第31話 嫌悪と驚愕
王都へ戻ってから数日後。
俺は再び王城へ呼び出されていた。
北西部で指揮を執るエクィトゥム王国王太子フィリウスから、新たな作戦案が提出されたためだ。
父上の執務室には、父上をはじめとしたアンティクイランド王国の重臣たちが集まっている。その中には軍務を担当する者だけではなく、財務や外交に関わる貴族もいた。俺はその一角に座り、机の上に広げられた資料へ目を通していた。
そこに記されていた内容は、これまで俺が知っていた『竜の祝福』とは大きく異なっていた。
北西部へ未投入だった二十万人を一斉投入。
南西部へ追加で六万人を送り、既存の三万人と合わせて敵主力を拘束。
そして、その次に記されていたものを見て、俺は思わず顔を上げた。
「……エクィトゥム王国海軍?」
「そうだ」
父上が答える。
俺は資料へ目を戻した。
「約三百隻?」
「はい」
軍務担当の貴族が頷いた。
「エクィトゥム王国海軍は、およそ三百隻の艦艇を保有しております」
「三百……」
思わず、もう一度数字を確認した。
エクィトゥム王国が海を持つ以上、海軍が存在することくらいは知っている。しかし、三百隻という規模までは知らなかった。
「対するシルウァニア王国海軍は、およそ十五隻です」
「十五隻……」
俺は呟いた。
「それだけなのか?」
「シルウァニア王国には海軍そのものは存在しますが、主要な軍事力は陸軍です。さらに、シルウァニア王国唯一の港であるヴェルゼバンセスを防衛することが主な役割となっています」
十五隻対三百隻。
単純な数だけを見ても、あまりにも大きな差だった。
「これまで、エクィトゥム王国は海軍を大規模に運用してこなかったのですか?」
「その必要がありませんでした」
父上が答える。
「エクィトゥム王国にとって主要な戦場は大陸西部の陸上です。シルウァニア王国との戦争も、これまでは山岳地帯と国境の防衛線を突破することが中心でしたからな」
俺は納得しかけた。
しかし、すぐに疑問が浮かぶ。
「それなら、なぜ俺たちは三百隻もの海軍が存在することを知らなかったんですか?」
「エクィトゥム王国が積極的に外へ知らせていなかったからでしょう」
父上が答える。
「海軍力を知られれば、周辺諸国との外交や軍事上の計算も変わる。あえて情報を限定していたのでしょう」
俺は資料を見つめた。
エクィトゥム王国。
陸軍三十五万人。
そして、約三百隻の海軍。
俺たちが知っていた以上の軍事力を持っている。
「……隠された切り札だったわけか」
「ああ」
父上が頷く。
フィリウスは、それを今まで使っていなかった。
そして、今回の戦争で初めて切ろうとしている。
俺は資料の続きを読んだ。
「ヴェルゼバンセス……」
シルウァニア王国唯一の港町。
俺はそこへ指を置いた。
「ここから上陸するんですね」
「そのようだ」
俺は地図を見る。
陸路からシルウァニア王国へ侵攻する場合、山岳地帯と大森林が最大の障害になる。巨大な防衛壁も存在し、さらにシルウァニア兵は森と山を利用してゲリラ戦を繰り返している。
だが、海から攻めれば、その防衛線を迂回できる。
ヴェルゼバンセスを確保すれば、新しい戦線をシルウァニア王国の内部へ作ることができる。
「エクィトゥム王国海軍約三百隻でシルウァニア海軍十五隻を撃破し、その後に上陸部隊を送り込む……」
「はい」
軍務担当者が答える。
「これまでの『竜の祝福』には含まれていなかった戦力です」
「だから、切り札なのか」
「その通りです」
俺は静かに頷いた。
だが、資料をさらに読み進めたところで、別の一文に目が止まった。
「……森林焼却?」
思わず声が出た。
