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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第5章 シルウァニア戦争
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第33話 ヴェルゼバンセス上陸作戦2

 そして、その海戦が始まった時点で、すでにもう一つの命令が各輸送船へ伝えられていた。


 ――上陸準備。


 海戦の結果を待ってから兵士を動かすのではない。


 約六万人の上陸部隊は、海軍がシルウァニア艦隊と交戦を開始した時点で、すでにそれぞれ指定された上陸地点へ向けて移動を開始していた。


 傭兵団。


 傭兵。


 民兵。


 それぞれの部隊は、事前に決められた順序に従って船内で配置を終えている。


 船上では兵士たちが武器を手にし、盾を構え、指揮官の命令を待っていた。


 海戦の最中にも、輸送船は少しずつ港へ接近していく。


 ファイアバリスタとバリスタが敵艦を狙い、エクィトゥム艦隊がシルウァニア海軍を圧倒していくその後方で、上陸部隊もまた着実にヴェルゼバンセスへ近づいていた。


 やがて、海戦の決着がついた。


「シルウァニア艦隊、壊滅!」


 報告が旗艦へ届く。


 新フェルゼンハルト公爵は、すぐに港へ視線を向けた。


「上陸を開始する」


 すでに上陸部隊は準備を終えている。


 新たな命令を待つ必要はなかった。


「第一陣、前進!」


 各輸送船から兵士たちが一斉に動き出した。


 船が港へ入る。


 兵士たちが次々と降りる。


 その後ろから別の船が続き、さらにその後ろからも兵員輸送船が入ってくる。


 約六万人もの兵士が、一斉にヴェルゼバンセスへ押し寄せていく。


 しかし、その瞬間。


 港の奥にある高台から、シルウァニア兵が姿を現した。


「敵兵を確認!」


「数は!」


「およそ五千!」


 公爵の表情が変わる。


 そこには、港を見下ろすように配置されたシルウァニア軍がいた。


 ヴェルゼバンセスは、単なる港町ではなかった。


 港は砂浜を埋め立てるようにして造られており、そのさらに奥には高台がある。


 高台の先には崖があり、その上に町が築かれている。


 そして、港と町の間には城壁が存在していた。


 つまり、海から上陸した軍勢は港を取っただけでは終わらない。


 高台。


 崖。


 城壁。


 その三つを突破して、初めて町そのものへ到達できる。


「これは……」


 副官が息を呑む。


 さらに厄介なことに、高台へ集まった五千人の中には大量の弓兵がいた。


 シルウァニア民族は狩猟を生業としてきた。


 彼らにとって弓は、単なる戦争のための武器ではない。


 日常的に扱われてきた武器だった。


 ここで、上陸作戦という戦いについて一つ触れておこう。


 海を越えて敵の支配地域へ兵を送り込むという作戦は、古今東西を問わず極めて難しい。攻撃側は、船から陸へ移る瞬間に最も無防備になるからだ。兵士を送り込む船、陸へ降りた兵士、まだ船上に残る兵士が同時に存在するため、最初から全軍が一つの戦列として戦えるわけではない。


 歴史上でも、第二次世界大戦におけるノルマンディー上陸作戦のように、圧倒的な物量を持つ側でさえ、大規模な上陸作戦には莫大な準備と犠牲を必要とした。


 まして、上陸地点そのものが敵によって要塞化されていれば、その難易度はさらに跳ね上がる。


 海軍力で制海権を握ることと、陸上に安全な足場を築くことは全く別の問題なのだ。


 ヴェルゼバンセスでは、その問題が極端な形で現れていた。


 港へ上陸した兵士たちの前には、高台がある。


 そのさらに奥には崖。


 そして、その上には城壁。


 シルウァニア軍は、エクィトゥム軍が船から降りて隊列を整えるまでの時間を、最初から利用できるように防衛線を築いていた。


「敵弓兵、構えています!」


「盾を!」


 上陸したエクィトゥム兵が盾を掲げる。


 だが、まだ完全な隊列はできていない。


 船から降りたばかりの兵士。


 その後ろから降りてくる兵士。


 さらに船から降りようとしている兵士。


 部隊同士が重なり、各指揮官は急いで兵士をまとめようとしていた。


「隊列を整えろ!」


「前へ出ろ!」


「盾の間隔を詰めろ!」


 その声を聞いた直後だった。


「放て!」


 高台から大量の矢が放たれた。


 上陸部隊へ向け、雨のように矢が降り注ぐ。


 兵士たちは盾を構える。


 しかし、シルウァニア弓兵は盾そのものを狙っているわけではなかった。


 盾と盾の隙間。


 兵士同士の間。


 隊列を整えるために動いた兵士の身体。


 わずかな隙間を見つけるたびに、正確な矢が飛んでくる。


「負傷者を下げろ!」


「前へ進め!」


「止まるな!」


 怒号が港に響き渡る。


 だが、上陸戦では攻撃側が最も危険な状態になる。


 船から降りたばかりでは、陣形が整っていない。


 装備の確認も十分ではない。


 後方から続々と兵士が上陸してくるため、前方の部隊は簡単には自由に動けない。


 それに対して、シルウァニア軍は高台という有利な位置から攻撃している。


 五千人と六万人。


 数字だけなら大きな差がある。


 しかし、実際に戦っている場所では、その差を簡単に活かすことができない。


 上陸作戦とは、単純に兵士を陸へ運ぶだけの戦いではない。


 船から降りた兵士を、一個の軍として戦える状態まで持っていかなければならない。


 しかも、その過程そのものを敵に狙われる。


 ヴェルゼバンセスの防衛線は、その弱点を理解した上で築かれていた。


 港の先に高台。


 高台のさらに先に崖。


 そして、その上に城壁。


 さらに、その高台にはシルウァニアの誇る弓兵が待ち構えている。


 エクィトゥム王国が用意した約三百隻の大艦隊。


 そこから送り込まれる約六万人の上陸軍。


 その圧倒的な兵力が、今まさにシルウァニア王国唯一の港町ヴェルゼバンセスへ流れ込んでいた。


 だが、港を奪うことと、ヴェルゼバンセスを奪うことは同じではない。


 新フェルゼンハルト公爵は、高台から降り注ぐ矢を見ながら理解した。


 この上陸作戦は、ここからが本当の戦いなのだ。

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