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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第1章 誕生と王国の影
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第31話 先王の祈り

夏の午後。


アンティクイランド王国北西部。


広大な森林を領地に抱える、とある男爵領へ続く街道を、一団の馬車が進んでいた。


目的は狩猟。


その一行の中心にいるのは、先王――マグヌス・ゲンス・デイ・アンティクイランド。


五十七歳。


すでに王位を息子へ譲っているものの、その身体には未だ往年の力強さが残っている。


馬車の窓から森を眺めながら、マグヌスはふと目を細めた。


「……懐かしいな」


眼前に広がる森。


この景色を見ると、どうしても昔を思い出す。


まだ、アンティクイランド王国という国が存在していなかった頃。


この地はアンティクイ公国と呼ばれていた。


そしてマグヌスは、その公国を治める公爵だった。


当時のアンティクイ公国は、アエテリア帝国の支配下にあった。


帝国の命令を受ければ兵を出し、帝国の戦争となれば自らも戦場へ赴いた。


帝国軍の軍装を身に纏い、帝国の旗の下で剣を振るったこともある。


だが――。


諸国連合との戦争。


その最中、マグヌスは帝国を裏切った。


自ら率いるアンティクイ公国軍を帝国軍から離反させ、諸国連合と呼応。


帝国軍を打ち破った。


その戦いをきっかけに、アンティクイ公国は独立した。


やがて公国は王国となり。


マグヌスは初代国王となった。


あの日のことを、マグヌスは今でも覚えている。


泥にまみれた大地。


疲弊した兵士たち。


焼け落ちた村。


そして、戦場に初めて掲げられたアンティクイランドの旗。


あれから、長い年月が過ぎた。


公国は王国になった。


自分は王になった。


息子が生まれた。


そして、孫も生まれた。


「……随分と遠くまで来たものだ」


マグヌスは小さく笑った。


その脳裏に、一人の少年が浮かぶ。


第一王子。


レノウィウス。


まだ七歳。


だが、妙に大人びた子供だった。


周囲をよく見ている。


人の言葉をよく聞いている。


そして何より――。


子供とは思えないほど、冷静だった。


「……あいつは、どんな王になるのだろうな」


独り言のように呟く。


今日はレノウィウスは同行していない。


七歳の王子を危険の伴う狩猟へ連れてくる必要はない。


マグヌス自身も、それを当然のことだと思っていた。


だから――。


この時は、何も疑わなかった。


やがて馬車が森の入口へ差しかかった。


先頭の騎士が突然、手を上げる。


「停止!」


馬車が止まった。


マグヌスが顔を上げる。


「どうした?」


「前方に人影がございます」


護衛騎士が答えた。


森の奥から、数人の男たちが姿を現す。


武装している。


しかし、装備は統一されていない。


服装も乱れている。


「……脱走兵か?」


護衛の一人が呟いた。


アエテリア帝国では、昨年から内戦が続いている。


帝国軍と反皇帝勢力との戦闘によって、兵士が戦場から逃亡すること自体は珍しくない。


「陛下。馬車の中へ」


護衛騎士が前へ出る。


だが――。


マグヌスは動かなかった。


男たちを見ている。


武器。


盾。


足の位置。


視線。


互いの距離。


一つずつ確認する。


そして。


「……違う」


護衛騎士が振り返った。


「陛下?」


「脱走兵ではない」


マグヌスの声が低くなる。


「……あれは兵士だ」


「しかし、あの装備では――」


「装備は偽装だ」


マグヌスは立ち上がった。


帝国軍にいた頃の記憶が蘇る。


あの立ち方。


あの距離。


あの視線。


「帝国軍だ」


その瞬間。


男たちが一斉に動いた。


「敵襲!」


怒号が響く。


騎士たちが剣を抜く。


馬が嘶く。


街道が、一瞬で戦場へ変わった。


マグヌスも剣を抜いた。


「……私を狙っていたか」


かつて帝国軍に所属していた。


そして帝国を裏切った。


ならば――。


狙われる理由はいくらでもある。


「陛下、お下がりください!」


「必要ない」


マグヌスは前へ出た。


「ここで退けば、護衛の死が無駄になる」


敵が迫る。


マグヌスの剣が閃いた。


一人。


二人。


老いてなお、その剣は鋭かった。


しかし――。


敵の数が多い。


そして、彼らの動きは練度が高かった。


一人ずつではない。


互いを補いながら、確実にこちらの人数を削ってくる。


マグヌスは理解した。


これは暗殺だ。


ただの襲撃ではない。


自分を確実に殺すための部隊だ。


そして――。


長くは持たなかった。


戦いの中で、マグヌスの身体に大きな衝撃が走った。


「……っ」


膝をつく。


視界が揺れる。


それでも、剣だけは手放さなかった。


目の前に敵兵が立つ。


マグヌスはその男を見上げた。


不思議だった。


恐怖はなかった。


ただ――。


「……そうか」


自分の人生が、ここで終わる。


そう理解した。


帝国に従った。


帝国を裏切った。


公国を独立させた。


王国を作った。


王になった。


そして――。


王位を息子へ譲った。


十分だった。


そう思った。


だが。


一つだけ。


「……レノ」


孫の顔が浮かんだ。


七歳の少年。


妙に大人びた目。


それでも時折見せる、年相応の表情。


「……あいつは……」


そこまで呟いて、マグヌスは一度目を閉じた。


本当なら。


もっと見ていたかった。


剣を教えることもできた。


狩りに連れていくこともできた。


王になる姿を、この目で見ることもできた。


だが――。


それは、もう叶わない。


マグヌスは空を見上げた。


青かった。


自分が生まれた国の空。


自分が命を懸けて手に入れた国の空。


「……レノ」


もう一度だけ、その名を呼ぶ。


「……生きろ」


それだけだった。


王としての言葉でもない。


祖父としての長い遺言でもない。


ただ、一人の老人が最後に残した言葉だった。


「……強くなれ」


マグヌスの瞳から、ゆっくりと力が失われていく。


そして――。


アンティクイ公国最後の公爵。


アンティクイランド王国初代国王。


マグヌス・ゲンス・デイ・アンティクイランド。


一つの国を生み。


その国を愛し。


息子を愛し。


孫を愛した男の生涯は、ここで終わった。


だが――。


その死は、まだ誰にも知られていなかった。

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