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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 岸田減税
最終章 第二次ルイーナエ大戦
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第73話 戦時特進

ヴァルが第二歩兵連隊と合流した頃には、帝国軍による第一防壁の制圧は、既に最終段階に入っていた。


 先ほどまで市街の大通りで交戦していたアイティクィランド軍は、帝国軍の攻勢を受けて各所で後退を余儀なくされており、第一防壁から第二防壁に至る地域の大部分は、既に帝国軍の支配下に置かれていた。城門から侵入した帝国軍に加え、城壁に梯子を掛けて侵入した部隊も市街地へ進出しており、残された敵兵を排除しながら前進を続けていたのである。


 ヴァルは、第二歩兵連隊の兵士たちと合流した後、まず周囲の状況を確認した。第一歩兵連隊は、突如として発生した大規模な氷によって壊滅的な被害を受けており、先ほどまでともに行動していた兵士たちの多くが、既に戦闘を継続できない状態に陥っていた。さらに、ジェルもまた、国王と王妃を守るアイティクィランドの護衛騎士たちを引きつけるために殿として残っており、その後の消息は分からないままだった。


 ヴァル自身も、少数の兵士とともに家屋の裏口から逃走することができたものの、これまでの戦闘で受けた疲労は大きく、精神的にも決して平静ではいられなかった。何より、親友であるジェルを置き去りにしてしまったという事実が、いつまでも心に残っていたのである。


 それでも、ヴァルは立ち止まるわけにはいかなかった。ジェルが自分を逃がすために殿として残った以上、せめて自分は生き延びなければならない。そして、彼の無念を晴らすためにも、国王を討ち取るという目的を諦めるつもりはなかった。


 第二歩兵連隊との合流を果たしたヴァルは、連隊の兵士たちから戦況について説明を受けた。帝国軍は第一防壁を突破した後も進撃を続け、第二防壁の目前に至るまでの市街地を制圧している。残存するアイティクィランド軍は第二防壁への後退を続けており、帝国軍はその追撃を行いながら、周辺に残る抵抗を排除していた。


 ヴァルは、その説明を聞きながら、先ほどまで自分たちがいた大通りの惨状を思い返した。あの場所では、銀髪と碧眼の青年が大規模な氷を生み出し、周囲の帝国兵を一挙に行動不能に陥らせていた。もしも自分たちが家屋に身を隠していなければ、第一歩兵連隊のほかの兵士たちと同じような結果になっていたかもしれない。


 それでも、ヴァルたちは生き延びた。ジェルが殿として残ったことで、自分たちが逃げる時間を確保できたのである。生き残ったことへの安堵と、親友を置き去りにした罪悪感が入り交じるなか、ヴァルは第二歩兵連隊の兵士たちとともに、前進を続ける帝国軍の状況を確認していた。


ヴァルは先ほどの光景を思い返した。あのとき、自分たちは家屋の陰から氷の発生を目撃していたが、実際にどの程度の範囲に影響が及んだのかまでは、正確に把握できていなかった。周囲にいた帝国兵が次々と氷に包まれ、ほとんど抵抗できないまま動きを止めていたことだけは、はっきりと覚えている。


 しかし、第二歩兵連隊の兵士たちの証言によって、ヴァルがもう一つ気になっていた事実も明らかになった。彼らは、氷が発生した直後に、銀髪と碧眼の青年だけでなく、その傍らにいた金髪の少女の姿も確認していたのである。


「あのとき、国王の隣にいたのは王妃だったらしい。金髪で、紅色の瞳をした少女だという話だ」


 その言葉を聞いた瞬間、ヴァルは思わず顔を上げた。


「王妃だと?」


「ああ。俺たちの小隊の兵士が目撃している。国王が氷を発生させた直後、帝国兵が国王へ接近したが、その攻撃を王妃が庇ったらしい」


「庇った……?」


「そうだ。王妃は国王の前に飛び出し、代わりに剣を受けたという。その後、護衛騎士たちが王妃を連れて後退したため、生死までは確認できていないが、相当な傷を負ったように見えたそうだ」


