第18話 夏休み2 心の安らぐ場所
翌日。
俺たちは海岸へ向かった。
もちろん、サナにもエドにも専属護衛が付きっ切りだ。俺にも護衛が付いている。その外側には第一軍団の騎士たち。さらに遠くでは兵士と傭兵が周囲を警戒している。
……王族の海水浴というのは、つくづく大変らしい。
「お兄様、早く!」
「分かったから走るなよ」
「分かっています!」
サナが笑い、エドも海へ向かう。
最初は皆、少し遠慮していた。だが、海へ入ってしまえばそんなものはすぐに消えた。
波に足を浸ける。
砂浜を走る。
くだらないことで競争する。
学院では見えなかった友人たちの姿が、そこにはあった。
第一王子派。
伯爵家。
子爵家。
そんな肩書きが、少しだけ遠くなる。
俺自身も、久しぶりに何も考えず笑っていた。
◆
昼食の後。
皆が海で遊ぶ中、俺は少し離れた場所に立っていた。
波の音。
潮の匂い。
青い海。
白い砂浜。
「……」
その景色を見た瞬間、胸の奥がざわついた。
この感覚には覚えがある。
九歳の狩猟大会で森を歩いた時と同じだった。
森を見たことで、美咲との思い出が蘇った。
ならば――海も同じなのだろう。
目を閉じる。
すると、前世の海が浮かんだ。
夏休み。
砂浜。
そして、美咲。
『湊、早く!』
『待てって、美咲!』
海へ向かって走る俺たち。
砂の城を作って、波に壊されて二人で笑ったこと。
海の家で昼飯を食べながら、くだらない話をしたこと。
帰る前、夕焼けに染まった海を並んで眺めたこと。
『また来ようね』
『ああ』
たった、それだけの約束。
けれど、当時の俺は本当にそう思っていた。
来年も来る。
再来年も来る。
高校生になっても、大人になっても。
そうやって、ずっと続いていくのだと思っていた。
でも――俺は死んだ。
「……美咲」
名前を呟く。
返事はない。
当然だ。
俺はしばらく海を見つめていた。
悲しいというより、寂しかった。
あの頃の俺たちには、もう戻れない。
それでも、思い出が消えたわけではない。
森で思い出した時間も。
今、海で思い出した時間も。
全部、俺の中に残っている。
「……懐かしいな」
小さく呟いた、その時だった。
「お兄様!」
サナの声が聞こえる。
振り返ると、サナとエドがこちらを見ていた。もちろん、その二人のすぐ横には専属護衛がいる。
「みんな待っていますよ!」
「ああ。今行く」
俺は海から視線を外した。
過去を忘れる必要はない。
でも、今の俺には今の人生がある。
俺を呼んでいるのは、今の俺の人生で出会った人たちだ。
「……行くか」
俺は皆のもとへ戻った。
◆
その後の夏休みは、あっという間に過ぎていった。
葡萄畑を歩き、醸造所を見学し、隣のアリフレータ男爵領ではオリーブ畑も見た。港では大陸各地から来た商人たちが行き交い、この土地の産業がどのように動いているのかを知ることもできた。
もちろん、勉強ばかりではない。
海で遊び、サナやエドと笑い、学院の友人たちとも随分と距離が近くなった。
学院では第一王子派という立場が付きまとう。
だが、この夏だけは、それを少し忘れることができた。
ただ一緒に遊んで。
ただ一緒に笑った。
それだけの時間だった。
◆
そして、夏休み最後の日。
俺は一人、海岸に立っていた。
夕方の海は静かだった。
遠くではサナとエドが専属護衛に見守られながら海を眺めている。さらにその向こうには、学院の友人たちがいる。
明日には王都へ戻る。
学院も再び始まる。
また授業がある。
また貴族たちと顔を合わせる。
また第一王子として振る舞わなければならない。
俺は海を見つめた。
この夏は楽しかった。
葡萄畑を見た。
海で遊んだ。
友人たちと笑った。
そして、森に続いて海でも美咲との思い出を思い出した。
懐かしかった。
少し寂しかった。
けれど、それだけではない。
こうして何も考えずに海を眺めていると、ほんの少しだけ心が軽くなる。
俺は目を閉じた。
今まで、ずっと前へ進もうとしてきた。
強くならなければ。
知識を身につけなければ。
王子として相応しくならなければ。
国を守れる人間にならなければ。
そう思ってきた。
けれど――。
自分の心を休めることができる場所は、いったいどこなのだろう。
王宮か。
学院か。
王都か。
それとも、この海か。
あるいは、森か。
まだ、答えは分からない。
ただ。
こうして過去を思い出しながら、今の自分として静かに過ごす時間は、悪くなかった。
「……また来よう」
そう呟く。
海は答えない。
ただ静かに、波を寄せては返していた。
「殿下!」
遠くからゼバズの声が響く。
「そろそろお戻りください!」
「ああ!」
俺は最後にもう一度だけ海を見る。
そして、待っている皆のもとへ歩き出した。
夏休みは終わる。
明日から、また王立貴族学院が始まる。
自分の心を休めることができる場所がどこなのか。
その答えは――。
まだ、分からなかった。




