第27話 御前会議1 収支報告と帝国情勢
夏になった。
そして今日――。
延期されていた御前会議が、ついに開かれる。
俺は今回、その会議を見学することを許されていた。
もちろん、発言することは認められていない。
あくまで第一王子として、父上の隣で会議の様子を見るだけだ。
それでも、俺にとっては大きな意味があった。
これまで母上から政治について教わり、貴族たちの派閥や利害関係を学んできた。
だが――。
実際に王国の最高意思決定機関が動くところを見るのは、今回が初めてだった。
会議室には、すでに王族が集まっている。
父上。
おじい様。
第二王妃。
第三王妃。
そして、宰相兼公爵である王弟カシウス。
俺たち王族が、上座に並んでいる。
やがて――。
扉が開いた。
最初に入ってきたのは、軍務卿アトラシート伯爵。
その後ろには財務卿ペクーニア伯爵が続く。
さらに――。
外務卿。
内務卿。
法務卿。
教務卿兼宮内卿マスドリート子爵。
そして軍関係の子爵たち。
第二軍団軍団長。
第三軍団軍団長。
第四軍団軍団長。
第五軍団軍団長。
最後に、男爵位を持つ王立士官学校校長。
これで法衣貴族は全員だ。
続いて領地貴族が入ってくる。
ガルディシア伯爵。
エクウス伯爵。
プラエシディウム伯爵。
ウィーヌム子爵。
そして――。
アエテリア帝国との国境地帯を治める三人の子爵。
十二人の男爵。
彼らがそれぞれ指定された席へ着く。
全員が着席したことを確認すると、父上が口を開いた。
「これより、第305回御前会議を開催する」
静かな声だった。
しかし、その声が響いた瞬間、室内の空気が変わった。
ここにいる全員が、王国の政治を担う者たちなのだ。
父上が続ける。
「まず最初に、財務卿から昨年度の国家財政について報告を受ける」
「はっ」
ペクーニア伯爵が立ち上がった。
そして手元の資料を開く。
ちなみに、この国で使われている貨幣は以下のようになっている。
大金貨1枚=1億円、金貨1枚=1万円、銀貨1枚=1000円、
銅貨1枚=100円、鉄貨1枚=10円、小鉄貨1枚=1円
もちろん、俺の前世の日本円と完全に同じ価値というわけではない。
あくまで比較した場合のおおよその価値だ。
「では、昨年度の国家収支について報告させていただきます」
ペクーニア伯爵が淡々と読み上げる。
「昨年度の国家収入総額は、大金貨8653枚と金貨4000枚となりました」
「そのうち、全体の約48.5%を占めるのが税収です」
「市場税、人頭税などを合わせ、大金貨4200枚を計上しております」
やはり税収が国家収入の半分近くを占めている。
国家運営を考えれば、当然といえば当然か。
ペクーニア伯爵は次の項目へ移った。
「次に、収入の約21.6%を占めるのが、フレトゥム海峡における関税収入です」
「昨年度の関税総額は大金貨7480枚」
「フレトゥム貿易協定第四項に基づき、その収益の半分がカヴィーレスターン・スルタン国、もう半分がアンティクイランド王国へ分配されます」
なるほど。
つまり、アンティクイランド王国側の取り分は大金貨3740枚。
「さらに王国側の取り分は王家とガルディシア伯爵家で折半されます」
「したがって、王家には大金貨1870枚が計上されます」
……なるほど。
王家の収入だけで大金貨1870枚。
俺はガルディシア伯爵の方を見る。
第二王妃の実家。
そして第二王子派の中心。
この国で彼らが大きな影響力を持っている理由の一端が、少し分かった気がする。
フレトゥム海峡。
この海峡を握ることが、どれほど大きな意味を持つのか。
「次に、収入の約20.2%を占めるのが王家事業による収入です」
「王家事業は、闘技場、賭博事業、運輸業の三部門に分けられます」
「これらを合わせ、大金貨1750枚を計上しております」
王家事業だけで国家収入の二割。
……かなり大きい。
「続いて、上納等が大金貨795枚」
「地方の領地貴族からの上納や納付金などが中心となります」
「最後に、利息収入が大金貨38枚と金貨4000枚」
