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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第2章 巡り合うには遠すぎて
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第33話 軍議

プラエシディウム伯爵城の軍議室には、重苦しい空気が漂っていた。


 長机の上には、西部国境一帯の地図が広げられている。赤い印はエクィトゥム王国軍、青い印はアンティクイランド王国軍。すでに国境のいくつもの地点で戦闘が始まり、敵軍は複数の街道から王国内へ入り込んでいた。


 城内には、この地方の諸侯軍が集結している。


 伯爵二家。


 子爵六家。


 男爵二十四家。


 それぞれが戦時編制で兵を動員し、そこへレノウィウスの護衛として随行していた騎士百名、兵士二百名が加わっている。さらに、戦乱を予期してこの地方に滞在していた傭兵団も加わった。


 合計――約八千二百二十人。


 決して少ない数ではない。


 だが。


「敵軍は、現在確認できているだけで約二万人です」


 プラエシディウス伯爵家の軍務担当者が報告した。


「フェルゼンハルト公爵軍、グランツェン辺境伯軍を中心に、侯爵家二家、子爵家十四家、男爵家五十六家。さらに第一王子直属軍、第三王女護衛部隊、そして開戦前から集めていた傭兵軍が加わっています。総数はおよそ二万六百」


 室内が静まり返る。


 八千二百二十対二万六百。


 単純な兵力差だけでいえば、約二・五倍。


 レノウィウスは地図を見た。


 城に籠もる限りなら、まだ戦える。


 城壁がある。


 井戸もある。


 食料庫もある。


 そして、八千を超える兵が一つの城に集まっている。


 だが、城の外へ出れば話は変わる。


「敵軍は、まだこの城を直接攻めてきていません」


 ガイウシア子爵が説明する。


「周辺の子爵領、男爵領へ兵を送り、領地を攻撃しています」


「狙いは明らかだな」


 レノウィウスが言う。


「俺たちを城から出すつもりだ」


「その通りでしょう」


 ガイウシア子爵は頷いた。


「この城を正面から攻めれば、大きな損害が出ます。ですが、周辺領地を攻撃して我々が救援に出れば、城壁の外でこちらを叩ける」


「敵の方が三倍近い兵力だ」


「正確には二・五倍です」


 ガイウシア子爵が静かに訂正する。


「……どちらにせよ、十分に不利だ」


 レノウィウスは地図から目を離さなかった。


 野戦では、兵力差がそのまま戦力差になる。


 もちろん地形や士気、指揮能力によって結果は変わる。


 それでも、八千二百二十で二万六百を相手にするのは無謀だった。


「私は反対です」


 レノウィウスが言った。


 軍議室の視線が集まる。


「城から主力を出すべきではありません。敵はそれを待っています」


 若い第一王子の言葉に、しばし沈黙が続いた。


「しかし殿下」


 口を開いたのは、ある子爵だった。


「我々が城に籠もっている間にも、我々の領地が攻撃されているのです」


「分かっている」


「領民が残っております」


「それも分かっている」


「では、見捨てろと?」


 レノウィウスの表情が険しくなる。


「そうは言っていない」


「ですが、救援に出なければ同じことです」


 別の領主が続いた。


「私の領地も攻撃を受けています。兵を城へ集めたのは、敵と戦うためです。自分の領民が襲われているのを見ているだけなら、なぜここへ兵を集めたのですか」


「だからこそ、ここで兵を失っては意味がない」


 レノウィウスは抑えた声で答えた。


「一度野戦で主力を失えば、この城そのものが危うくなる。そうなれば領地を守るどころか、西部全体が崩れる」


「ですが!」


「感情で戦場を選ぶな」


 室内が静かになる。


 レノウィウスは地図の上に手を置いた。


「敵は二万人以上いる。こちらは八千余りだ。敵は城を攻める必要がない。こちらから出てきた瞬間を狙えばいい」


 そこまで言っても、領主たちの表情は晴れなかった。


 理由は分かっている。


 彼らには、守らなければならない領地がある。


 家族がいる。


 領民がいる。


 財産がある。


 自分たちだけ城へ逃げ込み、外を敵に荒らさせる。


 それを受け入れられる領主ばかりではない。


