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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第1章 誕生と王国の影
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第26話 魔術講義

午後。


王宮の一角に設けられた訓練場で、俺はアトラシート伯爵と向かい合っていた。


ただし、今日は剣術ではない。


俺の前に置かれているのは、数冊の古びた書物と羊皮紙。


大神殿や王宮の書庫から集められたものらしく、中には表紙すら擦り切れた古書まで混じっている。


「では殿下。本日は魔力、魔術、そして魔法についてご説明いたします」


「お願いします」


俺が椅子に座ったまま答えると、伯爵は頷いた。


「まず、魔力についてです」


伯爵は一枚の羊皮紙を広げた。


そこには、人間の身体を描いた簡単な図がある。


「魔力とは、生命の内側に宿る力です」


「誰でも持っているのか?」


「いいえ」


伯爵は首を横に振った。


「魔力を持つ者は、王族や貴族、その血を濃く受け継ぐ者に多く見られます」


「平民には?」


「存在しないわけではありません。ただし、極めて稀です」


「つまり、血統との関係が強い」


「その通りです」


伯爵は別の紙を取り出した。


「魔力は一代で突然生まれるものではなく、長い年月をかけて血脈へ受け継がれてきたものだと考えられております」


「なるほど」


前世では、こんなものは当然存在しなかった。


それだけに、妙な感覚がある。


科学では説明できない力が、この世界では当たり前のように存在している。


「そして魔力には、属性があります」


羊皮紙に描かれていたのは、二つの色。


赤。


そして水色。


「火と氷か」


「はい」


伯爵は右手を掲げた。


「私はアンティクイ人です。そして聖別洗礼式において、氷雪の女神の御加護を賜りました」


静かに目を閉じる。


「――氷雪の女神よ。我が血に宿りし御力を、今一度この身へ」


次の瞬間。


伯爵の身体から、淡い水色の光が漏れ出した。


「……水色」


「これが氷属性の魔力です」


水色の光が腕を包む。


「アンティクイ人は古くから氷雪の女神を信仰しております。そのため、我らの血には氷属性の魔力が宿ることが多い」


「多い?」


俺が聞き返すと、伯爵は僅かに頷いた。


「重要なところにお気づきになりましたな」


「違う場合もある?」


「極めて稀ですが」


伯爵は答えた。


「信仰、血統、聖別洗礼。魔力の属性には複数の要因があると考えられております。ゆえに、必ずしも一つの民族に一つの属性が絶対というわけではありません」


「なるほど」


この辺りは、まだ完全には解明されていないらしい。


「では、他の民族は?」


「灼熱竜を信仰する民族では、火属性の魔力を持つ者が多いです」


「氷と火」


「現在、確認されている代表的な属性です」


「他にもある?」


俺が尋ねると、伯爵は少しだけ黙った。


「……古い記録には、いくつか存在します」


「いくつか?」


「ですが、それは後ほど」


そう言って、伯爵は話を進めた。


「まずは、魔術についてです」


伯爵は剣を抜いた。


「魔術とは、己の魔力を制御し、身体や武具へ作用させる技術です」


「外の世界を変えるわけではない?」


「基本的には」


伯爵は頷いた。


「軍で広く使われているのはこちらです」


そして剣を構える。


「身体強化」


伯爵が詠唱する。


「――氷雪の女神よ、我らが血に宿りし御力をお貸しください。凍てつく大地を踏みしめる強さを我が身に、吹雪を耐え抜く力を我が四肢に。御身の加護をこの身に宿し、我が肉体を強くせよ――身体強化」


足元に水色の魔法陣が展開された。


次いで、全身から淡い魔力が漏れ出す。


「身体強化は、筋力、速度、反応、耐久力などを向上させます」


「魔力を大量に流せば、それだけ強くなる?」


「いいえ」


即答だった。


「必要な場所へ、必要な量だけ流す。それが重要です」


「制御が必要なのか」


「はい」


伯爵は頷いた。


「魔力は多ければいいというものではありません。無駄に流せば消耗しますし、制御を誤れば身体へ負担をかけます」


「なるほど」


「次に――武具強化」


伯爵が剣を掲げる。


「アエテリアの大地に祝福をもたらす氷雪の女神よ。


 哀れにも神の御力に縋る我に神の祝福を与えたまえ。


  我が願うは武具への祝福。


     我が祈りを聞き届け、


          御身が祝福を与えたまえ。」


水色の光が刀身を包む。


「武器の強度や耐久性、そして攻撃力を高めます」


「剣術と組み合わせれば、かなり強そうだな」


「ええ」


伯爵が笑う。


「だからこそ、騎士たちは魔術を学ぶのです」


上級魔術


「そして、ここから先が上級魔術です」


伯爵の身体から漏れる魔力が濃くなる。


「――氷雪の女神よ、御身の御力を我が血脈へ。凍土を覆う氷の強さを骨へ、吹雪を駆ける風の速さを四肢へ、厳冬を生き抜く生命の力を我が肉体へ。御身の加護を余すことなく受け、我が限界を越えさせ給え――上級身体強化」


