エピローグ 狩猟大会
9歳になった。カイはもう11歳になり、王立貴族学院の2年生だ。
そして俺ももうすぐ王立貴族学院に入学する。
なので俺の隣にいるのはジジイゼバズ、婚期を逃して発狂しているマリー、相変わらず影の薄いグラフィル
という微妙な組み合わせになってしまったのは何故だろう?
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そして、9歳の夏。
王都から少し離れた場所にある、王家直轄の森林へ俺は来ていた。
毎年この時期になると、王族と王弟公爵、そして国内の有力な伯爵たちが集まり、狩猟大会が開かれる。
名目だけを見れば、ただの狩りだ。
だが、実際には少し違う。
この国において、一般貴族の最高位は伯爵だ。ここに集まる伯爵たちは、それぞれが領地を持つ有力者でもある。
そんな男たちが同じ森を歩き、同じ獲物を追い、狩りを終えれば同じ卓を囲む。
これは、貴族しか持っていない野生動物を誰がどれだけ狩っていいかを決める権利である狩猟権を持つ貴族だけの特権であり、最高の娯楽でもある。
そのため、平民は肉を食べるのに高額な金銭を支払ってやっと家畜の肉にありつけるのだ。
領地の話をする者もいれば、交易の話をする者もいる。婚姻について話す者もいるし、王宮では口にしにくい政治の話をする者もいる。そして狩猟の腕を見せることによって自らの優秀さを誇示する。
つまり、狩猟大会とは――男性貴族にとっての社交場でもある。
俺も第一王子として、その中に加わっていた。
「殿下、そろそろ出発のお時間です」
「ああ」
護衛に返事をして、俺は森へと足を踏み入れた。
木々の間から差し込む陽光。
風に揺れる葉。
踏みしめるたびに沈む柔らかな土。
遠くから聞こえる鳥の声。
どれも、この世界では珍しくもないものだった。
それなのに――。
「……」
俺は、ふと足を止めた。
何かを見つけたわけではない。
獲物の気配を感じたわけでもない。
ただ、妙に懐かしかった。
「……この感じ」
思わず口から言葉が漏れる。
もちろん、俺は前世の記憶を覚えている。
佐藤湊として生きた十七年間も、美咲と過ごした時間も、告白した日のことも。
何一つ忘れてはいない。
だから、この感覚の正体にもすぐ気づいた。
森だ。
この森そのものが懐かしいわけではない。
森という場所が、前世の記憶を引っ張り出している。
俺は周囲を見回した。
この世界の森と、日本の雑木林では何もかも違う。
木の種類も違うし、空気も違う。
それでも、木々の隙間から差し込む光や、土の匂い、枝葉の擦れる音が、俺の記憶の奥に眠っていたものを次々と引きずり出してくる。
「……ああ」
思い出した。
美咲と遊んだ森だ。
家から少し離れたところにあった、小さな雑木林。
子供の足でも歩いていける程度の場所だった。
俺たちは、暇があればそこへ行った。
木の枝を拾って剣に見立てたり、どちらが先に奥まで行けるか競争したり、適当な場所に秘密基地を作ろうとして、結局すぐに飽きたり。
今思えば、本当にくだらないことばかりだった。
けれど――。
あの頃の俺たちは、それが楽しかった。
目を閉じる。
すると、あの日の光景が浮かんだ。
『湊、早く!』
『待てって、美咲!』
小さな美咲が前を走っている。
俺はその後を追いかける。
何を競っていたのか。
ただ遊んでいただけなのか。
もう細かいことは覚えていない。
ただ、二人とも笑っていた。
「……ふっ」
思わず笑みがこぼれる。
こんな記憶、すっかり忘れていた。
いや。
忘れていたというより、思い出す必要がなかったのだ。
転生してからの俺には、王子としての生活がある。
政治。
王家。
貴族。
軍事。
魔法。
この世界で生きていくために覚えなければならないことは、いくらでもあった。
だから、前世の些細な思い出など、わざわざ考えることもなかった。
だが――森を歩いていると、そういう記憶が勝手に蘇ってくる。
それも、一つではない。
雨の日。
俺と美咲は、森の中で雨宿りをしたことがあった。
『濡れた……』
『だから帰ろうって言っただろ』
『湊だってついてきたじゃん』
『美咲が行くって言ったんだろ』
『じゃあ同罪ね』
『なんだよ、それ』
思い出す。
あの時も、俺たちは笑っていた。
今となっては、どうしてあんなことで笑えたのか分からない。
けれど。
そんな何でもない時間が、今になって妙に懐かしい。
「……美咲」
名前を口にする。
返事があるはずもない。
俺は再び歩き始めた。
森の奥へ進むにつれて、さらに別の記憶が蘇ってくる。
大きな木の根元に座ったこと。
木の実を拾ったこと。
帰り道にくだらない話をしたこと。
俺が歴史の話を始めると、美咲が呆れた顔をしていたこと。
それでも、最後まで話を聞いてくれていたこと。
そんな記憶の一つ一つが、古いアルバムをめくるように浮かんでは消えていく。
「……懐かしいな」
俺は小さく呟いた。
そして、その感情の奥にあるものにも気づく。
懐かしいだけではない。
少しだけ、寂しい。
前世の俺は、もう死んでいる。
佐藤湊という人間も、この世界には存在しない。
そして――美咲との関係も、あの日の告白を最後に途切れている。
『それが、恋なのか分からないの』
あの日の言葉が蘇る。
「……」
俺は黙った。
やっぱり、あの記憶だけは少し苦い。
好きだった。
今でもそう思う。
けれど、あの時の俺は何もできなかった。
美咲が自分の気持ちを整理できていないことも分かっていた。
だから、待つことにした。
急がなくていいと伝えた。
――そして、そのまま死んだ。
「……人生って、本当に分からないな」
苦笑する。
まさかその後、別の世界で王子として生まれ直すなど、誰が想像できただろう。
そして今。
俺は森の中にいる。
前世の美咲との思い出を、こうして一つずつ思い返している。
不思議だった。
転生してから今まで、俺は前世を引きずっているつもりはなかった。
この世界で生きることに精一杯だったからだ。
だが――。
こうして思い出してみると、佐藤湊としての俺も確かに今の俺の中にいる。
王子としての俺。
前世の高校生だった俺。
どちらも俺だ。
「……そろそろ戻るか」
俺は森の出口へ向かった。
振り返ると、木々の隙間から夕方の光が差し込んでいる。
その景色を見ながら、俺はもう一度だけ美咲のことを思い出した。
あの頃は、何をするにも一緒だった。
森で遊んで。
帰り道を歩いて。
くだらない話をして。
そんな何でもない時間が、今になって妙に懐かしい。
「……本当に、懐かしいな」
小さく呟く。
「殿下、そろそろお時間です」
「ああ、分かった」
俺は護衛の待つ場所へ向かって歩き出した。
今日は随分と昔のことを思い出したな...
森を出た俺は、待機していた護衛たちと合流し、そのまま狩猟大会の会場へ戻った。
その後は、他の貴族たちが仕留めた獲物を見たり、父上や伯爵たちの話を聞いたり、食事をしたり。
いつも通りの狩猟大会だった。
森の中で思い出した美咲のことも、帰る頃には頭の片隅へと追いやられていた。
別に忘れたわけではない。
ただ――。
今の俺には、今の生活がある。
そういうことなのだろう。
そうして社交などの政争や商会の抗争に明け暮れているうちに
季節が巡っていった。




