第38話 戦闘開始
「殿下」
カイが一枚の紙を差し出した。
「平民街から新しい報告が届いております」
俺は紙を受け取る。
そこには、今夜のアルゲントゥム商会とヘーロース商会連合の動きが簡潔にまとめられていた。
「……どうやって王宮まで?」
「副内務卿兼副外務卿の手の者が、使用人に偽造して定期的に王宮へ報告を届けております」
なるほど。
浮浪児たちが直接王宮へ来るわけではない。
それでは目立ちすぎる。
俺が用意した家には、浮浪児たちをまとめる年長の少年を置いている。
彼らから集めた情報を一度そいつが整理する。
その後、王宮へ出入りする者――例えば市場への買い出しや物資の納入に関わる人間を介して、カイのところへ届けさせる。
「報告の頻度は?」
「通常は二日に一度です。ただし、重要な情報があった場合は臨時で届けることになっています」
「今夜は?」
「先ほど臨時報告が届きました」
俺は紙を見る。
つまり――。
浮浪児たちが戦場を監視する。
異変を見つける。
拠点へ戻る。
そこで情報を整理する。
そして、王宮へ伝える。
俺は直接平民街を見ているわけではない。
あくまで、自分で作った小さな情報網から報告を受け取っているだけだ。
「……なら、続きを聞こう」
「はい」
カイが報告書を開く。
「殿下。アルゲントゥム商会側から、戦場を離れる者が出ています」
「何人だ?」
「六人です」
「どこへ向かっている?」
「西側の裏路地へ向かっています」
「……戦闘から逃げているだけか?」
「分かりません。ただ、他の者とは動きが違います」
「なら、追わなくていい。行き先だけ確認しろ」
「よろしいのですか?」
「ああ」
俺は地図を見る。
「重要なのは、誰が逃げたかではない」
「では?」
「どこへ逃げるかだ」
アルゲントゥム商会が追い詰められた時、幹部や連絡役がどこへ向かうのか。
それを知るだけでも十分な情報になる。
「無理に近づくな。見失っても構わない」
「承知しました」
「損害を抑えることを最優先にしろ」
そう言って、俺は報告書へ視線を戻した。
今の俺には、敵を捕らえる力はない。
ならば――。
敵がどこへ逃げるのかを知ればいい。
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そして俺も戦闘が起こっている現地に向かった。
商会同士の衝突は、すでに始まっていた。
路地の奥ではヘーロース商会側の傭兵たちと、アルゲントゥム商会の徒党集団が激しくぶつかっている。
怒号が飛び交う。
剣が打ち合わされる音が響く。
その混乱に乗じて、俺たちはアルゲントゥム商会の後方へ回り込んでいた。
「今だ!」
合図とともに、浮浪児たちが一斉に動く。
短剣を投げる。
ナイフが飛ぶ。
クロスボウから矢が放たれる。
狙いは敵を倒すことではない。
隊列を崩すことだ。
「後ろだ!」
「何者だ!」
「追え!」
アルゲントゥム商会の人間たちが混乱する。
その隙に、ヘーロース商会側の傭兵たちが前方から押し込んだ。
前後から挟まれたことで、アルゲントゥム商会側の隊列が崩れていく。
――予定通りだ。
俺は物陰から戦場を観察する。
だが、その時だった。
「……あれは?」
一人だけ、動きが違った。
アルゲントゥム商会の傭兵たちが混乱している中、その男だけは周囲を冷静に見ていた。
仲間の位置。
敵の数。
退路。
そして――俺たちの位置。
「……まずいな」
男がこちらを見た。
目が合った。
次の瞬間。
男がこちらへ走り出した。
「殿下!」
カイの声が聞こえる。
俺はその場から離れた。
男も追ってくる。
俺は路地を曲がる。
さらに曲がる。
人の少ない区画へ入る。
後ろから足音が近づいてくる。
――こいつを、戦場から切り離す。
俺はそう判断した。
やがて、周囲から戦闘の音が遠ざかっていく。
最後に聞こえた剣戟の音が消えた。
俺は立ち止まった。
振り返る。
男も立ち止まった。
周囲には誰もいない。
狭い路地。
逃げ道は前後に一つずつ。
男は剣を構えた。
「……子供?」
俺は答えない。
男の姿を観察する。
先ほどまでの動き。
無駄がない。
呼吸も乱れていない。
そして――。
男の身体から、赤い光が滲み出した。
「身体強化……」
さらに剣にも赤い光がまとわりつく。
「武具強化まで……」
普通の傭兵ではない。
俺は剣を抜いた。
「お前……帝国軍だな」
男の目が細くなる。
「なぜ、それを知っている?」
やはり。
俺の推測は当たっていた。
「その動きは、ただの傭兵にはできない」
男が一歩踏み込む。
「ならば――」
一瞬だった。
男の姿が消えたように見えた。
次の瞬間、目の前に剣が迫る。
俺は身体強化を発動させ、横へ跳んだ。
剣が壁を掠める。
石片が落ちる。
速い。
七歳の身体では、まともに受ければ押し切られる。
なら――。
俺は地面を見る。
そして、男の足元へ視線を戻した。
「……氷結」
魔力が地面を走る。
青白い氷が、路地の石畳を一気に駆け抜けた。
男が反応する。
だが、遅い。
氷が足元へ到達した瞬間――
地面から氷の槍が突き上がった。
男は身体を捻って回避する。
完全には避けきれず、動きを崩す。
その瞬間。
俺は踏み込んだ。
「今度は――俺の番だ」
剣を構える。
男も体勢を立て直す。
互いに距離を取る。
周囲には誰もいない。
商会同士の戦闘も、ここまでは届かない。
ここだけが、完全に切り離された戦場になっていた。
男が剣を構える。
俺も剣を構える。
七歳の王子と、帝国の特殊部隊員。
本来なら、勝負になるはずのない二人だった。
だからこそ――。
俺は考える。
正面から戦う必要などない。
相手の強さを利用する。
地形を使う。
魔術を使う。
そして何より――。
相手が俺をただの子供だと思っている、その認識を利用する。
「来い」
男が踏み込んだ。
俺は剣を握り直した。
ここから先は――
誰にも邪魔されない。
俺と、この男だけの戦いだ。
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しばらく斬り結ぶが俺には受け流すことしかできない。
俺の持っている神器は目立ちすぎる。
そのため普通の剣で切り結んでいるが、上級身体強化魔法でなんとか持ちこたえている状況だ。
やむを得ないな...
男が再び踏み込んできた。
「――氷結」
青白い氷が地面を走った。
そして_
男の真下で生えた氷の槍が男を貫いた。
男はもう、動かない。
俺は黙って剣を収めた。
「……終わったか」
不思議と、手は震えていなかった。
怖くないわけではない。
ただ、今の俺には考えなければならないことがある。
生き残ること。
サナを守ること。
そして――母上と祖父を奪った者たちの正体を突き止めること。
俺は倒れた男から視線を外した。




