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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第2章 巡り合うには遠すぎて
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第17話 夏休み1 同級生と旅行

王立貴族学院へ入学して、初めての夏休みがやってきた。


 五年間の学院生活。


 その最初の学期が終わった。


 正直に言えば――思っていたより疲れた。


 授業そのものは問題ない。


 前世で高校まで通っていたこともあって、座学にはそこまで苦労しなかった。むしろ、この世界特有の歴史や法制度、貴族社会の仕組みを学べるのは面白かった。


 面倒だったのは、人間関係の方だ。


 何しろ、ここにいるのは普通の子供ではない。


 伯爵家の嫡男。


 子爵家の令嬢。


 男爵家の子弟。


 中央騎士家の子供。


 王族。


 王弟カシウス公爵家の子供。


 将来、この国の政治や軍事を担う可能性がある連中ばかりだ。


 入学して数か月。


 すでに仲の良い者もいれば、露骨に距離を取る者もいる。


 当然、俺が第一王子だからという理由だけで近づいてくる奴もいた。


 逆に、俺が第一王子だからという理由だけで嫌ってくる奴もいた。


 まあ。


 貴族社会なんて、そんなものだろう。


 そして夏休み。


 俺は王宮に戻り、久しぶりに学院とは違う空気を味わっていた。


 だが――。


「殿下」


 部屋に入ってきたゼバズが言う。


「夏季休暇について、陛下よりお話がございます」


「夏季休暇?」


「はい。今夏は少し趣向を変えるとのことです」


「……嫌な予感しかしないな」


「何故です?」


「こういう時のゼバズは、大抵ろくなことを持ってこない」


「心外ですな」


 そう言いながら、ゼバズは笑っていた。


 その時点で、もう信用できない。


 そして。


 案の定だった。


「今年の夏は、ウィーヌム子爵領で過ごすことになった」


「……母上の実家?」


 父上が頷く。


「そうだ」


 ウィーヌム子爵領。


 母上の実家であるウィーヌム子爵家が治める領地だ。


 王都から離れた西部。


 豊かな土地と穏やかな海を持つ地域で、特に名を知られているのが――葡萄だった。


 この領地で栽培される葡萄は品質が高い。


 その多くはそのまま食べるためではなく、高級ワインへと加工される。


 熟成に適した葡萄として大陸各地で評価されており、遠く離れた地方からも貴族や商人が買い付けに訪れるほどだ。


 つまり、ウィーヌム子爵領は小さな領地に見えて、実際にはかなりの経済的価値を持つ。


 そして隣接するアリフレータ男爵領では、オリーブの生産も盛んだ。


 葡萄。


 オリーブ。


 そして――海。


「……なるほど」


 俺は地図を眺める。


「夏の休暇先としては、かなりいい場所だな」


「でしょう?」


 父上が笑う。


「今年は家族だけでなく、第一王女、第三王子、それにお前の学院の友人たちも連れていく予定だ」


「学院の友人?」


「ああ」


 その言葉を聞いて、俺は少し驚いた。


「第一王子派の子たちも?」


「そうだ」


 第一学年の生徒。


 エリシア。


 そして、その他の第一王子派に属する子供たち。


 さらにカイ。


 ゼバズ。


 そして――。


「ルリウスも行く」


「……随分と大所帯だな」


「せっかくの夏なのだ。学院では派閥だの家格だのを気にすることもあるだろう」


 父上はそこで一度言葉を切った。


「だからこそ、たまにはそれを忘れて遊べばいい」


 なるほど。


 理屈としては分かる。


 学院ではどうしても、全員が貴族として振る舞う。


 第一王子である俺に対しても、友人というより「第一王子派の人間」として接する者もいる。


 ならば。


 学校の外で、普通の子供として過ごす時間を作る。


 悪くない。


 むしろ、俺自身も少し興味があった。


 学院では見ることのできない、彼らの素顔が見られるかもしれない。


「……分かった」


 俺は頷いた。


「参加する」


 そうして――。


 俺たちは夏のバカンスへ向かうことになった。


              ◆


 出発当日。


 王都の門前には、すでに大勢の人間が集まっていた。


「……多すぎないか?」


 俺は思わず呟いた。


 今回の旅は、単なる家族旅行ではない。


 第一王子を含む王族。


 第一王女サナ。


 第三王子エドリアン

(親しくなれたので愛称でエドと呼んでいる)