そこには、シルウァニア軍がゲリラ戦に利用している森林を、軍事的に利用できなくするための森林焼却について記されていた。
俺は数回、文字を読み返した。
見間違いではない。
「これ……本気ですか?」
誰もすぐには答えなかった。
やがて軍務担当者が口を開く。
「フィリウス王太子の案です」
「シルウァニア軍は森へ潜伏している。だから森を消す……ということですか」
「はい」
理屈だけなら分かる。
敵が森を使う。
ならば、その森を使えなくする。
だが――。
「……狂ってる」
俺の口から、思わず言葉が漏れた。
普段なら、俺はこんな言葉を簡単には使わない。
軍事作戦なら、まず合理性を考える。
成功する可能性。
必要な兵力。
予想される損害。
得られる成果。
しかし、今回ばかりは違った。
合理的だからこそ、恐ろしい。
シルウァニア軍が森へ潜伏する。
だから、森そのものを焼く。
それは敵兵だけを狙うものではない。
森には村もある。
人が住んでいる。
狩猟をして暮らしている者もいる。
シルウァニア人にとって、その森は単なる戦場ではない。
「森を焼けば、シルウァニア軍だけでなく、そこに住んでいる人たちまで巻き込むでしょう」
ティアが資料を見ながら言う。
「ああ」
俺は答えた。
これは、もはや単純な敵軍撃破の作戦ではない。
敵が潜伏する環境そのものを破壊する。
ベトナム戦争で、アメリカ軍がゲリラ勢力が活動する地域の植生を軍事的に利用できなくするため、広範囲に薬剤を散布した事例を思わせる発想だった。
もちろん、この時代にそのような化学物質はない。
だからこそ、フィリウスが選んだ方法はもっと単純で、もっと破壊的だった。
森そのものを焼く。
「そこまでしてでも、ゲリラ戦を止めるつもりなのか……」
俺は呟いた。
その時、ふと気づく。
今回のフィリウスの作戦は、単純な兵力増強ではない。
北西部二十万人。
南西部九万人規模。
そして海上から約三百隻。
さらに未動員の傭兵団、傭兵、民兵。
そして森林焼却。
これまでの「竜の祝福」は、敵の判断を誘導し、その隙を突く作戦だった。
だが、今度は違う。
敵の対応能力そのものを超えるだけの戦力を、複数の場所から一斉に投入しようとしている。
「フィリウス王太子いやエクイトゥム王国は、本当にこの戦争を終わらせるつもりなんですね」
俺が言う。
「そのためなら、手段を選ばなくなっている」
父上が静かに答えた。
俺はもう一度、海軍についての資料へ目を戻した。
「それにしても、エクィトゥム王国にこんな海軍が存在していたとは……」
「私も驚いている」
父上もそう言った。
「エクィトゥム王国は陸軍国家として知られている。そのため、他国から見れば海軍の規模など意識されなかったのだろう」
俺は資料に記された約三百隻という数字を見つめる。
これまで俺は、エクィトゥム王国の軍事力を「三十五万人の陸軍」として考えていた。
だが、その認識は間違っていた。
陸軍以外にも、まだ切り札が存在する。
「エクィトゥム王国は……思っていた以上に大きな国ですね」
俺が呟く。
北西部では二十万人が動く。
南西部では九万人規模の軍が動く。
そして海では、約三百隻の艦隊が動き始める。
それだけの戦力を持ちながら、これまで俺たちはその全容を把握していなかった。
そして、その全てをフィリウスが戦場へ投入しようとしている。
俺は資料を閉じた。
「……シルウァニアにとって、これからが本当の戦争になるのかもしれない」
そう呟きながら、俺はヴェルゼバンセスと、その向こうに広がるシルウァニア王国の地図を見つめていた。
俺が南部で経験した戦争は、まだ終わっていない。
むしろフィリウスが切り札を出したことで、これから戦争そのものが大きく変わろうとしていた。




