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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第5章 シルウァニア戦争
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第38話 ヴェルゼバンセス市街戦開始

 ヴェルゼバンセス攻略戦は、日が傾き始めてもなお続いていた。


 しかし、戦況は確実に変わり始めていた。


 港湾部で一度は完全に足を止められていたエクィトゥム軍だったが、新フェルゼンハルト公爵が各部隊を順次前進させ、シルウァニア軍の防衛線へ継続的に圧力をかけたことで、ついに港の一角で大きな突破口が生まれた。


「北側の防衛線が崩れました!」


「高台への進路が開いています!」


「第二陣を前へ!」


 次々に報告が飛び込んでくる。


 それまでシルウァニア軍は、高台からの弓射と歩兵による足止めによって港湾部を支配していた。しかし、エクィトゥム軍が一つの地点だけを攻めるのではなく、港の複数の区域から同時に圧力をかけ続けたことで、五千人の防衛部隊では全ての場所を同じ密度で守り続けることが難しくなっていた。


 さらに、海上にはまだ大量の輸送船が残っている。


 シルウァニア軍がある場所へ兵を移せば、その隙間へ別のエクィトゥム部隊が入り込む。


 ひとつの防衛線を維持すれば、別の地点で押し込まれる。


 それを繰り返しているうちに、ついに高台へ続く防衛線の一部が崩れた。


「今だ!」


 エクィトゥム歩兵が一斉に前進する。


 盾を構えた歩兵が高台へ駆け上がり、その後ろから弓兵と弩兵が続く。


 先ほどまでなら、上陸したばかりの遠距離兵が真っ先にシルウァニア弓兵の標的となっていた。


 だが、今度は違う。


 前方に味方歩兵が十分に展開し、狙撃を防いでいる。


 さらに、エクィトゥム側の弓兵と弩兵も少しずつ数を取り戻していた。


「敵弓兵を狙え!」


「城壁の上を制圧しろ!」


 エクィトゥム弓兵が射撃する。


 弩兵も続く。


 シルウァニア弓兵が応射する。


 高台の上で、双方の遠距離兵が撃ち合う。


 やがて、シルウァニア側の射撃が弱まっていった。


「高台へ到達!」


「敵歩兵が後退します!」


 ついに、エクィトゥム軍が高台の一部を確保した。


 それまで港を見下ろしていたシルウァニア軍が、今度は逆に下から押し上げられる形となる。


「さらに前へ!」


 公爵の命令が伝えられる。


 エクィトゥム軍は高台を進み、さらにその奥にある崖と城壁へ迫っていく。


 ここでも激しい抵抗が待っていた。


 シルウァニア兵は城壁の上から弓を放ち、歩兵はその下で防衛線を作る。


 だが、港とは違って高台まで進出したエクィトゥム軍には、少しずつ戦うための空間が生まれていた。


 そして何より、後続の兵力を継続して送り込める。


 ひとつの部隊が疲弊すれば、後ろから別の部隊が出てくる。


 シルウァニア軍はそのたびに削られていく。


「城壁の一角を確保!」


「敵が後退します!」


 その瞬間、戦況が大きく動いた。


 城壁の一部が突破される。


「突入!」


 エクィトゥム兵が城壁を越える。


 そして、その向こう側に広がっていたものを見て、一瞬だけ足を止めた。


 ヴェルゼバンセスの町だった。


 これまで港から見上げるだけだった町が、ついに目の前へ現れた。


 石造りの建物。


 狭い街路。


 傾斜した坂道。


 住宅と商店が入り組む市街地。


 そして、その至るところにシルウァニア兵の姿がある。


「敵、市街地へ後退しています!」


 報告が響く。


 シルウァニア軍は港と高台を失いながらも、町そのものを最後の防衛線に変えようとしていた。


「追え!」


 エクィトゥム兵が町へ入っていく。


 しかし、そこから先はこれまでとは違う戦いになった。


 広い港では、六万人という兵力差をある程度利用できた。


 高台でも、後続部隊を送りながら少しずつ押し上げることができた。


 だが、市街地では違う。


 狭い路地。


 複雑な建物。


 曲がり角。


 視界を遮る壁。


 大部隊を一度に展開することができない。


「前の部隊が止まりました!」


「どこだ!」


「こちらから見えません!」


 市街地へ入った瞬間、再び指揮系統の難しさが現れた。


 先頭の兵士たちは狭い路地を進む。


 その後ろから別の部隊が来る。


 さらに別の方向からも兵士が入ってくる。


 六万人という巨大な兵力が、今度は街そのものによって細かく分断されていく。


 しかも、シルウァニア軍はこの町を熟知している。


 自分たちの街路。


 自分たちの建物。


 自分たちの生活圏。


 どこへ行けば隠れられるのか。


 どこなら敵の視界から外れるのか。


 どの道が別の街路につながっているのか。


 それをシルウァニア兵は知っている。


「敵が建物の陰から出てきます!」


「警戒しろ!」


 エクィトゥム兵が周囲を見回す。


 港で苦しめられた弓兵の射撃とは違い、今度は建物や路地そのものが戦場になっている。


 エクィトゥム軍の遠距離兵も、簡単には射撃できない。


 味方の歩兵が狭い路地へ入り込んでいるからだ。


 ファイアバリスタやバリスタも、もはや簡単には使えない。


 大規模な兵器を市街地へ向けて使えば、味方を巻き込む危険が高すぎる。


「公爵閣下!」


 副官が駆け寄る。


「ヴェルゼバンセス市街地へ突入しました!」


 公爵は町を見る。


 港は取った。


 高台も取った。


 城壁も一部突破した。


 これまで何度も止められてきたエクィトゥム軍が、ついに敵の町そのものへ足を踏み入れた。


 明らかな逆転だった。


 しかし、公爵は笑わなかった。


「ここからが、一番厄介だ」


 市街戦。


 それは大軍が最も力を発揮しにくい戦場の一つだった。


 そして、相手は自分たちの町を知り尽くしている。


 ヴェルゼバンセスを奪うという目標は、もう目の前まで来ていた。


 だが、最後に待っていたのは、港よりも、そして高台よりも厄介な戦場だった。


 エクィトゥム王国軍約六万人。


 対するシルウァニア軍。


 その両軍による、ヴェルゼバンセス市街戦が始まった。

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