第29話 御前会議4 対応決定
翌日。
御前会議では、再び議論が始まった。
帝国軍の動向を警戒すべきだという者。
帝国との関係を維持すべきだという者。
国境防衛を強化すべきだという者。
逆に、帝国を刺激するような軍備増強には反対する者。
それぞれが自分の立場から意見を述べ、そのたびに別の貴族が反論する。
昨日から何度も繰り返されている議論だった。
それでも、結論は出ない。
理由は簡単だ。
誰もが自分にとって最善の答えを求めているからだ。
国家全体にとっての最善ではない。
自分の領地。
自分の家。
自分の官職。
自分の利益。
それらを守ったうえで、国家にとっても悪くない選択を探している。
だから、意見が一致するはずがない。
俺は黙って、その様子を眺めていた。
やがて――。
「もうよい」
父上が口を開いた。
その声だけで、会議室が静まり返る。
「諸卿の意見は十分に聞いた」
父上は一人ずつ貴族の顔を見渡した。
「これ以上議論を続けても、大きく結論が変わるとは思えぬ」
誰も反論しなかった。
「よって、王国としての方針を決定する」
そして父上は、帝国情勢に対する今後の方針を示した。
対帝国国境に駐屯している千人の部隊は維持する。
帝国軍の動向を継続的に監視する。
帝国との交易は可能な限り維持する。
そして、帝国内戦が国境へ波及した場合に備え、必要に応じて追加部隊を派遣できる体制を整える。
帝国内戦そのものには介入しない。
どちらの勢力にも加担しない。
帝国を刺激するような軍事行動も避ける。
しかし――無防備にもならない。
極めて慎重な方針だった。
だが、俺にはそれで十分に見えた。
今の状況で、これ以上の答えを出すのは難しい。
帝国がどうなるのか、誰にも分からないのだから。
「では、本日の御前会議はこれにて終了とする」
父上の言葉とともに、貴族たちが一斉に立ち上がる。
「お疲れ様でした」
「では、失礼いたします」
それぞれが挨拶を交わしながら退室していく。
俺も母上に促され、会議室を後にした。
こうして――俺が初めて見学した御前会議は終わった。
だが。
俺にとっては、ここからだった。
御前会議を見学して以来、俺は政治について学ぶ時間を増やした。
母上から教えられた貴族制度をさらに詳しく調べる。
各家の領地。
官職。
財産。
婚姻関係。
親族関係。
過去の派閥関係。
誰が誰と付き合いがあるのか。
誰が誰を嫌っているのか。
誰が利益で動き、誰が名誉で動き、誰が家名を何よりも重視するのか。
少しずつ覚えていった。
そして――人を動かす方法についても考え始めた。
もちろん、俺自身が表立って政治活動をするつもりはない。
今の俺が前面に出れば、それだけで警戒される。
だから、最初は小さなところから始めた。
「カイ」
「はい、殿下」
「マスドリート子爵家について知っていることはあるか?」
「マスドリート子爵家ですか?」
「ああ。セドリック先生の実家だ」
俺は手元の資料を見る。
「王立貴族学院だけじゃない。教務卿兼宮内卿まで輩出している。王宮との関係も深い」
「……それが何か?」
「知りたいだけだ」
カイは少し困った顔をした。
「何を、でしょうか?」
「何でもいい」
俺は顔を上げた。
「誰と親しいのか。どこの家と婚姻関係があるのか。どんな人物を重用しているのか。第二王子派との関係は深いのか。それとも中立なのか」
「……承知しました」
別の日には、母上に遠回しに他の貴族家について尋ねた。
父上や祖父の会話から、誰と誰が親しいのかを覚えた。
御前会議では、誰が誰の発言に頷いたのかを観察した。
俺が欲しかったのは――情報だった。
もちろん、味方も欲しかった。
第一王子派を強固にするため、将来的にこちらへ引き込めそうな家を探した。
だが。
現実は、思っていたほど簡単ではなかった。
「殿下のお気持ちは大変ありがたいのですが……」