 ヴァルは、その証言を聞いて言葉を失った。


 間違いない。自分が斬りつけた少女は、やはりアイティクィランドの王妃だったのだ。


 あのとき、彼は国王を討ち取ることだけを考えて剣を振るった。しかし、その刃が届いたのは国王ではなく、彼を庇った王妃だった。しかも、王妃は自分が斬りつけた直後も国王を抱き込むように庇っており、その表情は苦痛に歪んでいた。


 ヴァルは、改めて自分の行動を思い返した。国王を討ち取ろうとした結果、目の前の少女を傷つけてしまったことに対する罪悪感は、今もなお消えていない。まして、彼女が重傷を負った可能性が高いと聞かされれば、先ほどまで抑え込んでいた感情が再び胸の奥から湧き上がってくる。


 それでも、彼は自分が王妃を斬りつけたという事実を否定することはできなかった。


「おい、ヴァル。お前、もしかして……」


 第二歩兵連隊の兵士が、彼の様子を見て何かに気づいたように声をかけた。


 ヴァルは一瞬だけ迷ったものの、やがて小さく頷いた。


「ああ。俺が斬ったんだ」


 その言葉を聞いた兵士たちは、驚いた表情を浮かべた。王妃を襲撃した帝国兵が、まさか目の前にいるヴァルだったとは思っていなかったのだろう。もっとも、彼らにとって重要なのは、その攻撃が王妃に命中したという事実だった。


「本当にお前が?」


「ああ。国王を討ち取ろうとしたが、王妃が割り込んできた。あのときは、まさか自分が王妃を斬ることになるとは思ってもいなかった」


 ヴァルは、そう答えながら視線を落とした。彼自身、あの出来事を誇らしい戦果として語ることなどできなかった。国王を討ち取ろうとした結果、王妃を傷つけてしまい、さらにジェルを置き去りにして逃げることになったのである。彼にとって、その一連の出来事は、戦功という言葉だけでは片付けられないものだった。


 しかし、第二歩兵連隊の兵士たちの受け止め方は違っていた。


 王妃に重傷を負わせた可能性があるという事実は、帝国軍にとって大きな戦果として扱われるだけの意味を持っていたのである。特に、長期間にわたる戦闘で損害を重ね、兵士たちの士気が低下していた状況では、敵国の王妃を襲撃したという話は、兵士たちの意識を大きく変えるだけの力を持っていた。


 第二歩兵連隊の兵士たちは、ヴァルが王妃を斬ったという話を上官へ報告することにした。王妃の生死こそ確認されていないが、攻撃が命中したことは複数の兵士の証言からも裏付けられており、帝国軍にとって無視できない成果だったからである。


     ◇


 帝国南西部方面軍の指揮を担うティベリウス・デイ・クラウディウス陸軍大将は、第二歩兵連隊から届いた報告に目を通していた。


 第一防壁から第二防壁に至る市街地を制圧し、帝国軍が大きく前進したという報告は、既に彼のもとへ届いていた。しかし、それ以上に注目すべき内容が、今回の報告には含まれていた。アイティクィランド国王レノウィウスを襲撃した帝国兵が、王妃に剣撃を命中させたというのである。


「王妃に攻撃が命中したというのか」


 ティベリウスは、報告書から顔を上げた。


「はっ。第二歩兵連隊の兵士が、王妃が国王を庇い、斬撃を受けるところを目撃したとのことです。現時点では生死の確認には至っておりませんが、負傷したことは間違いないものと考えられます」


 報告を行った者の説明を聞いたティベリウスは、口元に笑みを浮かべた。これまで長期戦によって帝国軍は少なくない損害を被っており、戦場に投入された兵士たちの士気も徐々に低下していた。とりわけ、第一防壁での戦闘は激しく、先陣を任された部隊ほど消耗が大きくなっていたため、これまでのような勢いを維持することは容易ではなかった。


