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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第2章 巡り合うには遠すぎて
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第33話 時間稼ぎ

 平原。


 遮るものの少ない広大な戦場に、二つの軍勢が向かい合っていた。


 右手には森林が広がっている。


 その森林の中には、国境へ通じる一本の道があった。


 フェルゼンハルト公爵とグランツェン辺境伯は、自軍中央後方の指揮位置に立ち、次々と届けられる伝令の報告を聞いていた。


 平原とはいえ、戦場全体を肉眼で把握することはできない。


 特に両翼の先まで見通すことは難しい。


 そのため、二人は前線から送られてくる報告をもとに戦況を判断していた。


「右手の森林は?」


 フェルゼンハルト公爵が尋ねる。


「少数の部隊を配置しております」


 幕僚が答えた。


「森林内を通る道は一本だけです。大軍があの道から迂回してくる可能性は低いでしょう」


「一本の道なら、少数で十分だ」


 グランツェン辺境伯も同意する。


「敵がそこへ兵を回したとしても、こちらの主力が到着するまで時間を稼げます」


「ならば、正面を厚くしよう」


 二人の判断は一致していた。


 敵軍は約八千二百二十。


 対して、エクィトゥム王国軍は約二万六百。


 約二・五倍の兵力差がある。


 ならば、無理に複雑な戦術を取る必要はない。


 広い平原の中央へ大量の兵を集中させ、正面から敵の戦線を押し崩す。


 両翼は無理に突破を狙わず、中央の進展に合わせる。


 それが二人の判断だった。


「敵中央を最優先する」


 フェルゼンハルト公爵が命じる。


「中央を押し切ったところで、両翼も前進させる」


「承知しました」


 命令が各部隊へ伝達されていく。


              ◆


 やがて。


 両軍が前進を開始した。


 平原を埋めるように兵が動く。


 中央。


 右翼。


 左翼。


 三つの戦線が、ほぼ同時にぶつかった。


 最初の衝突は激しかった。


 中央では歩兵同士が正面からぶつかり、盾が押し合い、槍が交差する。


 右翼でも騎兵と歩兵が衝突し、左翼でも同様に激しい戦闘が始まった。


 しばらくして、中央から最初の報告が届く。


「中央、交戦開始!」


「戦況は?」


「現在は互角です!」


 公爵が頷く。


 その直後、別の伝令が駆け込んできた。


「右翼より報告!」


「言え」


「敵軍との戦闘は互角。大きな変化はありません!」


「左翼は?」


「こちらも互角です!」


 フェルゼンハルト公爵とグランツェン辺境伯は顔を見合わせた。


 両翼は拮抗している。


 だが、正面の中央にはこちらの兵力をより多く集中させている。


 時間が経てば、差が出る。


「中央へ圧力をかけ続けろ」


 公爵が命じた。


              ◆


 しばらくして。


「中央より報告!」


 新しい伝令が駆け込んでくる。


「敵中央の一部が後退しています!」


「後退?」


「はい。中央の一部で押し返されております!」


 グランツェン辺境伯が頷いた。


「こちらの兵力差が効いてきましたな」


 だが、まだ決定的な崩れではない。


「敵中央の状況を詳しく」


「複数の部隊が後退。ただし、戦線そのものは維持しています」


 フェルゼンハルト公爵は少し考える。


「ならば、ここで押す」


「はい」


 中央への増援が送られる。


 しばらくして、再び報告が届いた。


「敵中央、さらに後退!」


「どこまで押している?」


「かなり深くまで入り込んでいます!」


 公爵は命じる。


「全軍、前進!」


 伝令が走る。


「中央は敵戦線を突破するまで押し込め!」


「右翼、左翼も前進!」


 だが、両翼の状況は変わらなかった。


「右翼は?」


「依然として互角です!」


「左翼は?」


「こちらも互角!」


 公爵は頷いた。


 それなら問題はない。


 中央さえ突破すれば、その後に両翼も崩せる。


「重装騎兵を中央へ投入する」


 グランツェン辺境伯が言った。


「敵が後退している今なら、追撃に使える」


 公爵も同意した。


「重装騎兵を突撃させろ」


 命令が伝わる。


 やがて、重装騎兵が動き始めた。


              ◆


 しばらく後。


「重装騎兵、敵中央へ突入!」


 伝令の声が響く。


「戦況は?」


「敵戦線を大きく押し込んでいます!」


 公爵は頷いた。


 敵中央が後退している。


 こちらの重装騎兵が追撃する。


 右翼も左翼も互角を維持している。


 中央だけを突破できれば、敵軍全体を崩せる。


「このまま押せ」


 そう命じた直後だった。


「中央より緊急報告!」


 別の伝令が駆け込んでくる。


「どうした?」


「敵後方部隊が動き始めました!」


「後方?」


「はい!」


「どの部隊だ?」


「民兵と傭兵です!」


 グランツェン辺境伯が眉をひそめる。


「後方に残していたのか」


「それだけではありません!」


 伝令が息を整える。


「敵後方両翼の民兵と傭兵の部隊が、中央へ向かって動いています!」


「両翼?」


「はい!」


 公爵は戦況を整理する。


 敵の中央は大きく後退している。


 その後方にいた民兵と傭兵が動いた。


 さらに、後方両翼に配置されていた民兵と傭兵の部隊も中央へ寄っている。


