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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第1章 誕生と王国の影
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第25話 武術訓練

第三王子派を取り込んだ。


これで、第一王子派はようやく立て直しの第一歩を踏み出したことになる。


だが――まだ足りない。


第二王子派との勢力差は依然として大きい。


だから俺は、すぐに次の手を打った。


「セレネ殿」


「はい」


「旧王弟派のうち、次男殿を支持している者たちと接触していただきたい」


第三王妃セレネは、静かに頷いた。


「分かりました」


王弟派は、もはやかつての勢力を保っていない。


双子の家督争い。


そこへ第二王子派が介入し、さらに第二夫人の長男まで擁立された。


その結果、王弟派は三つに分裂した。


そして今、そのうちの一つが完全に孤立しつつある。


――次男支持派。


彼らにとって最大の問題は、今後どこにつくかだ。


第二王子派へ行けば、かつて自分たちと争った勢力の下に入ることになる。


かといって、単独で生き残れるほどの力もない。


ならば。


「第二王子派ではなく、こちらへ来る理由を作ります」


俺がそう言うと、セレネは少しだけ目を細めた。


「……相手の事情まで考えているのですね」


「考えなければ、味方にはできませんから」


味方とは、ただお願いして増えるものではない。


相手にも利益が必要だ。


彼らが第一王子派に加わることで何を得られるのか。


それを提示する。


それだけだ。


「お任せください」


「お願いします」


こうして、旧王弟派への工作も始まった。


そして――。


俺自身にも、やらなければならないことがある。


「殿下」


グラフィルが書類を差し出した。


「延期されていた御前会議ですが、夏に開催されることが決定いたしました」


「夏か」


「はい」


御前会議。


王国の重臣たちが集まり、今後の政策を決定する重要な場だ。


母上が亡くなった今。


俺にとって、これは単なる会議ではない。


第一王子として、自分の存在を王国の重臣たちへ示す場になる。


そして――。


「その前に、もう一つ準備しておきたい」


俺は窓の外を見る。


「剣術だ」


現在、俺は貴族街にある第一軍団司令部を訪れていた。


石造りの建物。


王宮のような華美さはない。


実用性だけを重視した、いかにも軍人が使うための建物だった。


その入口に――。


「ようこそ、わが城へ!」


アトラシート伯爵が仁王立ちしていた。


「父上の物じゃないし、そもそも城ですらない」


隣からカイの冷静な声が飛んでくる。


「まあまあ、そんなことは気にするな少年!」


「それくらいのことは気にしろよ、中年」


「…………」


「…………」


二人が睨み合う。


息ぴったりだ。


「殿下!」


アトラシート伯爵が俺へ向き直る。


「ようこそおいでくださいました!」


「今日はよろしく頼む」


「もちろんです!」


伯爵は胸を張った。


「このアトラシート、殿下を立派な剣士へと――」


「待って」


俺は手を上げた。


「その前に確認したい」


「何でしょう?」


「俺は五歳だぞ」


「存じております」


「……本当に?」


「もちろんです」


伯爵は真顔で頷いた。


「ですから、まず身体作りから始めます」


「剣は?」


「しばらく振りません」


「…………」


俺は木剣を見つめた。


「剣術を習いに来たんだが?」


「剣術を身につけるために、剣を振らないのです」


「……分かりにくいな」


「では、実際に見ていただきましょう」


伯爵が木剣を手に取る。


そして俺の前に立った。


「殿下。まず、構えてください」


俺は教えられた通りに木剣を構えた。


「……」


伯爵が俺の足を見る。


「右足を少し下げてください」


言われた通りにする。


「肩の力を抜いてください」


「こうか?」


「もう少し」


さらに力を抜く。


「剣を握りすぎです」


「……」


「左手を少し下へ」


「こう?」


「はい」


数秒後。


「よろしいでしょう」


俺は少し得意げになった。


「意外と簡単――」


「では、そのまま一分間動かないでください」


「……え?」


「動かないでください」


一分。


たった一分。


そう思った。


だが――。


三十秒を過ぎた頃には、腕が重くなってきた。


四十秒。


肩が痛い。


五十秒。


足まで疲れてくる。


そして一分。


「……終わり?」


「はい」


俺は木剣を下ろした。


「……これだけ?」


「これだけです」


「剣を一回も振ってないぞ」


「はい」


「なのに疲れた」


「当然です」


伯爵は淡々と言った。


「殿下は今、自分の身体を支えるだけで精一杯なのです」


「…………」


少し悔しかった。


頭の中では、自分は十七歳だった頃の感覚が残っている。


だが。


身体は五歳だ。


その事実を、今さらながら思い知らされた。


「剣術とは、剣を振ることではありません」


伯爵が木剣を構える。


「まず、自分の身体を思い通りに動かすことです」


一歩。


伯爵が前へ出る。


その動きは滑らかだった。


「足」


さらに一歩。


「腰」


身体が回る。


「肩」


腕が動く。


そして――。


木剣が振り抜かれた。


風を切る音がした。


俺は思わず目を見開いた。


速い。


それなのに、乱れていない。


「剣は最後に動くのです」


伯爵が木剣を下ろした。


「足が動き、身体が動き、最後に剣がついてくる」


「……なるほど」


「殿下が今すぐ真似する必要はありません」


伯爵は笑った。


「五歳の身体には五歳の鍛え方があります」


「じゃあ、俺は何をする?」


「まずは走ること」


「走る?」


「はい」


伯爵は指を一本立てる。


「軽い走行」


二本目。


「柔軟」


三本目。


「身体の軸を作る運動」


四本目。


「平衡感覚の訓練」


「……剣は?」


「そのうちです」


「いつ?」


「身体ができてからです」


「何歳くらい?」


伯爵は少し考えた。


「個人差がありますが、神器を本格的に扱うのは十歳前後からでしょう」


「十歳……」


五年。


長い。


だが、急ぐ理由もない。


俺は母上を守れなかった。


あの日。


俺には何もできなかった。


その事実は、今でも胸の奥に残っている。


だからこそ――。


焦ってはいけない。


五歳の身体で無理をしても、母上を取り戻せるわけではない。


今できることを積み重ねるしかない。


「分かった」


俺は木剣を握り直した。


「やろう」


「はい」


「まずは身体作りだ」


「その通りです」


伯爵が頷く。


「では、本日はここまで――」


「え?」


「まずは構えを覚えていただきましたので」


「これだけ?」


「はい」


「…………」


思わずカイを見る。


カイは口元を押さえていた。


「何だ?」


「いえ」


「笑ってるだろ」


「笑ってません」


絶対に笑っている。


「明日からは走ります」


伯爵が告げる。


「朝から?」


「朝からです」


「……厳しいな」


「剣士になりたいのでしょう?」


「そうだ」


俺は答えた。


「なら、やる」


母上を失った。


妹もいる。


王宮の政治も変わった。


敵も増えた。


俺はまだ五歳だ。


できることは少ない。


だからこそ――。


今できることを、一つずつ増やすしかない。


政治では、味方を増やす。


王宮では、敵の動きを読む。


そして。


自分自身も強くなる。


母上を殺した者へ辿り着くために。


妹を守るために。


そして――。


二度と、大切な人を守れない自分にならないために。


俺は木剣を握り直した。


「明日から、よろしく頼む」


「こちらこそ、殿下」


アトラシート伯爵が頭を下げる。


こうして。


第一王子としての政治だけではなく――


一人の人間としての俺の鍛錬も、始まった。

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