はい」
中央への増援が送られる。
しばらくして、再び報告が届いた。
「敵中央、さらに後退!」
「どこまで押している?」
「かなり深くまで入り込んでいます!」
公爵は命じる。
「全軍、前進!」
伝令が走る。
「中央は敵戦線を突破するまで押し込め!」
「右翼、左翼も前進!」
だが、両翼の状況は変わらなかった。
「右翼は?」
「依然として互角です!」
「左翼は?」
「こちらも互角!」
公爵は頷いた。
それなら問題はない。
中央さえ突破すれば、その後に両翼も崩せる。
「重装騎兵を中央へ投入する」
グランツェン辺境伯が言った。
「敵が後退している今なら、追撃に使える」
公爵も同意した。
「重装騎兵を突撃させろ」
命令が伝わる。
やがて、重装騎兵が動き始めた。
◆
しばらく後。
「重装騎兵、敵中央へ突入!」
伝令の声が響く。
「戦況は?」
「敵戦線を大きく押し込んでいます!」
公爵は頷いた。
敵中央が後退している。
こちらの重装騎兵が追撃する。
右翼も左翼も互角を維持している。
中央だけを突破できれば、敵軍全体を崩せる。
「このまま押せ」
そう命じた直後だった。
「中央より緊急報告!」
別の伝令が駆け込んでくる。
「どうした?」
「敵後方部隊が動き始めました!」
「後方?」
「はい!」
「どの部隊だ?」
「民兵と傭兵です!」
グランツェン辺境伯が眉をひそめる。
「後方に残していたのか」
「それだけではありません!」
伝令が息を整える。
「敵後方両翼の民兵と傭兵の部隊が、中央へ向かって動いています!」
「両翼?」
「はい!」
公爵は戦況を整理する。
敵の中央は大きく後退している。
その後方にいた民兵と傭兵が動いた。
さらに、後方両翼に配置されていた民兵と傭兵の部隊も中央へ寄っている。
「中央の状況は?」
「こちらの軍が敵中央深くへ入り込んでいます!」
「重装騎兵は?」
「さらに前へ出ています!」
公爵の表情が変わる。
「……まずい」
だが、すぐには撤退を命じなかった。
まだ中央の兵力は十分にある。
「中央へ増援を送れ!」
伝令が走る。
◆
しかし。
その直後、戦場中央から立て続けに報告が届いた。
「敵後方の民兵、こちらの中央左側面へ攻撃開始!」
「右側もです!」
「前方では敵中央が後退しています!」
「後方からは味方部隊が前進しています!」
「隊列が詰まっています!」
フェルゼンハルト公爵は、伝令の言葉から戦況を組み立てる。
中央へ深く入り込んだ。
前方には後退する敵軍。
両側面からはアンティクイランド側の民兵と傭兵。
そして後方には、前進してくる味方部隊。
中央の部隊が、狭い場所へ押し込められている。
「退路を確保しろ!」
公爵が命じる。
「中央の後続を止めて、間隔を空けさせろ!」
だが、すぐに別の報告が来る。
「後続部隊が止まりません!」
「敵の攻撃で前方の部隊が後退しています!」
「そこへ後続がぶつかり、さらに混乱が広がっています!」
前へ進もうとする兵。
後ろへ退こうとする兵。
横から攻撃を受けて方向を変えようとする兵。
それらが同じ場所へ集中する。
広い平原の上にもかかわらず、中央だけが異常な密集状態になっていった。
「重装騎兵は?」
「動けません!」
「なぜだ!」
「周囲の歩兵が詰まり、進路が確保できません!」
先ほどまで勢いよく敵中央へ突撃していた重装騎兵が、その場で停止する。
前にも敵。
左右にも敵。
後ろには味方。
隊列が完全に詰まっていた。
◆
右翼。
左翼。
そこでは、依然として激しい戦いが続いていた。
「右翼は?」
公爵が尋ねる。
「互角です!」
「左翼は?」
「こちらも大きな変化はありません!」
両翼では、エクィトゥム軍もアンティクイランド軍も譲らない。
だからこそ、中央で起きている異常がなおさら際立っていた。
公爵と辺境伯は、中央の戦況を伝令から聞きながら、次々と命令を出す。
「中央の前線を下げろ!」
「後続部隊を止めろ!」
「重装騎兵を戻せ!」
「敵の側面部隊を押し返せ!」
だが、戦場では命令が届くまでにも時間がかかる。
そして、届いたとしても、それを実行できる状況とは限らない。
「中央、さらに混乱!」
「敵が左右から押し込んでいます!」
「こちらの歩兵が次々と倒れています!」
「負傷兵の退避ができません!」
報告が途切れない。
エクィトゥム王国軍の中央は、完全に予定していた形を失いつつあった。
◆
フェルゼンハルト公爵は、次の報告を待っていた。
右翼。
互角。
左翼。
互角。
中央。
――崩れ始めている。
「……敵は、最初から後方に兵を残していたのか」
グランツェン辺境伯が呟く。
公爵は答えなかった。
中央の突破を狙った。
敵中央は確かに後退した。
それを見て総攻撃を命じた。
重装騎兵も投入した。
だが、その後退は崩壊ではなかった。
前へ出させるための後退だった可能性がある。
もしそうなら――。
自分たちは敵の中央を崩したのではない。
敵の中央に、自分たちの軍を深く入り込ませてしまったことになる。
「中央から続報です!」
伝令が駆け込んでくる。
「敵の民兵と傭兵が、さらに攻撃を強めています!」
「こちらは?」
「後退しようとしています!」
「敵の右翼と左翼は?」
「依然として互角です!」
その報告を聞き、公爵は戦況がどこに傾いているのかを理解した。
両翼では、まだ決着がついていない。
だが中央では――。
エクィトゥム軍自身が、自分たちの兵力を持て余し始めていた。
平原の中央。
そこだけが、両軍の密集によって激しい混乱に包まれている。
ただし。
フェルゼンハルト公爵は、まだ撤退を考えていなかった。
二万を超える軍勢がいる。
対する敵は八千余り。
中央が一時的に乱れたからといって、戦場全体で見れば、まだこちらが圧倒的に多い。
「中央の混乱は、一時的なものです」
グランツェン辺境伯が言った。
「敵も相応に兵を消耗しているはずです」
公爵は周囲から届く報告を聞きながら、戦場全体の状況を考えた。
中央では確かに苦しい。
だが、エクィトゥム軍はまだ十分な兵力を残している。
予備部隊もある。
第一王子直属軍もいる。
両翼が完全に崩れたわけでもない。
対して、アンティクイランド軍は八千余りしかいない。
後方へ控えている兵を使って中央を挟み込んだとしても、その兵力は有限だ。
「……我々の方が多い」
公爵が呟いた。
「はい」
辺境伯が答える。
「ならば、押せば結果的に勝てる!敵が行っているのは精々時間稼ぎだ!」
「このまま敵軍を押し切れ!」
公爵は周囲の幕僚を見る。
「「「「「「はっ!」」」」」」
しかし、公爵は気づいていなかった。
時間稼ぎにしかなっていないということは、
相手が時間稼ぎを『狙っている』を目的としているということに。