「では、どうするのです」


 プラエシディウス伯爵が尋ねた。


「殿下は、領地を攻撃される諸侯に何とおっしゃるのですか」


 レノウィウスは答えに詰まった。


 完全な正解などない。


 城を出れば危険。


 出なければ領地が失われる。


 そして、その時間を利用して敵は少しずつ王国の奥へ進んでいく。


 軍議室の空気が重くなる。


 やがて、ガイウシア子爵が口を開いた。


「ならば、主力全軍ではなく、一部の部隊だけを出してはどうでしょう」


「敵はそれを待っている」


「承知しています」


 子爵は頷く。


「だからこそ、城から離れすぎない。敵を深追いしない。救援部隊が領民を退避させる時間を作ったら、すぐに戻る」


「それでも野戦にはなる」


「完全な野戦にはしません。城砦の支援が届く範囲で戦います」


 別の領主たちも賛同し始めた。


「それならば、私の兵も出せます」


「我が家もです」


「敵を領地へ入れたままではいられません」


 反対意見が少しずつ押し流されていく。


 レノウィウスはその様子を見ていた。


 軍議で決められることには限界がある。


 自分が正しいと思っている案でも、諸侯全員の事情を無視することはできない。


 そして何より。


 ここにいる諸侯軍は、それぞれの領地を守るために集まっている。


 完全な籠城を命じれば、今度は内部から不満が噴き出す。


「……分かった」


 レノウィウスが言った。


 全員が顔を向ける。


「出撃するなら、条件を付ける」


 指を一本立てる。


「城から離れすぎない」


 二本目。


「敵の主力と正面からぶつからない」


 三本目。


「目的は領地奪還ではなく、領民と残存兵力の退避だ」


 最後に、地図の一点を指す。


「そして、敵が追ってきたら、ここまで引く」


 そこにはプラエシディウム伯爵城へ戻るための街道があった。


「この地点なら城からの援護も期待できる。これ以上先には進まない」


 ガイウシア子爵が地図を確認し、頷いた。


「現実的です」


 プラエシディウス伯爵も続く。


「では、救援部隊を編成しましょう」


 それで決まった。


 レノウィウスは最後まで、出撃そのものには反対だった。


 しかし、籠城を続ければ周辺領地と領民が失われる。


 そうなれば、いずれ城の維持も難しくなる。


 完全な籠城か。


 危険な野戦か。


 その二択ではなく、損害を抑えながら城外へ出る。


 それが軍議の結論だった。


              ◆


 軍議が終わると、各領主はそれぞれの部隊へ戻っていった。


 出撃部隊の編成が始まる。


 騎士が馬を用意する。


 兵士が装備を整える。


 斥候が街道へ出る。


 その中には、レノウィウス直属の騎士たちもいた。


「殿下」


 護衛騎士が声をかける。


「準備が整いました」


 レノウィウスは短く頷いた。


「分かった」


 自分は出撃に反対した。


 それでも。


 決まった以上、自分だけ城に残ることはできない。


 第一王子として。


 そして、この城に集まった兵士たちを預かる立場として。


 レノウィウスは自ら馬へ向かった。


「殿下」


 ガイウシア子爵が並ぶ。


「本当に同行されるのですか」


「ああ」


「危険です」


「分かっている」


 レノウィウスは城壁の外を見る。


 遠くには敵軍の姿がある。


 その数は、こちらの二倍どころではない。


 約二万人。


 対する自分たちは、その半分にも満たない八千二百二十人。


 それでも。


 今は出るしかない。


「ただし、約束してくれ」


「何をでしょう」


「無理に勝とうとしない」


 ガイウシア子爵は一瞬黙り、それから頷いた。


「承知しました」


 城門が開く。


 騎士たちが先に出る。


 続いて兵士たちが進む。


 諸侯軍が隊列を組む。


 そして最後に、レノウィウスも城外へ出た。


 こうして。


 プラエシディウム伯爵城に籠もっていたアンティクイランド王国軍は、周辺領地の救援と住民の退避のため、野戦へ引き出されることになった。


 その先に待つのは――。


 自軍の約二・五倍に及ぶ、エクィトゥム王国軍だった。

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