第29話 御前会議3 野心
父上が議論の再開を宣言すると、再び御前会議では各貴族たちの議論が始まった。
帝国軍を警戒すべきだという者。
帝国との関係を維持すべきだという者。
国境防衛を強化すべきだという者。
逆に、帝国を刺激する軍備増強には反対する者。
それぞれが自分の立場から意見を述べ、そのたびに別の貴族が反論する。
「帝国軍が国境まで進出した場合、現在の兵力では対応できません。中央軍の増員を検討すべきです」
「軍事費を増やせば財政への負担が大きくなる。帝国との戦争が長期化すれば、国家予算そのものが圧迫されます」
「だからこそ、今のうちに備えるべきなのです」
「それが帝国への敵対行為と受け取られれば、戦争を早めることになる!」
声が飛び交う。
俺は黙って聞いていた。
感情的にはならない。
どの意見にも、それなりの理由がある。
帝国が強大化すれば脅威になる。
帝国が弱体化すれば国境が不安定になる。
内戦が長引けば交易が滞る。
難民も流れてくる。
軍備を増強すれば財政を圧迫する。
軍備を増強しなければ、侵攻された際に対応できない。
――面倒な問題だ。
だが、国家というものはそういうものなのだろう。
一つの問題を解決すれば、別の問題が生まれる。
だからこそ、政治には正解がない。
あるのは――より損失の少ない選択だけだ。
俺は机の上の地図を見る。
帝国との国境。
交易路。
港。
街道。
軍の配置。
頭の中で、それぞれを繋げていく。
俺ならどうするか。
国境防衛を強化する。
ただし、露骨な増兵は避ける。
帝国内の複数勢力と情報経路を確保する。
交易は可能な限り維持する。
難民の流入にも備える。
そして、帝国がどのような形に変わっても対応できるようにする。
――これが今の俺にできる最善だ。
だが。
俺は口を開かなかった。
理由は簡単だ。
俺には権限がない。
それだけだ。
正しいかどうかは関係ない。
五歳の第一王子が発言したところで、それを政策として採用する人間はいない。
ならば、発言する意味もない。
「第一王子殿下のお考えも伺ってみては?」
そんなことを言われる可能性はある。
そのときは答える。
だが、自分から口を挟むつもりはなかった。
今の俺が何を言っても、それは「幼い王子の意見」でしかない。
だったら――。
黙って見ていればいい。
誰が何を言うのか。
誰が誰に賛成するのか。
誰が反対するのか。
誰が財政を気にするのか。
誰が軍事を優先するのか。
誰が帝国との交易を守ろうとするのか。
誰が国境の領主たちを気遣うのか。
そして――。
誰が、自分の利益を国家の利益より優先するのか。
俺は一人ずつ顔を見た。
この会議にいる貴族たちは、俺にとって未来の臣下だ。
今はまだ、俺を子供として扱っている。
それでいい。
むしろ、その方が都合がいい。
俺が何を考えているのか。
俺が誰を信用しているのか。
俺が誰を警戒しているのか。
知られない方がいい。
今の俺には、力がない。
ならば――少なくとも情報だけは集めておく。
俺は再び会議へ視線を戻した。
一人の子爵が発言する。
その直後、別の貴族が反論した。
俺は二人の顔を見る。
そして、頭の中に名前を記憶する。
次に誰かが発言する。
また記憶する。
誰が誰の意見に頷いたのか。
誰が視線を逸らしたのか。
誰が発言者を庇ったのか。
すべて覚えておく。
今は、それしかできない。
だが――それで十分だ。
人間関係は、時間をかければ見えてくる。
利害関係も、何度も会議を重ねれば見えてくる。
そして、人間の本質は、危機に直面したときほど表に出る。
帝国の内戦は、俺にとって絶好の教材だった。
俺は五歳だ。
軍を動かせない。
金も動かせない。
貴族に命令することもできない。
ならば、今の俺に必要なのは権力ではない。
権力を手にしたとき、誰を使い、誰を切り捨てるべきか判断できるだけの情報だ。
そのために、今は見る。
聞く。
覚える。
そして待つ。
焦る必要はない。
俺が王になるのは、今日ではない。
十年後かもしれない。
二十年後かもしれない。
その頃までに、この国のことを誰よりも知っていればいい。
誰が忠臣で。
誰が野心家で。
誰が金で動き。
誰が名誉で動き。
誰が家の利益を優先し。
誰が王国そのものを優先するのか。
全部、覚えておく。
――そして、必要になったときに使う。
俺は自分の拳を見る。
五歳の手。
小さい。
何もできない。
ならば、今はこの手を大きくする必要などない。
使えるものを増やせばいい。
剣。
魔術。
知識。
金。
人脈。
情報。
信用。
そして権力。
一つずつ集める。
十年後に一つ。
二十年後に一つ。
それでいい。
王座に座った瞬間から力を集め始めるようでは遅い。
王座に座る頃には――。
すでに勝負が終わっているくらいでいい。
俺は顔を上げた。
御前会議では、まだ議論が続いている。
誰も俺を見ていない。
それでいい。
今はそれでいい。
俺は静かに貴族たちを観察する。
この中に、将来俺の味方になる者がいる。
敵になる者もいる。
どちらでもない者もいる。
そして――。
まだ誰にも分からない者もいる。
ならば、今は決めない。
人は変わる。
状況も変わる。
だから、今の評価に固執する必要はない。
必要になったとき、その都度判断すればいい。
俺は五歳。
だからこそ、時間だけは誰よりも持っている。
焦る必要はない。
怒る必要もない。
悔しがる必要すらない。
今、何もできない。
それは事実だ。
ならば――。
できるようになるまで待てばいい。
そのために、今日も学ぶ。
明日も学ぶ。
そしていつか。
俺がこの会議で発言したとき――。
誰にも「子供の戯言」と笑わせない。
笑わせる必要すらない。
ただ、俺の言葉に従う以外の選択肢がない。
そんな立場まで行けばいい。
そのためなら、何年でも待つ。
俺は静かに会議室を見渡した。
五歳の俺にできることは少ない。
だが――。
五歳だからこそ、誰にも警戒されずに全員を見ることができる。
それは、決して小さな力ではなかった。
御前会議は、その日のうちに結論が出ず、翌日に持ち越された。
俺は最後まで一言も発しなかった。
ただ、見ていた。
聞いていた。
覚えていた。
そして――。
この日、俺の中から「何もできない」という悔しさが、一つ消えた。
代わりに残ったのは、もっと冷たいものだった。
いつか使える。
そう思えるだけで、今は十分だった。
主人公やる気満々!