そう言って曖昧に笑う貴族。
「我が家は現在のところ、どちらの王子殿下にも肩入れするつもりはございません」
そう答える貴族。
「ありがたいお話ではありますが、我が家にはすでに長年のお付き合いがございますので」
そう断る貴族。
理由は様々だった。
第二王子派との婚姻関係。
領地同士の繋がり。
官職。
商業上の利益。
親族関係。
そして――俺自身の年齢。
どれだけ理屈を並べても、最後にはそこへ行き着く。
五歳の王子。
相手は、何十年も政治をやってきた貴族。
俺がどれだけ政治構造を理解していても、相手から見れば俺は「将来の王子」でしかない。
しかも、今の俺には与えられるものがない。
爵位を与えられない。
官職も与えられない。
領地も与えられない。
軍を動かすこともできない。
金を自由に配ることもできない。
つまり――。
俺が持っているのは、第一王子という肩書きだけだった。
そこで、俺は一つの結論を出した。
今の俺が人を引き抜こうとする必要はない。
無理に動けば警戒される。
警戒されれば、こちらの手札を見せることになる。
それは損だ。
ならば――今は待てばいい。
誰が味方になるのか。
誰が敵になるのか。
誰が状況次第で寝返るのか。
それを覚えておく。
必要になったときに使えるようにしておけばいい。
そう考えるようになってから、俺の政治との向き合い方は少し変わった。
以前は、どうすれば貴族をこちらへ引き込めるかを考えていた。
今は違う。
まず観察する。
そして記録する。
判断するのは、その後だ。
人間は変わる。
立場も変わる。
利益も変わる。
だから、今の敵が十年後も敵とは限らない。
逆も同じだ。
今の味方が、十年後も味方とは限らない。
ならば――焦って決めつける必要などない。
俺はただ、情報を集め続けた。
そして、政治以外の訓練も止めなかった。
朝は身体を鍛え、剣を振る。
アトラシート伯爵から教えられた剣術を繰り返す。
身体強化魔術を併用し、剣を振るための身体そのものを鍛えていく。
魔術の訓練も続けた。
身体強化。
武具強化。
上級身体強化。
上級武具強化。
そして――氷結魔法。
「氷槍」
詠唱とともに魔法陣が展開する。
次の瞬間、青白い氷の槍が空中へ現れた。
「氷壁」
地面から氷の壁がせり上がる。
「氷結」
周囲の温度が一気に下がる。
そして――。
「氷城」
巨大な魔法陣が展開する。
まだ完全には制御できない。
だから、失敗する。
崩れる。
魔力が乱れる。
それでも、繰り返す。
一度できたことを二度できるようにする。
二度できたことを十度できるようにする。
十度できたことを――戦闘中でもできるようにする。
魔術も剣も、政治と同じだった。
一度できた程度では意味がない。
必要なときに使えなければ、持っていないのと同じだ。
だから鍛える。
何度でも。
毎日。
淡々と。
そんな生活を続けているうちに、季節がいくつも過ぎていった。
春が来る。
夏が過ぎる。
秋になる。
そして冬が来る。
また春が来る。
少しずつ身体が大きくなる。
剣を握る手も大きくなる。
魔力の制御も上達する。
知識も増えていく。
貴族の顔と名前も、かなり一致するようになった。
それでも――。
王宮の勢力図そのものは、大きく変わらなかった。
第一王子派。
第二王子派。
そして中立派。
三つの勢力が互いを牽制しながら、均衡を保っている。
俺一人が動いた程度では、どうにもならない。
ならば、今はそれでいい。
俺にはまだ時間がある。
そう考えていた。
そして――。
ある朝。
鏡の前に立った俺は、自分の姿を見て少しだけ目を細めた。
「……大きくなったな」
そこに映っていたのは、もう五歳の頃の自分ではない。
身体も少し大きくなった。
顔立ちも変わった。
我ながら――悪くない。
そして。
本当に、いつの間にか。
俺は――七歳になっていた。