「これは国庫に蓄積された資金から発生する利息によるものです」
ペクーニア伯爵が資料をめくる。
「以上が収入となります」
「続いて、支出について報告いたします」
俺は姿勢を正した。
ここからが国家運営の本体だ。
「昨年度の通常支出総額は、大金貨7742枚となりました」
その内訳が読み上げられていく。
「最も高額なのが、法衣貴族への俸禄です」
「大金貨2100枚」
「通常支出の約27.1%となります」
……二十七パーセント。
かなり大きい。
「次が外交費です」
「大金貨1870枚」
「緩衝国家である我が国は、外交工作、貿易路の維持、周辺諸国への外交活動などに多額の費用を必要とします」
「通常支出の約24.2%です」
なるほど。
地政学的に仕方がない部分もある。
四ヶ国に囲まれた国家。
しかも、そのうちの一つがアエテリア帝国。
外交を怠れば、明日にでも戦争になる可能性がある。
「次がインフラ維持費です」
「大金貨1500枚」
「街道、港湾、橋梁、運河など、交易を支える施設の維持・整備に使用しております」
「通常支出の約19.4%です」
「次に軍事費」
「大金貨1200枚」
「中央軍三千人を平時から維持するための費用です」
「通常支出の約15.5%となります」
ここまで聞いて、俺は少し考える。
この国は軍事国家というわけではない。
軍事費よりも、外交やインフラへの支出の方が大きい。
緩衝国家であり、交易国家。
この国の性格が、そのまま予算に表れている。
「次に治安維持費」
「大金貨500枚」
「国内の反乱抑止、街道警備、盗賊対策などに使用しております」
「続いて宮廷費、大金貨297枚」
「王宮の維持費および、法衣貴族の活動に必要な経費などが含まれます」
……待て。
俺は思わず眉をひそめた。
法衣貴族の活動費?
それって――。
「……」
横を見る。
誰も驚いていない。
どうやら、この国では普通らしい。
……いや。
普通なのか?
俺の前世の感覚からすると、かなり怪しい。
もっとも、現代国家の公務員とこの世界の貴族では制度そのものが違う。
法衣貴族が国家官僚として働いている以上、活動費を国費から支出すること自体は不自然ではない。
問題は――その金が適切に使われているかどうかだ。
俺は心の中だけでため息をついた。
「次に教育費です」
「王立貴族学院に大金貨100枚」
「王立士官学校に大金貨150枚」
「合計、大金貨250枚です」
「最後に民生費」
「大金貨25枚」
「孤児院など、一般平民に対する福祉・救済に使用しております」
……少ない。
思わずそう思った。
教育費を合わせても、国家支出に占める割合はそれほど大きくない。
だが、この世界の国家制度そのものが現代とは違う。
社会保障という概念自体、まだ発展途上なのだろう。
ペクーニア伯爵は最後の資料を確認する。
「なお、昨年度はアエテリア帝国内戦の勃発を受け、対帝国国境の警戒を強化しております」
御前会議の空気が、少し変わった。
「第二軍団の二個艦隊および第三軍団から、合計一千人を夏から冬にかけて国境地帯へ駐屯させました」
「この臨時軍事費として、大金貨200枚を計上しております」
そして、ペクーニア伯爵は資料を閉じた。
「以上を合計いたしますと――」
「収入総額、大金貨8653枚と金貨4000枚」
「支出総額、通常支出大金貨7742枚。臨時支出大金貨200枚」
「合計支出、大金貨7942枚」
「したがって、昨年度の国家収支は――」
「大金貨711枚と金貨4000枚の黒字となります」
……黒字。
しかも、かなり大きい。
「これにより、国庫貯蓄である大金貨19457枚と金貨5000枚に、昨年度の余剰金を加算」
「現在の国家貯蓄は、大金貨20168枚と金貨9000枚となります」
「建国以来初めて、国家貯蓄が大金貨二万枚を突破いたしました」
会議室に、わずかなざわめきが生じた。
大金貨二万枚。
つまり――二兆円相当。
もちろん、この世界の物価や経済規模を考えれば単純比較はできない。
それでも、一国家がこれだけの資金を国庫に蓄えているというのは相当なものだ。
