第30話 成長
俺は、七歳になった。
五歳の頃から続けている武術訓練も、今ではすっかり日課になっていた。
朝には剣を振る。
身体強化魔術を使いながら基礎体力を鍛え、アトラシート伯爵から教えられた剣術を何度も繰り返す。
刀のような形状を持つ神器を自在に扱うため、足運び、体重移動、間合いの取り方、斬撃の軌道、受け流しからの反撃まで、一つずつ身体に覚え込ませていった。
五歳の頃は、剣を持つだけでも精一杯だった。
だが、今では少なくとも――。
「剣を扱う」
という行為そのものに苦労することはなくなっている。
もちろん、まだまだ未熟だ。
アトラシート伯爵とまともに戦えば、俺は一瞬で負けるだろう。
それでも、五歳の頃と比べれば大きな進歩だった。
魔術の訓練も続けている。
身体強化魔術。
武具強化魔術。
上級身体強化魔術。
上級武具強化魔術。
それぞれを繰り返し使い、魔力の制御を磨いていく。
そして、大神殿と王宮から集められた書物をもとに、魔法の研究も続けていた。
氷槍。
氷壁。
氷結。
氷城。
まだ完全に自由自在とはいかない。
それでも、魔力を集中させ、詠唱と魔法陣を安定させる技術は、少しずつ身についてきていた。
以前は魔法陣を展開するだけで精一杯だった。
今では、小規模ながら魔法を発動させられることもある。
三百年に一度。
そう呼ばれる力。
それが本当に俺の中に存在しているのかは、まだ分からない。
だが――少なくとも、可能性がある以上、鍛えておく価値はある。
そして。
俺が力を蓄えていたのは、剣や魔術だけではなかった。
政治についても、学び続けていた。
貴族家同士の関係。
派閥。
婚姻。
領地。
官職。
財産。
商業。
軍事力。
御前会議での発言。
誰が誰の意見に賛成するのか。
誰が誰と繋がっているのか。
誰が第一王子派で、誰が第二王子派なのか。
そして――どこに中立派が存在しているのか。
母上から教えられた知識を土台にしながら、実際の王宮で起きる出来事を観察し、自分なりにこの国の政治構造を理解しようとしていた。
そして俺自身も、第一王子派へ引き込めそうな貴族には接触していた。
だが――。
思うようにはいかなかった。
一人をこちらへ引き込もうとすれば、その家と関係の深い別の家が警戒する。
第二王子派との関係を切らせようとすれば、長年積み重ねてきた婚姻や利害関係が立ちはだかる。
中立派へ近づけば、今度は第二王子派も同じ相手へ接触してくる。
そして何より――。
俺には、相手に提示できる「手札」が少なかった。
第一王子という立場はある。
だが、俺はまだ七歳だ。
俺自身の判断だけで爵位を与えることはできない。
官職を約束することもできない。
領地を与えることもできない。
ましてや、国家予算を動かすことなど不可能だ。
「俺を支持してくれれば、将来は必ず報いる」
そう言ったところで、相手からすれば――。
その「将来」が本当に来るのかすら分からない。
王位継承争いにおいて、第一王子という肩書きは確かに大きい。
しかし。
七歳の第一王子には、七歳なりの限界がある。
俺がどれだけ政治について考えても、最後に立ちはだかるのは年齢だった。
だから、俺自身による貴族の引き抜きは、ほとんど成果を上げられなかった。
だが――。
第一王子派全体で見れば、何も起きなかったわけではない。
むしろ。
俺の知らないところで、大きな動きが起きていた。
その中心にいたのが――第三王妃だった。
第三王妃は、中立派との接触を続けていた。
特に狙いを定めたのが、王弟カシウス公爵家の次男を支持する勢力だった。
カシウス公爵家そのものは、中立を維持している。
だが、公爵家次男を支持する法衣貴族たちの中には、第二王子派への合流を警戒している者も少なくなかった。
第三王妃は、そこへ少しずつ働きかけていった。
将来の官職。
第一王子が王位を継承した後の政治体制。
彼らが得られる権益。
そして――第二王子派へ加わった場合に起こり得ること。
相手が何を求めているのかを探りながら、一人ずつ交渉していった。
そして、その結果――。
第三王妃は、カシウス公爵家次男を支持する勢力の取り込みに成功した。
法衣貴族のおよそ一割。
それだけの貴族が、新たに第一王子派へ加わった。
数字だけを見れば、一割。
だが、政治の世界では決して小さくない。
それまで中立を維持していた貴族たちが、明確にこちら側へ移ったのだ。
第一王子派の勢力図は確かに変化した。
第二王子派との勢力差も縮まった。
――だが。
第二王子派も、黙って見ていたわけではなかった。
第三王妃が中立派を取り込んだ直後。
第二王子派は、王弟派の三男を支持する勢力へ働きかけた。
そして――こちらも取り込みに成功した。
結果として。
第一王子派は、
領地貴族――五分。
法衣貴族――四割。
第二王子派は、
領地貴族――九割五分。
法衣貴族――六割。
依然として、第二王子派の方が圧倒的に強い。
