第25話 後釜
ルキウスが王立貴族学院へ入学してから、しばらく経った。
学院では、第一王子派と第二王子派の生徒が互いを意識する場面が増えている。
ただ、俺自身は必要以上に関わらないようにしていた。
学院での嫌味や言い争い程度なら、放っておけばいい。
問題は、そうした関係が大人の世界ではどう動いているのか。
そのことについて、少し気になる話を聞いたのは、ある日の午後だった。
「レノウィウス、ルキウス。父上がお呼びです」
侍従から伝えられ、俺とルキウスは揃って父上のもとへ向かった。
通されたのは、いつもの執務室ではなかった。
王宮の一室。
国政に関わる話し合いに使われる部屋らしく、父上のほかに宰相と数名の重臣が控えている。
俺たち兄弟だけを呼んだわけではないらしい。
「二人とも座れ」
「はい」
「……はい」
俺とルキウスが席につく。
父上の前には、一枚の地図と数冊の書類が置かれていた。
「今日は、二人に政治の話を聞かせておこうと思う」
「政治……ですか?」
ルキウスが聞き返す。
「ああ。お前たちも学院に入り、貴族同士の関係が少しずつ分かってきただろう」
父上は俺たちを見る。
「学院で起きている派閥争いも、所詮はその小さな部分にすぎない。大人の世界では、それが国政にまで及ぶ」
そこで父上は、机の上の地図を指で示した。
「東部だ」
地図の東側。
国境沿いの地域。
「この地域を治める東部辺境総督が、今年をもって退任することになった」
俺は地図を見る。
この地域は帝国との国境に近い。
街道もあり、軍事的にも重要だ。
「後任を決めなければならない」
父上が続ける。
「候補は二人です」
横にいた宰相が補足した。
「一人は王都で長く政務に携わってきた法衣貴族。もう一人は東部に大きな領地を持つ領地貴族です」
書類が俺たちの前に置かれる。
それぞれの経歴が書かれている。
一人目は行政と外交の経験が豊富。
二人目は東部の地理や貴族事情に詳しく、現地との繋がりが強い。
「どちらも能力は十分だ」
父上が言う。
「だからこそ、簡単には決められない」
俺は二人の経歴を読む。
「王都での経験なら、こちらの方が上ですね」
「ああ」
「逆に、東部の事情ならこちらですか」
「その通りだ」
ルキウスも書類を読んでいる。
「父上」
「なんだ?」
「どちらも必要なら、別々の役割にすることはできないのですか?」
父上は少し笑った。
「良い質問だ」
「ですが、今回の総督職は一人です」
宰相が答える。
「行政をまとめる役目なので、二人を同時に置くわけにはいきません」
「なるほど」
ルキウスは頷いた。
父上が続ける。
「そこで、両者を支持する貴族たちが、それぞれ推薦を始めた」
俺は書類の後半を見る。
推薦状。
連名の署名。
支持する家の一覧。
なるほど。
ここで初めて、派閥争いが具体的に見えてくる。
「こちらには第一王子派の家が多いですね」
「ああ」
俺が言うと、父上は頷いた。
「そして、こちらには第二王子派が多い」
ルキウスが自分の書類を見る。
「……僕を支持している家もあります」
「そうだ」
「だから、この人を推薦しているんですか?」
「そういう家もある」
父上はそこで言葉を切った。
「ただし、全員がそうだとは限らない」
俺は父上を見る。
「能力を理由に支持している家もある?」
「その通りだ」
父上は頷いた。
「家同士の関係で推薦する者もいる。利益を期待する者もいる。本人の能力を評価する者もいる。ただ王子を支持しているからという理由だけで動く者もいる」
なるほど。
学院で見ているものと同じだ。
ただ、規模が違う。
学院では拍手や言い争いで済んでいたものが、ここでは人事という形になっている。
ルキウスが書類を見ながら口を開いた。
「第二王子派が、この領地貴族の候補を推しているのなら……僕も支持した方がいいのでしょうか?」
室内が静かになった。
父上はすぐには答えなかった。
「お前はどう思う?」
「……」
ルキウスは少し考える。
「自分を支持している人たちを、簡単に否定するのも良くないと思います」
父上は頷いた。
「それも一つの考え方だ」
それから俺を見る。
「レノウィウスは?」
俺は二人の書類を見る。
「支持している派閥より、本人がその仕事に向いているかを見るべきだと思います」
父上は何も言わず、俺の答えを待っている。
「東部の事情に詳しいなら、その点は大きいです。でも、国境に近い地域ですから、行政能力も必要です。軍事については軍の指揮官と協力しなければならないでしょうし」
宰相が小さく頷いた。
「その通りです」
俺は続ける。
「だから、どちらが第一王子派か第二王子派かより、総督として何が必要なのかを先に決めて、その条件に合う方を選ぶべきだと思います」
父上はそこで初めて笑った。
「二人とも、それぞれ考えているようだな」
父上は書類をまとめる。
「今回の人事について、まだ最終決定はしていない。ただし、二人に決めさせるつもりもない」
そこではっきり言った。
「これは国王である私が決めることだ」
俺は黙って頷いた。
当然だ。
十一歳と十歳の王子に、国境に関わる重要人事を任せる方がおかしい。
今回ここへ呼ばれたのは、意思決定をさせるためではない。
王位に関わる立場にある者として、派閥が国政の中でどう働くのかを学ばせるためだ。
「ただし、覚えておけ」
父上が俺たちを見る。
「これからお前たちは、貴族から何度も支持を求められる。時には、自分を支持しているという理由だけで相手を信用したくなることもあるだろう」
静かな声だった。
「だが、支持する者が正しいとは限らない。逆に、反対する者が間違っているとも限らない」
俺はその言葉を覚えておこうと思った。
「王になる者が見るべきなのは、誰が自分の味方なのかだけではない」
父上は書類を閉じた。
「その者が、国にとって何をもたらすのかだ」
「はい」
「分かりました」
俺とルキウスが、それぞれ答える。
その日の話し合いは、それで終わった。
部屋を出て、廊下を歩く。
隣にはルキウスがいる。
しばらく無言だった。
「兄上」
「何だ?」
「さっきの話……」
「ああ」
「僕は、まだよく分かりません」
「俺も全部は分からない」
「そうなんですか?」
「十歳と十一歳だからな」
俺がそう言うと、ルキウスは少しだけ笑った。
「それもそうですね」
そのまま、俺たちは別々の方向へ進んだ。
今日の話で、何か結論が出たわけではない。
ただ一つ分かったことがある。
学院で見ていた派閥争いは、王国の中ではもっと大きな形になっている。
そして、王子である以上、俺もルキウスも、いずれその中に立つことになる。
だから今は――。
余計な判断を急がず、見て覚える。
それでいい。




