第22話 学院社交界
冬。
王都に雪が降り始める頃、王立貴族学院では冬季恒例の学院社交界が開かれた。
普段の学院とは、明らかに空気が違う。
生徒たちは制服ではなく礼装を身につけ、廊下を歩く姿にも普段以上に気を遣っている。教師たちも会場の確認や来賓の案内に追われていた。
十歳の俺にとって、学院の社交界は初めての経験だった。
王宮で貴族と会うこと自体は珍しくない。第一王子として、父上の執務に同席することもある。
だが、今日は違う。
ここにいるのは、主に学院の生徒たちだ。
同学年だけではない。
二年生、三年生、上級生。
さらに、その家族や従者まで関わっている。
大広間へ入る。
天井から吊るされた照明が室内を照らし、壁には王家の紋章が掲げられている。中央には舞踏のための広い空間があり、その周囲には料理や飲み物が用意されていた。
俺は会場を一通り見渡した。
伯爵家。
子爵家。
男爵家。
中央騎士家。
王弟カシウス公爵家。
普段なら教室で顔を合わせるだけの連中が、今日はそれぞれの家を背負っている。
その違いは、かなり分かりやすかった。
「殿下」
隣にいたカイが声をかける。
「何だ?」
「本日は随分と声を掛けられるでしょうね」
「だろうな」
実際、すでに何人かこちらを見ている。
第一王子。
王位継承順位第一位。
十歳という年齢を考えれば、直接話したことのない生徒が多いのも当然だ。
やがて、一人の男子生徒がこちらへ歩いてきた。
「第一王子殿下。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「学院の行事だ。俺が招いたわけではない」
相手が一瞬だけ固まる。
言い方が少し冷たかったかもしれない。
「……失礼しました」
「いや。気にするな」
俺はそう答えた。
必要以上に愛想を振りまくつもりはない。
だからといって、相手を不快にさせたいわけでもない。
貴族として最低限の礼を守れば、それでいい。
それからも何人かが挨拶に来た。
伯爵家の嫡男。
子爵家の嫡男。
騎士家の子弟。
同じ一年生もいれば、上級生もいる。
俺は相手の名前を聞き、家名を確認し、短く言葉を交わす。
それだけだ。
だが、こうして話していると、教室にいる時とは違うものが見えてくる。
話し方。
敬語の使い方。
他人への態度。
自分の家の話をどこまで出すのか。
相手の話をどれだけ聞くのか。
数分話すだけでも、それなりに違いがある。
「殿下」
今度はエリシアが近づいてきた。
「どうした?」
「飲み物をお持ちします」
「自分で取る」
「ですが――」
「王宮と違って、今日は学院だ。そこまで気を遣わなくていい」
「……分かりました」
エリシアが引き下がる。
俺は少しだけ周囲を見る。
学院に入学して半年以上。
最初の頃より、生徒たちの関係もかなり固まってきた。
誰と誰がよく話しているのか。
どの家の子供たちが集まっているのか。
狩猟大会で一緒に行動した連中。
夏休みのバカンスで親しくなった連中。
そういう関係が、少しずつ普段の学院生活にも表れている。
やがて、学院長が大広間の中央へ出てきた。
「皆さん、本日は学院社交界へようこそ」
会場が静かになる。
「この催しは、学院における礼儀作法と社交を実践する場です。家格に関係なく、互いに節度を持って交流してください」
簡単な挨拶の後、音楽が始まった。
最初の舞踏は上級生が中心だった。
一年生は壁際で眺めている者が多い。
十歳なのだから当然だ。
まだ社交に慣れていない。
「殿下」
また声がした。
一人の令嬢が立っている。
「何だ?」
「よろしければ、一曲お願いできますか?」
俺は一瞬だけ相手を見る。
断る理由はない。
「分かった」
手を取る。
礼法の授業で教わった通りに動く。
音楽に合わせて足を運ぶ。
相手の動きを見る。
こちらも合わせる。
それだけだ。
特別なことではない。
曲が終わる。
「ありがとうございました」
「ああ」
それぞれ元の場所へ戻る。
席へ戻ると、カイが笑っていた。
「何だ?」
「いえ。殿下が随分慣れているなと思いまして」
「授業で習っただけだ」
「そうですか」
「それ以上でも、それ以下でもない」
俺は水を飲む。
社交界というのは、思っていたより疲れる。
だが、難しいわけではない。
相手の言葉を聞く。
必要なことだけ答える。
失礼がないようにする。
それだけだ。
むしろ問題なのは、相手が何を考えているのかだ。
目の前で笑っていても、本心までは分からない。
だから、今日一日で相手を理解しようとは思わない。
名前と顔。
家名。
話した内容。
それだけ覚えておけばいい。
会場を見渡す。
カシウス公爵家の子弟の周囲には、やはり何人かの生徒が集まっている。
伯爵家同士で話している者もいる。
逆に、一人でいる者もいる。
それぞれ事情があるのだろう。
俺は特に近づかなかった。
必要があれば、向こうから来る。
そうでなければ、こちらから動く必要もない。
夜が深くなるにつれ、会場の人間も少しずつ減っていった。
俺も疲れてきた。
「殿下」
ゼバズが近づいてくる。
「そろそろお帰りのお時間です」
「分かった」
俺は最後に会場を見た。
入学式の時とは違う。
狩猟大会の時とも違う。
今日一日で、新しく名前を覚えた人間が何人かいる。
顔と家名が一致した者も増えた。
逆に、まだ判断できない相手もいる。
それでいい。
一度会っただけで、人間が分かるわけではない。
これから学院で何度も顔を合わせる。
その中で、少しずつ見ていけばいい。
俺は大広間を出た。
廊下の窓から外を見る。
雪が降っている。
吐いた息が白くなる。
「……寒いな」
それだけ呟いて、俺は王宮へ戻るための馬車へ向かった。
今日の学院社交界は終わった。
大きな問題もなかった。
新しく知ったことはいくつかある。
それだけで十分だった。




