第32話 冷えていく心と失われた均衡
祖父が死んだ。
その報せを聞いたとき、俺はしばらく黙っていた。
悲しかった。
当然だ。
祖父は俺にとって、数少ない心を許せる家族だった。
だが――泣くことはなかった。
泣いたところで、祖父は戻らない。
それどころか、今の俺には泣いている時間すら惜しかった。
母上が死んだあの日から、俺の中では何かの優先順位が変わってしまったのだと思う。
悲しむことよりも先に、考える。
失ったものではなく。
次に何を失う可能性があるのかを。
今の俺が守るべきものは三つ。
俺自身。
妹のサナ。
そして――この王宮で生き残るために必要な情報。
母上を殺した黒幕を見つけることも、その先にある。
犯人を見つけなければ、俺もサナも安全にはならない。
だから調べる。
必要なら利用する。
必要なら、切り捨てる。
感情は、その後でいい。
……いや。
一つだけ、例外がある。
サナだ。
あの小さな妹だけは、俺にとって計算の外にいる。
サナは、王宮の醜さを何も知らない。
誰と誰が敵対しているのか。
どの貴族が誰を利用しているのか。
なぜ母上が死んだのか。
なぜ祖父まで死んだのか。
何も知らない。
ただ俺を見つければ笑う。
「お兄様」
そう呼んで、小さな手で俺の服を掴む。
それだけだ。
俺は、そんなサナを見るたびに思う。
――この子には、こんな世界を知らなくていい。
王位継承。
派閥。
暗殺。
帝国。
陰謀。
そんなものとは無縁のまま育ってほしい。
少なくとも、俺が生きている間は。
そのためなら、俺は何でもする。
……そう決めていた。
だが、祖父の死は俺だけではなく、王宮そのものを変えた。
これまで王宮には、目に見えない歯止めがあった。
祖父――先王マグヌスだ。
アンティクイ公国時代から王国成立までを知る唯一に近い人物。
第一王子派にも、第二王子派にも、第三王子派にも属さない。
だからこそ、派閥同士が衝突すれば祖父が止めた。
「そこまでにしておけ」
その一言で、引く者は多かった。
祖父に絶対的な権力があったからではない。
祖父には、王位継承争いそのものを止めるつもりはなかった。
王位を巡って争うこと自体は、避けられない。
だが――
国を壊してまで争うことだけは許さなかった。
その一点についてだけは、祖父は誰に対しても譲らなかった。
だからこそ、均衡が保たれていた。
そして今。
その歯止めが消えた。
分かりやすいほどに、王宮の空気が変わった。
第一王子派は、俺を次代の王として確保しようと動き始める。
第二王子派は、それを阻止しようとする。
第三王子派も、自分たちの立場を守るために動き始めた。
これまでなら、祖父が一歩引いたところから全体を見ていた。
もう、それはいない。
つまり――
これからは、誰も止めてくれない。
王位継承争いは、今までより露骨になる。
そして、その中心にいるのは俺だ。
七歳。
王位継承順位第一位。
だが、七歳の王子にできることなど限られている。
爵位を与えられない。
官職を与えられない。
軍を自由に動かせない。
法を変えることもできない。
今の俺が持っている最大の武器は――第一王子という肩書だけだ。
だからこそ、焦る必要はない。
今すぐ権力を握る必要もない。
むしろ、焦って動けば警戒される。
警戒されれば、情報が入らなくなる。
情報がなくなれば、俺は何もできなくなる。
ならば――
今は静かにしていればいい。
そう考えていた。
そんな俺のところへ、今日もサナがやってくる。
「お兄様」
振り返る。
小さな身体。
幼い顔。
何も知らない瞳。
俺を見つけると、嬉しそうに笑っている。
俺はその頭を撫でる。
「どうした?」
「一緒にいて」
「……ああ」
短く答える。
サナは嬉しそうに俺の隣へ座った。
俺はその横顔を見る。
そして、心の中で一つだけ決める。
――この子には、絶対に手を出させない。