「中央の状況は?」


「こちらの軍が敵中央深くへ入り込んでいます!」


「重装騎兵は?」


「さらに前へ出ています!」


 公爵の表情が変わる。


「……まずい」


 だが、すぐには撤退を命じなかった。


 まだ中央の兵力は十分にある。


「中央へ増援を送れ!」


 伝令が走る。


              ◆


 しかし。


 その直後、戦場中央から立て続けに報告が届いた。


「敵後方の民兵、こちらの中央左側面へ攻撃開始!」


「右側もです!」


「前方では敵中央が後退しています!」


「後方からは味方部隊が前進しています!」


「隊列が詰まっています!」


 フェルゼンハルト公爵は、伝令の言葉から戦況を組み立てる。


 中央へ深く入り込んだ。


 前方には後退する敵軍。


 両側面からはアンティクイランド側の民兵と傭兵。


 そして後方には、前進してくる味方部隊。


 中央の部隊が、狭い場所へ押し込められている。


「退路を確保しろ!」


 公爵が命じる。


「中央の後続を止めて、間隔を空けさせろ!」


 だが、すぐに別の報告が来る。


「後続部隊が止まりません!」


「敵の攻撃で前方の部隊が後退しています!」


「そこへ後続がぶつかり、さらに混乱が広がっています!」


 前へ進もうとする兵。


 後ろへ退こうとする兵。


 横から攻撃を受けて方向を変えようとする兵。


 それらが同じ場所へ集中する。


 広い平原の上にもかかわらず、中央だけが異常な密集状態になっていった。


「重装騎兵は?」


「動けません!」


「なぜだ!」


「周囲の歩兵が詰まり、進路が確保できません!」


 先ほどまで勢いよく敵中央へ突撃していた重装騎兵が、その場で停止する。


 前にも敵。


 左右にも敵。


 後ろには味方。


 隊列が完全に詰まっていた。


              ◆


 右翼。


 左翼。


 そこでは、依然として激しい戦いが続いていた。


「右翼は?」


 公爵が尋ねる。


「互角です!」


「左翼は?」


「こちらも大きな変化はありません!」


 両翼では、エクィトゥム軍もアンティクイランド軍も譲らない。


 だからこそ、中央で起きている異常がなおさら際立っていた。


 公爵と辺境伯は、中央の戦況を伝令から聞きながら、次々と命令を出す。


「中央の前線を下げろ!」


「後続部隊を止めろ!」


「重装騎兵を戻せ!」


「敵の側面部隊を押し返せ!」


 だが、戦場では命令が届くまでにも時間がかかる。


 そして、届いたとしても、それを実行できる状況とは限らない。


「中央、さらに混乱!」


「敵が左右から押し込んでいます!」


「こちらの歩兵が次々と倒れています!」


「負傷兵の退避ができません!」


 報告が途切れない。


 エクィトゥム王国軍の中央は、完全に予定していた形を失いつつあった。


              ◆


 フェルゼンハルト公爵は、次の報告を待っていた。


 右翼。


 互角。


 左翼。


 互角。


 中央。


 ――崩れ始めている。


「……敵は、最初から後方に兵を残していたのか」


 グランツェン辺境伯が呟く。


 公爵は答えなかった。


 中央の突破を狙った。


 敵中央は確かに後退した。


 それを見て総攻撃を命じた。


 重装騎兵も投入した。


 だが、その後退は崩壊ではなかった。


 前へ出させるための後退だった可能性がある。


 もしそうなら――。


 自分たちは敵の中央を崩したのではない。


 敵の中央に、自分たちの軍を深く入り込ませてしまったことになる。


「中央から続報です!」


 伝令が駆け込んでくる。


「敵の民兵と傭兵が、さらに攻撃を強めています!」


「こちらは?」


「後退しようとしています!」


「敵の右翼と左翼は?」


「依然として互角です!」


 その報告を聞き、公爵は戦況がどこに傾いているのかを理解した。


 両翼では、まだ決着がついていない。


 だが中央では――。


 エクィトゥム軍自身が、自分たちの兵力を持て余し始めていた。


 平原の中央。


 そこだけが、両軍の密集によって激しい混乱に包まれている。


 ただし。


 フェルゼンハルト公爵は、まだ撤退を考えていなかった。


 二万を超える軍勢がいる。


 対する敵は八千余り。


 中央が一時的に乱れたからといって、戦場全体で見れば、まだこちらが圧倒的に多い。


「中央の混乱は、一時的なものです」


 グランツェン辺境伯が言った。


「敵も相応に兵を消耗しているはずです」


 公爵は周囲から届く報告を聞きながら、戦場全体の状況を考えた。


 中央では確かに苦しい。


 だが、エクィトゥム軍はまだ十分な兵力を残している。


 予備部隊もある。


 第一王子直属軍もいる。


 両翼が完全に崩れたわけでもない。


 対して、アンティクイランド軍は八千余りしかいない。


 後方へ控えている兵を使って中央を挟み込んだとしても、その兵力は有限だ。


「……我々の方が多い」


 公爵が呟いた。


「はい」


 辺境伯が答える。


「ならば、押せば結果的に勝てる!敵が行っているのは精々時間稼ぎだ!」


「このまま敵軍を押し切れ!」


 公爵は周囲の幕僚を見る。


「「「「「「はっ!」」」」」」





しかし、公爵は気づいていなかった。


時間稼ぎにしかなっていないということは、


相手が時間稼ぎを『狙っている』を目的としているということに。

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