 そのような状況で、敵国の王妃を討ち取った可能性があるという報告は、帝国軍にとって非常に大きな意味を持つ。仮に王妃が死亡していれば、それは敵国の王族に対する重大な戦果となる。たとえ生存していたとしても、王妃に重傷を負わせたという事実は、長期戦で停滞していた兵士たちの士気を高める材料として十分だった。


「これは大きな戦果だな」


 ティベリウスは、報告書を手にしたまま、満足げに頷いた。


 帝国軍は、これまで幾度となくアイティクィランド軍と交戦してきたが、敵の抵抗は予想以上に激しく、戦争を短期間で終結させることはできていなかった。さらに、海上での戦闘や各地での交戦によっても損害は積み重なり、兵士たちの間には疲労と倦怠が広がっていた。そうした状況を打開するには、単に軍事的な成果を積み重ねるだけでなく、兵士たちに戦争を継続するだけの動機を与えることも必要だった。


 王妃を襲撃したという報告は、その目的に利用できる。敵国の王族を攻撃した兵士が大きな功績を認められれば、他の兵士たちにとっても、自らの働きが評価されるという明確な目標になる。しかも、王妃を襲撃した少尉を大きく昇進させることができれば、目に見える形で功績が報われることを示せるのである。


「その少尉の名前は?」


「ヴァル少尉です。帝国南西部方面軍第二師団第一歩兵連隊に所属し、これまで先陣として複数の戦闘に参加しております」


「そうか。では、そのヴァル少尉を戦時特進させる」


 ティベリウスは、迷うことなくそう告げた。


 通常であれば、昇進には相応の勤務実績や功績が必要となる。しかし、戦時中においては、特別な戦果を挙げた者に対し、通常の昇進とは異なる措置が認められる場合がある。今回のヴァルの功績は、王妃を討ち取った可能性があるという点で、通常の戦果とは異なる意味を持っていた。


「ヴァル少尉を二階級特進させ、大尉に昇進させる。今回の功績を正式に記録し、中央政府へも報告しろ」


「二階級特進でございますか?」


「そうだ。現在の戦況を考えれば、兵士たちの士気を維持することも重要だ。敵国の王妃を襲撃した可能性があるという功績を、これほど明確に示せる機会はそう多くない。戦功に見合う待遇を与えることは、他の兵士たちにも、自らの働きが正当に評価されるということを示すことになる」


 ティベリウスは、今回の昇進を単なる個人への褒賞とは考えていなかった。むしろ、長期戦によって低下している帝国軍全体の士気を回復させるための措置として捉えていたのである。


 そのため、彼はヴァルの功績を可能な限り大きく扱うことを決めた。少尉から大尉への二階級特進は、通常の昇進では考えられないほど大きな待遇の変化である。それでも、敵国の王妃を襲撃したという功績を考えれば、軍全体に与える影響も含めて十分に意味があると判断していた。


 さらに、ティベリウスは軍人としての昇進だけではなく、ヴァルに貴族位を与えることも検討した。帝国では、武勲を挙げた者に対して騎士の貴族位を与える制度が存在しており、戦場での功績によって身分を高める道が用意されていた。


 ただし、貴族位の授与は軍の判断だけで完結するものではない。中央政府の承認を必要とする以上、ティベリウスは今回の功績を踏まえ、ヴァルへの授爵を正式に推薦することにした。


「加えて、中央政府へヴァル少尉への騎士の貴族位の授与を申請する。王妃を襲撃したという功績は、軍の内部だけで評価するものではない。帝国に対する大きな戦果として、正式に認めるべきだろう」


「承知いたしました。直ちに申請の準備を進めます」


 報告を担当した者は、ティベリウスの指示を受けて一礼した。


 ティベリウスは、ヴァルへの昇進と授爵を決めたことで、今回の戦果を帝国軍全体に知らしめるつもりだった。戦場で大きな功績を挙げた者が、それに見合う待遇を受けられるのであれば、ほかの兵士たちにも戦闘を継続する動機を与えることができる。長期戦によって疲弊していた軍にとって、目に見える形で功績を認めることは、士気を引き上げるための一つの手段となるはずだった。


