第33話 貴族至上主義の本質
商会へ向かう騎士家の馬車に偽造し貴族街を抜け、途中で馬車から降りた。護衛はカイだ。
そうして途中で馬車を降りる。
そうして平民街を歩いていると、目の前で一人の少年が転んだ。
年齢は、俺とそう変わらない。
痩せ細った身体。
汚れた服。
伸び放題の髪。
浮浪児だ。
少年は慌てて立ち上がろうとした。
だが、その前に一台の馬車が止まった。
貴族の馬車だった。
「何をしている!」
御者が怒鳴る。
少年は何度も頭を下げた。
「す、すみません……!」
「馬車に傷がついたらどうする!」
「わざとじゃ……」
「言い訳するな!」
御者が少年の肩を蹴った。
少年が地面に倒れる。
周囲の平民たちは、誰も止めようとしない。
ただ、視線を逸らしている。
俺は足を止めた。
――なるほど。
これが、この国の日常か。
貴族が平民を見下す。
平民はそれを当然のこととして受け入れる。
その構図を、俺は以前から知識として理解していた。
だが、実際に目の前で見ると少し違う。
「……」
俺は少年を見る。
助けること自体は簡単だ。
俺が一言命じればいい。
だが――。
それで何が変わる?
この少年を助けたところで、明日には別の誰かが同じ目に遭う。
この貴族を罰したところで、別の貴族が同じことをする。
そもそも、この国では貴族が平民より上位にあることそのものが制度として認められている。
ならば、問題は目の前の貴族ではない。
もっと根深い。
俺は考える。
なぜ貴族は、自分たちが平民より優れていると思っているのか。
血筋。
家柄。
生まれ。
確かに、それらを理由にする者は多い。
だが、本当にそれだけなのか。
俺は違うと思う。
貴族は幼い頃から教育を受ける。
読み書きを学ぶ。
歴史を学ぶ。
政治を学ぶ。
法律を学ぶ。
領地経営を学ぶ。
一方で、多くの平民にはその機会がない。
その結果、政治や経済について詳しいのは貴族。
文字を読めるのも貴族。
国家を動かせるのも貴族。
そうなれば、貴族自身がこう考えるようになる。
――自分たちは生まれつき優秀なのだ、と。
そして平民も、それを信じる。
貴族が政治を理解できるのは血筋が違うから。
貴族が文字を読めるのは、生まれが違うから。
平民が勉強したところで貴族にはなれない。
ならば、学ぶ意味もない。
そうして次の世代にも同じ価値観が受け継がれる。
俺はそこで、一つの結論にたどり着いた。
――これは、単なる差別ではない。
もっと厄介なものだ。
支配体制そのものを維持するための仕組みだ。
誰が作ったのかは分からない。
だが、遠い昔の支配者階級にとって、これほど都合のいい思想はない。
「貴族だから優れている」
そう信じ込ませればいい。
貴族自身にも。
平民にも。
そうすれば、平民が支配階級に挑戦する理由そのものが失われる。
努力しても意味がない。
生まれが違う。
そう思わせてしまえば、支配は極めて安定する。
俺は目の前の少年を見る。
この少年に教育を与えれば、どうなるだろう。
読み書きを教える。
計算を教える。
歴史を教える。
政治を教える。
もしかしたら、優秀な人材になるかもしれない。
だが――。
そのためには、この国の教育制度そのものを変える必要がある。
平民にも教育を与える。
貴族以外から官僚を登用する。
身分ではなく能力で人間を評価する。
そんな制度に変えれば、この国の人材は間違いなく増える。
だが同時に――。
現在の貴族社会そのものを揺るがす。
貴族の既得権益を削る。
貴族の支配を弱める。
そして、俺自身の王位継承にも影響する。
今の俺には、それをやるだけの力がない。
いや。
仮に力があったとしても――。
今やるべきではない。
俺は少年から視線を外した。
「……行こう」
「え?」
カイが驚いた顔をする。
「殿下、この子を……」
「放っておけ」
俺は歩き出す。
「ですが――」
「一人を助けることに意味がないとは言っていない」
足を止めずに答える。
「だが、一人を助けるために国の仕組みを壊すのは、もっと愚かだ」
カイが黙る。
俺は淡々と続けた。
「この国を変えるなら、目の前の一人を救うのではなく、こういう人間が生まれ続ける仕組みそのものを変える必要がある」
「……」
「そして、それを今の俺にはできない」
少年の声が、背後から聞こえてくる。
俺は振り返らなかった。
助けようと思えば、助けられた。
だが、助けなかった。
罪悪感は――ない。
少なくとも、今は。
俺が必要としているのは善人という評価ではない。
国を変えるための力だ。
一人を救って満足する王になるつもりはない。
千人を救うために一人を見捨てる。
それが正しいとは思わない。
だが――。
一人を救うために、千人を救える可能性を捨てるつもりもなかった。
俺は前を向く。
この国を変える。
そのために必要な力を手に入れる。
それまでは――。
目の前の問題に、いちいち感情を動かされるつもりはなかった。




