第28話 御前会議2 紛糾する議論
父上がそう宣言すると、しばしの沈黙が御前会議を包んだ。
最初に口を開いたのは、対帝国国境地帯を治める子爵の一人だった。
「恐れながら、陛下。私は帝国軍の動きを、これまで以上に警戒すべきだと考えます」
「理由を述べよ」
「帝国軍は現在、元老院絶対派および旧ウェトゥス派の構成国を攻撃しております。しかし、問題は内戦そのものではありません」
子爵が机の上の地図へ視線を落とした。
「この戦争が、最終的にどのような結末を迎えるのかです」
「帝国が両派を制圧した場合、ということか」
「はい」
子爵は頷いた。
「もし皇帝陛下が両派を完全に屈服させれば、帝国はこれまで以上に皇帝へ権力を集中させる可能性があります」
「つまり――」
「帝国が、今までより強大になる可能性がございます」
その言葉に、別の子爵が口を挟んだ。
「しかし、それはまだ仮定の話でしょう」
「何?」
「現在の帝国軍は、開戦から一年が経過したにもかかわらず、未だに両派を完全には制圧できていません」
その子爵は冷静に続ける。
「帝国が内戦に戦力を割いている今こそ、我が国にとっては防衛体制を整える好機ではないでしょうか」
「防衛体制を?」
「はい」
「帝国を刺激することになりませんか?」
「刺激するつもりはありません」
子爵は首を横に振った。
「ただ、帝国が内戦に集中している間に、国境防衛を強化しておくべきだと申し上げているのです」
「それには同意します」
別の子爵が口を挟む。
「しかし、あまりに露骨な軍備増強は避けるべきです」
「なぜだ?」
「我が国は帝国と直接国境を接しております。帝国軍が内戦で消耗しているからといって、我々が大規模な軍備増強を行えば、帝国から敵対行為と受け取られる可能性があります」
「では、帝国軍が国境へ到達してから備えるおつもりか?」
「そうは言っていない!」
声が強くなる。
「必要な防衛措置は取る。しかし、帝国を無用に刺激する行動は避けるべきだと言っている!」
「帝国が我々を敵と見なさない保証がどこにある!」
別の子爵が立ち上がった。
「昨年、帝国皇帝は自国内の政治勢力に対して軍を向けたのですぞ!」
「元老院絶対派も旧ウェトゥス派も、皇帝に対抗したというだけで粛清された!」
「そして、その構成国へ帝国軍が進軍した!」
「だからこそ慎重になるべきなのです!」
「慎重になった結果、帝国軍がこちらへ来たらどうする!」
「そのときは国王陛下の命に従い、軍を動かせばいい!」
「軍を動かしてからでは遅い!」
一気に声が飛び交い始めた。
俺は黙ってそれを眺めていた。
同じ帝国情勢を聞いているはずなのに、結論がまるで違う。
帝国が弱っている。
だから警戒すべきだという者。
帝国が弱っている。
だからこそ刺激してはいけないという者。
どちらも間違っているようには思えない。
むしろ、立場が違えば当然の結論なのだろう。
俺がそんなことを考えていると、今度は別の声が上がった。
「軍事の話だけをしていても仕方がありません!」
発言したのは、国境地帯を治める男爵の一人だった。
「帝国との交易路についても考えるべきです!」
「交易?」
「はい」
男爵は頷く。
「帝国との国境貿易が止まれば、我々の領地だけではなく、王国全体の交易にも影響が出ます」
その言葉に、財務卿ペクーニア伯爵が顔を上げた。
「具体的には?」
「帝国内へ輸出している農産物、毛織物、金属製品などがございます。それだけではありません」
男爵は地図を指差した。
「帝国を経由して、さらに他国へ流れている商品も多くございます」
「つまり、帝国内戦が長期化すれば、交易そのものが滞ると」
「その通りです」
「ならば、帝国との交易を維持するためにも、我が国は中立を維持すべきでしょう」
その言葉に、ガルディシア伯爵が口を開いた。
「中立、ですか」
「はい」
「帝国内で内戦が起きている以上、我が国が完全な中立を維持できるとは限りません」
会議室が静かになる。
ガルディシア伯爵は淡々と続けた。
「帝国側からすれば、我々がどちらかの勢力を支援していると疑われるだけでも問題になります」
「逆に、帝国と敵対する勢力からすれば、我々が帝国との交易を続けること自体が支援と見なされる可能性もあるでしょう」
「では、どうしろと?」
「交易を維持しながら、軍事的には中立を保つ」
「それができれば苦労はしません!」
再び声が飛ぶ。
「帝国軍が国境付近まで進出した場合、国境を閉じるのか?」
「それとも交易を続けるのか?」
「帝国と交戦状態になった場合はどうする!」
「その場合は――」
「その場合は、では遅い!」
また議論が激しくなる。
俺は椅子に座ったまま、机の上に広げられた地図へ視線を落とした。
帝国との国境。
交易路。
港。
街道。
そして王国軍の配置。
……なるほど。
これは単純な軍事問題ではない。
帝国が強くなれば脅威になる。
しかし、帝国が内戦で崩壊すれば、それはそれで国境が不安定になる。
帝国との交易が止まれば、国家財政にも影響する。
内戦が長引けば、戦場から逃げてきた人々が国境へ流れ込む可能性もある。
そして――。
「陛下」
静かな声が会議室に響いた。
アトラシート伯爵だった。
「私は、一つ確認しておきたいことがございます」
「申せ」
「現在、我が国は中央軍三千を保有しております」