今度は身体の各部に複数の魔法陣が浮かび上がった。


「通常の身体強化よりも、遥かに精密な制御が必要になります」


「単純に出力が高いだけじゃない」


「はい」


伯爵は頷く。


「魔力をどこへ、どれだけ、どの瞬間に流すのか。それを瞬時に判断する必要があります」


続いて、剣。


「――氷雪の女神よ、御身の御力をこの刃に授け給え。千年の氷河にも砕かれぬ強さを、凍てつく夜にも消えぬ鋭さを、この武具へ――上級武具強化」


刀身に複数の魔法陣が重なる。


先ほどとは比較にならないほど濃密な魔力。


「……綺麗だな」


思わず呟いた。


水色の光を纏う刀身。


こういうものを見ると、どうしても前世の自分が顔を出す。


歴史好き。


そして――少しだけ厨二病。


こういうのは嫌いじゃない。


「最後に、威圧です」


伯爵の雰囲気が変わった。


「――氷雪の女神よ、我が身に宿りし御威光を解き放ち給え。凍てつく大地を前にした獣の如く、吹雪を前にした弱き者の如く、我が敵に恐れを抱かせよ――威圧」


瞬間。


水色の魔力が一気に溢れ出した。


空気が重くなる。


肌が押し付けられるような感覚。


「これが威圧です」


「魔力を外へ放出して、相手へ圧力を与える」


「はい」


伯爵は魔力を収めた。


「直接攻撃する魔術ではありません。しかし、魔力差が大きければ相手の動きを鈍らせることもできます」


魔法


「これが魔術です」


伯爵はそう言って、古びた書物を開いた。


「では――魔法とは?」


俺が尋ねる。


伯爵の表情が少し変わった。


「魔法は、魔術とは根本的に異なります」


「根本的に?」


「魔術が己の身体や武具へ作用させる技術であるのに対し――」


伯爵は書物の一節を指差した。


「魔法は、外界へ干渉する力です」


「世界そのものへ?」


「はい」


その言葉を聞いた瞬間。


俺は聖別洗礼式の日を思い出した。


神器が青く輝いたこと。


神殿の人々が騒然となったこと。


「そして――」


伯爵は静かに続ける。


「現在確認されている限り、外界干渉能力を持つ者は、およそ三百年に一度しか現れておりません」


「……三百年に一度」


「はい」


「そんなに少ないのか」


「記録が正しければ」


伯爵は俺を見る。


「殿下は、その可能性が極めて高い」


俺は黙った。


だからこそ、これだけ大量の書物を集めたのだろう。


_________________________________________


伯爵が一冊の本を開いた。


「まずは、最も基本的な氷魔法からです」


書かれていたのは――。


氷槍。


「――凍てつく大地よ、我が意志に応えよ。冷気を束ね、鋭き牙となれ。貫くは敵、穿つは鋼――氷槍」


詠唱した瞬間。


俺の前方に水色の魔法陣が浮かび上がった。


だが――。


何も起こらない。


「……」


「魔法陣は展開しましたな」


「でも、何も出ない」


「それでも大きな一歩です」


伯爵は笑った。


「魔法陣すら展開できない者が大半なのですから」


次のページ。


「氷壁」


「――凍てつく大地よ、我が前に立て。寒冷なる力を集め、鋼をも阻む絶対の壁となれ――氷壁」


また魔法陣だけが現れる。


消える。


「氷結」


何も起こらない。


そして最後。


「氷城」


俺はその文字を見つめた。


「……ずいぶん大規模だな」


「広範囲を凍結させる魔法と記録されています」


「なら――」


俺は息を整えた。


「――凍土よ、広がれ。大地を覆い、空を閉ざし、万物を白き牢獄へ封じよ。我が前に広がるすべてを氷雪の城塞と成せ――氷城」


大きな魔法陣が展開される。


しかし――。


何も起こらない。


やがて魔法陣は淡い光を残して消えた。


「……まだ無理か」


「当然でしょう」


伯爵は笑った。


「初日ですからな」


「でも、魔法陣は出た」


「ええ」


伯爵の声が少しだけ真剣になる。


「それは、決して小さなことではありません」


俺は自分の手を見る。


指先に、ほんの僅かな水色の光が浮かんでいた。


_____________________________________


「魔術と魔法」


俺は呟いた。


「魔術は、己を強化する技術」


「はい」


「魔法は、世界へ干渉する力」


「その通りです」


俺は少し考える。


ならば――。


「両方使えるようになればいい」


伯爵が目を丸くした。


「……殿下は、本当に五歳ですかな?」


「何で?」


「普通は『難しい』と考えるところで、『両方使えばいい』と考える者はそう多くありません」


「便利そうだから」


「……」


伯爵が苦笑する。


「実に殿下らしい」


俺は書物を閉じた。


剣術。


魔術。


そして魔法。


どれも一朝一夕で身につくものではない。


けれど――俺には時間がある。


五歳の今なら、なおさらだ。


しかも俺には、前世にはなかった環境がある。


王子という立場。


王宮に蓄積された知識。


騎士たちによる訓練。


そして――。


三百年に一度しか現れないという、魔法の才能。


ならば。


使えるものは、全部使えばいい。


ただし。


俺はまだ知らない。


三百年に一度と言われる「魔法」が――


この世界の歴史を、再び大きく動かすほどの力になることを。


「では、殿下」


伯爵が木剣を差し出す。


「次は身体強化を使った基礎訓練です」


「分かった」


俺は木剣を握る。


まずは身体を鍛える。


魔力を制御する。


剣を学ぶ。


魔術を学ぶ。


そして――魔法を研究する。


母上を失ったことで始まった王宮の政争。


その渦中で生き残るために。


俺は、自分に与えられた力を一つずつ身につけていく。


その最初の一歩が――


この日だった。

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