第36話 フェルゼバンセス上陸作戦5
それでも、エクィトゥム軍は止まらなかった。
港で足止めされているとはいえ、後方からは次々と新しい兵士が上陸してくる。すでに港湾部へ降り立った兵士たちは、先に戦っている部隊の後方へ回り、少しずつ戦列を厚くしていた。
「前へ出ろ! 港を確保する!」
「盾を並べろ!」
「負傷者は後方へ!」
指揮官たちの声が飛び交う。
エクィトゥム兵は、無理に高台へ突進するのをやめ、まず港湾部そのものを押さえ始めた。
港の中央へ進む。
船を接岸させる。
後続の兵士を降ろす。
そして、上陸した部隊同士を繋げる。
時間はかかる。
だが、少しずつエクィトゥム軍の戦列が形になっていった。
その間も、シルウァニア弓兵は射撃を続けている。
港に遮蔽物が少ないため、エクィトゥム軍の兵士たちは常に矢へ晒されていた。特に盾を持たない弓兵や弩兵は危険だった。射撃位置を確保しようとすれば、その姿を城壁から捉えられ、次々と狙われる。
「右の弓兵がやられています!」
「後方へ下げろ!」
「下げる場所がありません!」
エクィトゥム軍の指揮官は歯を食いしばった。
それでも、前進は続く。
港湾部を確保しなければ、この後に上陸してくる兵士まで危険に晒される。
そして、何よりも――。
「高台まで行け!」
ついに先頭の歩兵が、高台の手前まで到達した。
歓声が上がる。
「押せ!」
エクィトゥム軍が一斉に前進する。
しかし、その瞬間だった。
「放て!」
高台から矢が降り注いだ。
「ぐっ……!」
「盾を!」
「前へ出ろ!」
エクィトゥム兵が盾を掲げる。
だが、高台にいるシルウァニア兵は、ただ矢を射るだけではなかった。
彼らは高台の上から、エクィトゥム軍の動きを見下ろしている。
どの部隊が前へ出ているか。
どこに指揮官がいるか。
どこに遠距離兵が集まっているか。
それを見極めた上で、最も効果の大きい場所へ射撃を集中させている。
「弓兵を狙え!」
シルウァニア側の指揮官が叫ぶ。
また矢が飛ぶ。
上陸したばかりのエクィトゥム弓兵が倒れる。
弩兵が倒れる。
残った者は慌てて盾を探し、歩兵の後ろへ下がろうとする。
しかし、その動きすらシルウァニア弓兵は見逃さない。
それでもエクィトゥム軍は進んだ。
「高台を奪え!」
歩兵が斜面へ取りつく。
だが、そこから先がさらに厳しかった。
高台にはシルウァニア歩兵が待っている。
上から弓兵が射撃する。
そして、斜面は狭い。
六万人の軍勢を一度に送り込むことなどできない。
数百人。
その後ろに数百人。
さらにその後ろに別の部隊。
圧倒的な兵力は、細い通路を通して少しずつしか戦場へ投入できない。
新フェルゼンハルト公爵は、その光景を見ながら低く呟いた。
「海戦とは違う……」
海では、三百隻の艦隊が十五隻を圧倒した。
だが陸へ降りた瞬間、話が変わった。
六万人を同時に戦わせることができない。
むしろ前方で戦っている数千人の兵士だけが敵と直接ぶつかっている。
そして、その数千人へシルウァニア軍が集中している。
「公爵閣下!」
副官が駆け寄る。
「高台への攻撃、進んでいません!」
「分かっている」
公爵は答えた。
「ならば、兵を追加する」
「しかし、高台の射撃が――」
「それでもだ」
後方に待機する部隊へ命令が伝えられる。
さらに兵士が高台へ向かって進んでいく。
しかし、シルウァニア軍はそれを見逃さなかった。
一方、ヴェルゼバンセスのさらに奥。
森へ続く道を、一人の伝令が走っていた。
「敵軍が港へ上陸しました!」
伝令の報告を受けた周辺部隊の指揮官が顔を上げる。
「規模は?」
「極めて大きいです。数万人規模と見られます」
「ならば港へ向かう」
次々と命令が伝えられる。
周辺に配置されていた民兵。
各村から集められた兵士。
そして、北西部へ向かうため待機していた正規兵。
少しずつ、ヴェルゼバンセスへ向かって移動し始めた。
港を守る五千人だけでは、長期戦には耐えられない。
だからこそ、五千人は時間を稼ぐ。
その間に周辺から兵力を集める。
そして、その兵力を高台へ送り込む。
シルウァニア軍は、自分たちが圧倒的な数で勝っているわけではないことを理解していた。
だが、時間さえあれば、周辺から兵を集められる。
それがシルウァニアの戦い方だった。
「敵増援!」
エクィトゥム軍の前線から叫び声が上がった。
高台のさらに奥から、新たなシルウァニア兵が現れる。
「数が増えています!」
「どこから来た!」
「分かりません!」
混乱が広がる。
先ほどまで五千人だったはずの敵が、少しずつ増えている。
十人。
百人。
五百人。
さらにその後ろからも兵士が来る。
「まさか……」
公爵は目を細めた。
この町は、単なる港ではない。
周囲のシルウァニア軍を集めるための拠点なのだ。
「港を奪わなければ、いくらでも増えてくるぞ」
その言葉が、側近たちの間に重く落ちる。
エクィトゥム軍にとって時間は味方ではなかった。
上陸した六万人を安全に展開できなければならない。
だが、時間をかければかけるほど、シルウァニア側に増援を集める時間を与えることになる。
強襲のはずだった。
短時間で港を奪い、そこを前線基地へ変える。
それが当初の計画だった。
しかし、現実にはその港そのものが、シルウァニア軍によって一つの巨大な防衛陣地へ変えられている。
港を取る。
その先に高台がある。
高台を越える。
その先には崖がある。
崖を越えれば城壁。
そして、その城壁の向こうにヴェルゼバンセスの町がある。
しかも戦っている間にも、シルウァニア軍は周辺から増援を呼び続けている。
「……海戦に勝ったからといって、この戦いに勝ったわけではないな」
新フェルゼンハルト公爵は、初めてそれをはっきりと認めた。
敵の海軍は消えた。
制海権も手に入れた。
約六万人も上陸させた。
それでも、まだ港の奥へ進めない。
「戦い方を変える」
公爵が言った。
「六万人を一気に突っ込ませるな。港湾部を確保した部隊から順番に立て直せ」
「高台への攻撃は?」
「続ける。ただし、無理に全軍で押すな」
公爵は戦場を見つめた。
「まず、港を我々のものにする」
それが第二段階だった。
そして、高台を突破する。
だが、そのためには時間が必要になる。
数時間で終わるはずだった強襲上陸は、次第に形を変えていた。
数時間ではない。
場合によっては一日。
それでも終わらなければ、二日。
さらに長ければ、その先まで。
ヴェルゼバンセス攻略戦は、短時間で決着する強襲作戦から、両軍が兵力を送り込み続ける長期的な攻防戦へ変わり始めていた。
そして、シルウァニア軍が集め始めた増援の数は、まだ誰にも分からなかった。