そのためなら、俺は冷たくなれる。
誰かに嫌われてもいい。
誰かに恐れられてもいい。
必要なら、誰かを利用する。
必要なら、誰かを切り捨てる。
王宮で生き残るためなら、それくらいは当然だ。
そんな中、新たな報告が届いた。
祖父を襲った者たちについてだった。
当初は脱走兵の可能性が疑われていた。
だが、調査が進むにつれて別の事実が浮かび上がった。
彼らは単なる脱走兵ではなかった。
帝国軍の潜入部隊である可能性が高い。
しかも、それだけではない。
彼らは以前からアンティクイランド国内で活動していた形跡があった。
そして、その調査を進める中で――母上の暗殺事件との接点まで浮かび上がった。
母上に毒を渡した侍女。
その侍女へ暗殺を依頼したとみられる人物。
その人物と接触していた商会。
――アルゲントゥム商会。
さらに、その商会には帝国の潜入部隊が傭兵として雇われていたという情報まで出てきた。
俺は報告書を机の上に置いた。
偶然。
そう考えることもできる。
だが、俺は偶然を信じない。
母上の暗殺。
祖父の暗殺。
帝国の潜入部隊。
アルゲントゥム商会。
そして、祖父の死によって急速に動き始めた王位継承争い。
これらが全て一つの線で繋がっているのか。
それとも、いくつかの事件が偶然重なっているだけなのか。
現時点では分からない。
だから――調べる。
ただし、正面からではない。
俺が第一王子として商会を調べれば、相手は警戒する。
兵を動かせば、証拠を隠される。
王宮から人を派遣すれば、相手に「調べられている」と教えるようなものだ。
ならば。
俺自身が見る。
王子ではなく。
ただの少年として。
そこで初めて、俺は王宮の外へ目を向けた。
平民街。
アルゲントゥム商会。
そこで何が行われているのか。
誰が出入りしているのか。
誰と繋がっているのか。
俺自身の目で確認する。
危険はある。
当然だ。
だが――
母上は死んだ。
祖父も死んだ。
そして、祖父が死んだことで王宮の均衡まで崩れ始めた。
次に誰が狙われるかなど、考えるまでもない。
俺か。
それとも――
サナか。
その可能性を考えた瞬間、胸の奥が冷えた。
怒りではない。
悲しみでもない。
ただ、結論だけがあった。
――先に潰す。
俺たちを狙う者が誰なのかを見つける。
その目的を知る。
そして、必要ならこちらから手を打つ。
母上を殺した者も。
祖父を殺した者も。
俺やサナに手を伸ばす者も。
一人ずつ。
確実に。
俺は窓の外を見る。
王宮の外には、俺の知らない世界が広がっている。
貴族だけではない。
商人がいる。
平民がいる。
裏社会がある。
帝国の人間がいる。
そして――敵もいる。
ならば、知らなければならない。
王宮の中だけを見ていても、真実には届かない。
俺は立ち上がった。
「……行こう」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
七歳の王子が、一人の少年として街へ出る。
それは、ただの偵察ではない。
俺にとっては――
初めて、自分の意思で王宮の外へ手を伸ばす瞬間だった。
そしてこの日。
俺は初めて理解した。
王宮で生き残るためには、王宮だけを見ていてはいけない。
ならば――
見る。
聞く。
覚える。
そして、利用する。
必要なものは、すべて手に入れる。
俺自身と。
サナの命を守るために。
そしていつか――
母上と祖父を奪った者たちへ、必ず辿り着くために。
俺は初めて、平民街へ足を踏み入れた。
第1章が政争前編、第2章が政争後編(戦争も入ってくる)、第3章が戦争前編、第4章が戦争後編(完結)
のようなストーリーで制作していく予定です。
現在は政争前編の終盤に入ったかな?くらいです。
大まかなストーリーはもう頭の中でできているので、
内容や文をチャットGPTなどを使って詰めていくような感じで進めていきます。