 もっとも、今回の功績は王妃の生死が確認されていない以上、確定した戦果として扱えるものではない。しかし、ティベリウスは、敵国の王妃に攻撃が命中したという事実だけでも、軍の士気を高めるために十分な価値があると判断していた。


 その後、ヴァルへの二階級特進と貴族位授与の申請は、中央政府へ送られた。


     ◇


 数日後、中央政府から勲章としてヴァルへの騎士の貴族位授与が正式に承認された。


 これにより、ヴァルは少尉から二階級特進して大尉へ昇進するとともに、騎士の貴族位を与えられることになった。軍人としての昇進だけでなく、貴族としての身分まで得たことで、彼の立場は大きく変わることになったのである。


 騎士の貴族位に与えられる特権は、単に貴族として扱われるというものではなかった。貴族街に居住する権利を得られるほか、姓を名乗ることが許され、さらに一つの村を形式上の支配下に置くことが認められる。ただし、村に対する実際の統治権や行政上の権限が与えられるわけではなく、あくまでも形式的なものにとどまっていた。


 加えて、国から毎年一定の金銭が支給されることも、貴族位に伴う特権の一つだった。これらは騎士の貴族位を得た者に認められる待遇であり、ヴァルもまた、今回の授爵によってそのすべてを得ることになった。


 そして、大尉への昇進によって、ヴァルの軍務にも大きな変化が生じることになった。これまで小隊を率いて戦場に立っていた彼は、昇進に伴い、百人の兵士を率いる部隊長に任じられたのである。指揮する兵力は十個小隊で構成されており、これまでのように自らの小隊だけを率いる立場とは、責任の大きさが大きく異なっていた。


 ヴァルにとって、それは予想していなかったほど大きな変化だった。少尉として戦場に出て以来、彼は幾度となく危険な任務を任され、そのたびに生き残ることだけを考えてきた。今回も、国王を討ち取ろうとした結果、王妃を斬りつけることになり、さらに親友であるジェルを置き去りにして逃げるという決断を下さなければならなかった。


 それにもかかわらず、帝国軍は彼の行動を大きな功績として評価し、二階級特進と貴族位の授与という破格の待遇を与えたのである。


 もちろん、ヴァル自身が今回の功績を素直に喜べたわけではなかった。王妃を斬りつけたことに対する罪悪感は消えておらず、ジェルを置き去りにしたことへの後悔も残っていた。それでも、軍から与えられた待遇を拒むことはできず、彼は大尉として新たな任務を担うことになった。


 その後、第二師団は、これまでの作戦で受けた大きな損害と、所属兵士の質の低下などを理由として解体されることになった。長期戦による損耗は部隊の編制を維持することを難しくしており、これまでのような組織としての運用を続けることが困難になっていたのである。


 第二師団の解体に伴い、所属していた兵士たちは、それぞれ別の部隊へと再配置されることになった。ヴァルもまた、その対象となり、第三師団第二歩兵連隊への転属を命じられた。


 大尉への昇進によって百人を率いる立場となり、騎士の貴族位まで得たヴァルだったが、所属していた第二師団そのものは解体され、これまでともに戦ってきた兵士たちとも離れることになった。帝国軍は戦場での損害を踏まえ、部隊の再編を進めており、ヴァルもその一環として新たな連隊へ移ることになったのである。


 こうして、ヴァルは第三師団第二歩兵連隊に所属する大尉として、新たな軍務を始めることになった。


 だが、彼の胸中には、昇進や授爵による喜びだけでは片付けられない思いが残っていた。王妃を襲撃した功績が認められた一方で、その王妃がどうなったのかは分からない。そして、殿として残ったジェルの消息も、いまだに確認できていなかった。


 帝国軍から与えられた待遇は、これまでの戦闘に対する評価であると同時に、今後も戦場で成果を挙げることを期待されている証でもあった。ヴァルは、その立場を受け入れ、新たな部隊を率いることになったが、親友を置き去りにしたという記憶だけは、昇進によって消えることはなかった。

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