アトラシート伯爵は地図を指した。
「そのうち千人を昨年から対帝国国境へ駐屯させております」
「うむ」
「しかし、帝国軍の規模を考えれば、我が国の中央軍三千という戦力は、決して大きなものではありません」
何人かの貴族が黙り込む。
「仮に帝国軍が我が国へ侵攻した場合、国境三領の領地軍と現在の駐屯部隊だけで、帝国軍を長期間食い止めることは困難でしょう」
「だからこそ増兵を――」
「お待ちください」
アトラシート伯爵が遮った。
「増兵するのであれば、誰がその費用を負担するのです?」
男爵が黙る。
「中央軍を増員するのであれば、当然ながら国家予算が必要となります」
「領地軍を増強するのであれば、各領地が負担しなければならない」
「しかし――」
「そして、軍を増やせば終わりという話でもありません」
アトラシート伯爵は続けた。
「兵士には食料が必要です。武器も必要です。装備を整え、訓練し、駐屯させる。その全てに金がかかります」
財務卿が頷く。
「軍務卿の言う通りです」
ペクーニア伯爵が静かに口を開いた。
「昨年の国家収支は黒字でした。しかし、だからといって無制限に軍事費を増やせるわけではありません」
「国庫には二万大金貨近くがございます」
別の貴族が口を挟む。
「それだけあれば、多少の増強は――」
「可能です」
財務卿は否定しなかった。
「ただし、国庫を取り崩すということは、将来のために蓄えている資金を使うということです」
「軍事費を一時的に増やすことはできます。しかし、それを何年も続ければ、教育費、インフラ維持費、外交費、その他の予算を圧迫することになります」
「戦争になれば?」
「その場合は話が別です」
財務卿は淡々と答えた。
「国家存亡に関わるのであれば、国庫を使うことに躊躇する必要はありません」
「しかし――」
「戦争を避けるための軍備増強と、戦争をするための軍備増強は、同じではありません」
一瞬、会議室が静まった。
俺はその言葉を聞いて、少しだけ感心した。
軍を増やす。
それだけではない。
軍を増やすことによって何が起こるのか。
それまで考えなければならない。
すると、今度は第三の国境子爵が口を開いた。
「私は、帝国そのものよりも、帝国内戦によって発生する難民のほうを警戒しております」
「難民?」
「はい」
「帝国軍と各構成国の戦闘が激化すれば、領民が国境へ逃げてくる可能性があります」
「それを受け入れるのか?」
「受け入れなければ、国境付近に難民が滞留することになります」
「受け入れれば食料が必要になる」
「だからこそ、今のうちに準備を――」
「それにも金がかかる!」
また議論が始まった。
俺は頬杖をつく。
軍事。
外交。
交易。
財政。
治安。
難民。
一つの問題を考えるだけで、次々と別の問題が出てくる。
前世の俺は歴史を本で読んでいた。
国同士が戦争をした。
条約を結んだ。
王が決断した。
そんな出来事を、文字の上で眺めていた。
けれど――。
実際に国を動かす側に立ってみると、そんな単純な話ではない。
戦争をするにも金がいる。
戦争を避けるにも力がいる。
交易を守るにも軍事力がいる。
軍を増やせば財政を圧迫する。
帝国を警戒すれば、帝国からも警戒される。
難民を受け入れれば人道的には正しくても、国内の食料や治安に負担がかかる。
一つの決断が、別の場所で問題を生む。
……これが、国政なのか。
俺がそんなことを考えていると――。
「陛下」
静かな声が響いた。
今度は父上だった。
「静粛に」
大きな声ではない。
それでも、騒がしかった会議室が少しずつ静まっていく。
父上は全員を見渡した。
「諸卿の意見は理解した」
誰も口を挟まない。
「帝国を警戒すべきだという意見も分かる」
「同時に、帝国を刺激するべきではないという意見も分かる」
父上は一度言葉を切った。
「交易を守る必要もある」
「国庫を守る必要もある」
「国境の民を守る必要もある」
「そして、帝国内戦が終わった後の帝国についても考えなければならない」
静かな声だった。
だが、その一言一言が会議室へ落ちていく。
「つまり――」
父上は地図へ手を置いた。
「我々が今決めなければならないのは、帝国と戦うか否かではない」
貴族たちが顔を上げる。
「帝国がどうなったとしても、我が国が生き残れる体制をどう作るかだ」
俺は、その言葉を聞いて背筋を正した。
――父上も、同じことを考えているのか。
帝国の内戦は、まだ終わっていない。
皇帝が勝つのか。
元老院絶対派が残るのか。
旧ウェトゥス派が巻き返すのか。
あるいは――。
帝国そのものが変わってしまうのか。
まだ誰にも分からない。
だからこそ、今ここにいる貴族たちは、それぞれ異なる未来を想定している。
その全てに備えようとしている。
俺は、もう一度地図を見る。
東にはアエテリア帝国。
西、北、南には周辺諸国。
そして、その間に挟まれたアンティクイランド王国。
小さな国ではない。
しかし、巨大な帝国と比べれば決して強大でもない。
だからこそ、この国は生き残るために考え続けなければならない。
武力だけでは駄目だ。
金だけでも駄目だ。
外交だけでも駄目だ。
その全てを組み合わせて、ようやく国家を維持できる。
そして――。
俺は初めて、父上が王として背負っているものの大きさを少しだけ理解した。
御前会議は、まだ始まったばかりだった。