「……俺が何年かけてもできなかったことを、第三王妃はやってのけたのか」
その事実を知ったとき。
俺は少しだけ複雑な気分になった。
俺は本を読み、人の話を聞き、政治を理解しようとしてきた。
自分なりに貴族との関係も築こうとしていた。
それでも、ほとんど何も動かせなかった。
一方で第三王妃は――。
大人たちの世界で交渉を行い。
相手の利益を見極め。
必要な条件を提示し。
実際に人間を動かした。
派閥そのものを動かした。
だが。
考えてみれば当然なのだ。
俺は七歳。
第三王妃は大人だ。
政治の世界で使える手札も、経験も、人脈も、俺とは比較にならない。
そもそも、同じ土俵に立っていない。
だから俺は、その事実を冷静に受け止めることにした。
今の俺にはできない。
ならば――。
できるようになるまで待てばいい。
その間に力を蓄える。
剣。
魔術。
知識。
人脈。
政治。
今は何一つ大きな結果を出せなくても。
それらは、いつか必ず自分を支える。
そう考えているうちに――。
時間だけが過ぎていった。
カイは九歳になった。
まだ少年らしさを残しているものの、護衛騎士見習いとしての訓練は着実に進んでいる。
俺の側近となるために、剣術や礼儀作法を学び、少しずつ騎士としての顔つきになってきていた。
あと一年もすれば、王立貴族学院への入学だ。
「……大きくなったな」
そう言うと。
「殿下より二歳上ですからね」
カイは苦笑した。
相変わらず、俺への態度だけは昔とあまり変わらない。
それが少しだけ嬉しかった。
そして――。
マリーは二十五歳になった。
この世界の貴族社会では、すでに結婚適齢期を大きく過ぎている。
本人もそのことを気にしているらしい。
最近では婚姻話が出るたびに、露骨に嫌そうな顔をする。
……まあ。
お疲れ様です。
ゼバズは五十二歳。
俺からすれば、もはや完全にジジイである。
先王は五十七歳。
こちらも十分にジジイだ。
そして父上は三十一歳。
俺から見れば、まだまだ若い。
そんな人々に囲まれながら――。
俺は日々を過ごしていた。
そして。
気づけば、俺は七歳になっていた。
「……もう七歳か」
時間が経つのは早い。
五歳の頃には、母上から授業を受けながら、この国の政治構造を理解するだけで精一杯だった。
今では、少しだけその先が見えるようになっている。
第一王子派。
第二王子派。
その中で誰が誰を支持しているのか。
誰と誰が婚姻関係にあるのか。
どの家がどの官職を握っているのか。
どの領地がどの産業によって富を得ているのか。
どの貴族が軍事力を持っているのか。
そして――。
誰が、誰に不満を抱いているのか。
第三王妃が中立派の一部を取り込んだことで、勢力図も変化した。
だが。
まだ足りない。
第二王子派は依然として強い。
領地貴族の大半を押さえ、法衣貴族にも大きな影響力を持っている。
今の俺には、それを覆すだけの力がない。
だからこそ――。
急ぐ必要はない。
今の俺に必要なのは、無理に政治を動かすことではない。
いずれ自分の言葉だけで人間を動かせるようになるために。
今は、力を蓄えることだ。
俺は鏡に映った自分を見る。
七歳の少年。
まだ王太子ですらない。
ただの第一王子。
自分だけの判断で国家を動かすことなど、まだできない。
けれど――。
その立場が永遠に続くわけではない。
時間は、誰に対しても平等に流れる。
俺にも。
弟たちにも。
そして――今この国を動かしている大人たちにも。
ならば。
今は待てばいい。
いつか俺自身が、
決定される側ではなく、決定する側へ回る。
その日まで。
剣を振る。
魔力を鍛える。
知識を蓄える。
人間を観察する。
そして――。
自分に足りないものを、一つずつ埋めていく。
俺は今日も訓練場へ向かった。
朝の光を浴びながら、神器を握る。
五歳の頃には、持つだけで精一杯だった剣。
今では、その重さにも慣れた。
構える。
足を開く。
腰を落とす。
呼吸を整える。
そして――。
振る。
一閃。
「……まだ遅い」
自分で分かる。
ならば、もう一度。
振る。
二度。
三度。
何度でも。
今は、これでいい。
政治を動かせないのなら。
政治を動かせる人間になるための準備をすればいい。
剣を扱えないのなら。
剣を扱えるようになればいい。
魔法を使えないのなら。
使えるようになるまで学べばいい。
人を動かせないのなら。
人を動かせるだけの知識と力を身につければいい。
七歳の俺にできることなど、まだ少ない。
だが――。
七歳だからこそできることもある。
時間だ。
俺には、大人たちよりも多くの時間が残されている。
ならば。
その時間を無駄にはしない。
いつか。
俺がこの国の未来を決める日が来る。
そのときになってから力を求めても、遅い。
だから今は――。
ただ、積み上げる。
一日。
また一日。
剣を振り。
魔力を鍛え。
知識を蓄え。
人を知る。
そうして俺は、少しずつ――。
王になるための準備を始めていた。