 学院の友人たち。


 そして、その護衛。


 王族が長距離を移動する以上、安全を疎かにはできない。


 そのため今回は、第一軍団から騎士百名、兵士四百名を動員することになった。


 さらに、足りない部分については傭兵団を雇う。


「……五百人?」


 俺が確認すると、ゼバズが頷いた。


「騎士百、兵士四百です」


「多いな」


「殿下、それが普通です」


「俺たちは旅行に行くだけだぞ」


「王族の旅行は、旅行だけでは済みません」


「……だよな」


 前世の普通の家族旅行を思い出す。


 父親が運転する車。


 母親。


 荷物。


 せいぜい数人。


 それに対して今世は――。


 王族数名。


 騎士百。


 兵士四百。


 さらに傭兵。


 もう旅行というより軍事行動である。


「しかも」


 ゼバズが続ける。


「ウィーヌム子爵領は海岸地域です。万が一、海賊や盗賊などが現れれば、少人数の護衛では対応できません」


「海賊……」


 なるほど。


 確かに海がある以上、水上の危険も考える必要がある。


 それにウィーヌム子爵領は高級葡萄の産地。


 貴族や商人が頻繁に出入りする。


 経済的に重要な土地でもある。


 王族が訪問するとなれば、普段以上に警戒するのも当然か。


「……まあ、いい」


 俺は馬車へ乗り込んだ。


 護衛の数は多い。


 だが、その分安心して遊べる。


 今回は政治視察でもない。


 軍事遠征でもない。


 あくまで――。


 交流と静養。


 学院でできた友人たちと過ごす、初めての夏休みだ。


 馬車が動き始める。


 王都の門を抜ける。


 同行する騎士たちが進み、後方には兵士たちが続く。


 さらに傭兵団が隊列の各所に配置されている。


 長い行列だ。


「……本当にすごいな」


 窓から外を見る。


 騎士。


 兵士。


 傭兵。


 そして、王族の馬車。


 前世なら絶対に経験しなかった光景だ。


 しばらく走ると、王都の街並みが遠ざかっていく。


 建物が減る。


 緑が増える。


 やがて、街道の周囲には広々とした農地が広がり始めた。


 隣では、サナが楽しそうに外を眺めている。


 エドも窓から顔を出そうとして、侍従に止められていた。


 そんな光景を見ていると――。


 少しだけ、肩の力が抜けた。


 学院では、どうしても身分を意識する。


 俺も第一王子として接する。


 相手も貴族として接する。


 でも。


 ここでは違う。


 少なくとも、今だけは。


 友人たちと夏を楽しめる。


「……こういうのも悪くないな」


 俺はそう呟いた。


              ◆


 数日後。


 ウィーヌム子爵領。


 俺たちは領都へ到着した。


 最初に目に入ったのは――。


 一面に広がる葡萄畑だった。


「……すごい」


 丘陵地に沿って、葡萄の木々がどこまでも続いている。


 整然と並ぶ畝。


 実をつけた葡萄。


 その向こうには青い海が見える。


 夏の日差しを受けて、海面が輝いている。


 さらに街道沿いには、ワイン商人の荷馬車がいくつも行き交っていた。


 貴族向けの高級ワインを扱う商人。


 葡萄を買い付けに来た商人。


 領地内の醸造所へ向かう荷車。


 活気がある。


「母上の実家って、こんな場所だったのか」


 俺は思わず窓から身を乗り出した。


「危ないですよ、殿下」


「分かってる」


 そう言いながらも、視線は外れない。


 さらに領都を抜けると、今度は海が近くなった。


 白い砂浜。


 青い海。


 強い日差し。


 そして――。


「海だ!」


 サナが声を上げた。


 エドも目を輝かせる。


 エリシアたちも歓声を上げる。


 俺も思わず笑った。


 なるほど。


 これは確かに、バカンスに向いている。


 学院生活とは、まるで違う。


 勉強も。


 派閥も。


 礼儀作法も。


 今は忘れてしまっていい。


「殿下」


 ゼバズが声をかける。


「何だ?」


「今回の旅は静養が目的です」


「分かってる」


「くれぐれも無茶は――」


「分かってるって」


 俺は海を見る。


 青い。


 どこまでも広い。


 前世で見た海とは違う。


 それでも――。


 この世界にも、こういう場所がある。


 俺は少しだけ笑った。


「……せっかくの夏休みだ」


 俺は馬車から降りる。


 目の前には海。


 その向こうには、この大陸のどこかへ続く水平線。


 政治でもない。


 戦争でもない。


 暗殺でもない。


 商会抗争でもない。


 今日はただ――。


 友人たちと夏を楽しむ。


 それでいい。


 俺は海岸へ向かって歩き始めた。


 こうして。


 俺の十歳の夏休みは――。


 ウィーヌム子爵領で始まった。

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