……この国。
思っていた以上に金を持っているな。
ペクーニア伯爵が頭を下げる。
「財務卿からの報告は以上となります」
父上が頷いた。
「財務卿、着席してよい」
「はっ」
ペクーニア伯爵が席へ戻る。
そして父上は、再び口を開いた。
「財務卿からの報告にもあったと思うが――」
その声が少し低くなる。
「現在、アエテリア帝国において内戦が発生している」
俺は背筋を伸ばした。
来た。
今回の御前会議。
本当の議題は、ここからだ。
「軍務卿。詳細を報告せよ」
「はっ」
アトラシート伯爵が立ち上がる。
一礼。
そして淡々と口を開いた。
「アエテリア帝国について、ご報告いたします」
「昨年夏――」
「アエテリア帝国において、大規模な政変が発生いたしました」
室内の全員が伯爵へ視線を向ける。
「皇帝ホスティス陛下は、帝都インペリアへ元老院派および旧ウェトゥス派の主要人物を招集」
「その後、両派の指導者層を一斉に拘束したとの報告が入っております」
「さらに――」
伯爵が一拍置く。
「帝国軍が、帝国内各地へ進軍を開始しました」
御前会議の空気が変わった。
「帝国軍の主な攻撃対象は、元老院派および旧ウェトゥス派に属する構成国です」
「皇帝陛下は各構成国に対し、帝国軍への抵抗を禁じ、皇帝への忠誠を誓うよう要求しております」
「これに従わない構成国については、帝国への反逆国家として扱うとの声明も出されております」
誰も口を挟まない。
「しかし――」
アトラシート伯爵は続けた。
「すべての構成国が皇帝陛下へ従ったわけではありません」
「一部の構成国は帝国軍への抵抗を開始し、現在も帝国内各地で戦闘が続いております」
「開戦から、すでに一年」
「それにもかかわらず、両派による軍事的抵抗は完全には排除されておりません」
アトラシート伯爵は資料へ目を落とす。
「帝国軍は帝国内最大の軍事力を有しております」
「しかし、元老院派と旧ウェトゥス派も、それぞれ複数の構成国を擁しており、一定の軍事力を保持しております」
「また、各構成国は広範囲に分散しております」
「そのため、帝国軍がすべてを短期間で制圧することは困難であると考えられます」
そして――。
アトラシート伯爵は、ゆっくりと顔を上げた。
「ただし」
「現時点で、我々が最も警戒すべきなのは――」
その場にいる全員を見る。
「皇帝ホスティス陛下が、この戦争を最終的にどのような形で終結させようとしているのか」
「それが、未だ明確になっていないことです」
「帝国元老院の権限を縮小するのか」
「構成国の自治権を制限するのか」
「あるいは、単純に敵対勢力を排除したうえで、従来の帝国体制へ戻すのか」
「現段階では判断できません」
そして、伯爵は静かに言った。
「ただ――一つだけ、確かなことがございます」
「皇帝ホスティス陛下は、昨年夏を境に、武力によって帝国内の政治構造そのものを変えようとしております」
誰も言葉を発しなかった。
「そして現在も、その戦いは続いております」
アトラシート伯爵が着席する。
しばらく、誰も話さなかった。
やがて父上が口を開く。
「本日、帝国との国境に領地を持つ諸侯を招集した理由は、そこにある」
父上の視線が、国境貴族たちへ向けられる。
「帝国内で発生している粛清と軍事衝突について、我が国がどのように対応するべきか」
「そして――」
一拍。
「帝国との国境を、今後どのように守るのか」
父上が御前会議の全員を見渡した。
「これより議論する」
俺は黙って、会議室を見渡した。
五歳の頃なら、ここで話されていることを理解するだけで精一杯だっただろう。
だが、今の俺は違う。
帝国。
内戦。
軍事力。
財政。
外交。
そして――国境。
これまで母上から学んできた政治の知識が、少しずつ一本の線につながっていく。
そして俺は、このとき初めて理解した。
この御前会議は、単なる報告会ではない。
アエテリア帝国という巨大国家の命運。
そして――。
アンティクイランド王国の未来。
その両方が、この場にかかっているのだ。




