第35話 ヴェルゼバンセス上陸作戦4
ヴェルゼバンセス港での戦闘が始まってから、しばらくの時間が過ぎていた。
エクィトゥム王国軍は約六万人という圧倒的な兵力を持っている。にもかかわらず、その人数を十分に活かすことができていなかった。港へ次々と兵士が上陸しているものの、戦場の最前線へ投入できる人数には限界があり、前方ではすでに数千人規模の歩兵だけがシルウァニア歩兵と激しくぶつかり合っている。
その頭上からは、城壁と高台に配置されたシルウァニア弓兵の矢が降り注いでいた。
「前へ進め!」
「押し込め!」
エクィトゥム歩兵は盾を並べながら前進しようとする。
だが、シルウァニア歩兵は簡単には退かない。
港から高台へ続く道を塞ぐように展開し、前進してきたエクィトゥム兵の足を止める。その背後からは弓兵が援護し、歩兵が一人でも隊列から外れれば、すぐさま矢が飛んでくる。
「また一人やられた!」
「弓兵を狙え!」
上陸したエクィトゥム弓兵と弩兵も射撃を続けている。
しかし、彼らの数はまだ少ない。
しかも港には遮蔽物がほとんどない。
盾を持たない弓兵や弩兵が射撃位置につけば、当然のようにシルウァニア弓兵から狙われる。
「敵弓兵だ!」
「散れ!」
「散るな! 隊列を――」
言葉が終わるより先に、一人の弓兵がその場へ崩れた。
別の弩兵も倒れる。
さらに一人。
シルウァニア弓兵は、港へ上陸したばかりの遠距離兵を優先的に狙っていた。
エクィトゥム軍が歩兵を前進させるためには、弓兵と弩兵の援護が必要になる。
ならば、その援護役を先に減らせばいい。
「弓兵を下げろ!」
「下げる場所がありません!」
指揮官の叫びが返ってくる。
まさにその通りだった。
背後には海がある。
前にはシルウァニア軍がいる。
左右には別の上陸部隊がいる。
広いように見える港も、六万人という人数を同時に展開させるには狭すぎた。
そのため、後方にいる兵士の多くは戦場へ入ることすらできない。
六万人いる。
だが、実際に敵と交戦しているのは、そのうちのほんの一部。
そして、その一部が少しずつ削られていた。
海上では、エクィトゥム艦隊がなおも援護射撃を続けていた。
「ファイアバリスタ、敵陣へ!」
「バリスタも続け!」
炎をまとった投射物が飛び、巨大な矢が高台へ向かう。
しかし、思うような戦果は上がらない。
港へ上陸した味方兵が敵陣との間に入り込んでいるため、船上から高台を狙えば、味方まで巻き込む危険がある。
それでも撃たなければ、上陸部隊は前進できない。
「……このままでは援護射撃が使えない」
副官が呟いた。
新フェルゼンハルト公爵も、その問題を理解していた。
敵を撃つためには味方から離れなければならない。
しかし味方から離れれば、その分だけシルウァニア軍の射撃を受ける。
単純な兵力差が、そのまま戦場の優勢にはならない。
「上陸部隊の前方が開くまで、船上射撃を抑える」
公爵が命じた。
「……よろしいのですか?」
「今の状態で撃っても、味方を巻き込むだけだ」
苦渋の決断だった。
これまでエクィトゥム軍を支えてきた海上からの火力を、一時的に抑える。
「上陸部隊が少し前へ出たら、再開する」
「了解しました!」
命令が艦隊へ伝わっていく。
ファイアバリスタの射撃が止まる。
バリスタの発射も止まる。
それによって港の中には、先ほどまでとは違う異様な静けさが生まれた。
いや。
静かになったわけではない。
剣と剣がぶつかる音。
兵士たちの怒号。
船が岸へ接触する音。
そして、シルウァニア弓兵が弦を引く音。
それらだけが、異様なほどはっきり聞こえていた。
「今だ!」
エクィトゥム歩兵が前へ出る。
海上からの射撃が止まったことで、味方を気にせず少しずつ前進できるようになった。
「押せ!」
「高台へ向かえ!」
数百人。
さらに数百人。
少しずつ、エクィトゥム軍の前線が動き始める。
ほんの僅かだった。
だが、それまでほとんど動かなかった戦線が、ようやく前へ進んだ。
「前線が動きました!」
副官が叫ぶ。
公爵は頷いた。
「距離を確認しろ」
「はい!」
シルウァニア軍との距離が開く。
上陸部隊の一部が前方へ出る。
船上から狙える角度が少しずつ生まれていく。
「今だ」
公爵が手を上げる。
「ファイアバリスタ、再開!」
再び炎をまとった投射物が空を飛ぶ。
「バリスタも続け!」
巨大な投射物が高台へ向かっていく。
今度は味方の位置を巻き込む危険が減っている。
エクィトゥム側の援護射撃が、少しずつ本来の威力を取り戻していく。
「敵陣へ命中!」
「高台の一部が崩れました!」
「前進できます!」
エクィトゥム歩兵が歓声を上げる。
ようやく、突破口が見え始めた。
だが、その瞬間だった。
「……敵が動きます!」
副官が叫ぶ。
高台に並んでいたシルウァニア兵が、ゆっくりと前へ出てきた。
それまで防御に徹していた五千人の部隊が、初めてまとまった動きを見せる。
「何をするつもりだ……?」
公爵が目を細める。
高台から弓兵が移動する。
歩兵も続く。
そして、港へ上陸したエクィトゥム軍へ向かって、少しずつ距離を詰めていく。
「敵歩兵、前進!」
「弓兵も移動しています!」
それまで高所から一方的に射撃していたシルウァニア軍が、今度は自ら戦場を動かそうとしている。
エクィトゥム軍が援護射撃を再開したことも、当然理解していた。
だからこそ、彼らは次の手に出た。
高台という有利な場所に留まり続けるのではなく、港へ進出する。
敵の上陸部隊へ接近することで、船上のバリスタやファイアバリスタによる支援を再び難しくする。
「敵は、こちらの援護射撃を封じようとしている……」
公爵が呟く。
そして次第に、エクィトゥム軍の前線とシルウァニア軍の前線との距離が縮まっていく。
弓兵は撃つ。
歩兵は前進する。
エクィトゥム軍も押し返そうとする。
港という限られた空間の中で、二つの軍が徐々に近づいていく。
約六万人。
対する五千人。
それでも、戦場で実際にぶつかっている人数には大きな差がない。
そして、その差を埋めているのは、シルウァニア軍が持つ地形への適応力と、狩猟で鍛えられた弓術だった。
新フェルゼンハルト公爵は剣を握り直した。
「まだ終わっていない」
海戦には勝った。
制海権も手に入れた。
六万人もの兵士も上陸している。
それでもヴェルゼバンセスは、まだエクィトゥム王国の手には落ちていない。
港の奥には、五千人のシルウァニア軍。
そのさらに先には、高台と崖。
そして、それを守る城壁。
この戦いは、ようやく最初の段階を終えたに過ぎなかった。




