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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第1章 誕生と王国の影
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第24話 第三王子派との交渉

母上が亡くなってから、まだそれほど日は経っていない。


それでも、王宮の政治は待ってくれなかった。


むしろ――母上の死を境に、これまで水面下にあった動きが一気に表へ浮かび上がっている。


第一王子派は半壊した。


領地貴族は二割から五分へ。


法衣貴族も二割から一割五分へ減少している。


一方、第二王子派は領地貴族九割五分、法衣貴族五割という圧倒的な勢力へ膨れ上がっていた。


王弟派も内紛によって崩壊寸前。


そして――第三王子派だけが、ほとんど変化していない。


領地貴族はゼロ。


法衣貴族は一割五分。


数字だけを見れば、弱小派閥だ。


だが。


俺はそうは思わなかった。


変化していないということは、まだ誰にも食われていないということだ。


だから俺は、第三王妃との面会を求めた。


通されたのは、王宮内にある第三王妃の私室だった。


「第一王子殿下がお一人で来られるとは思いませんでした」


第三王妃セレネ・ゲンス・デイ・アンティクイランド。


第三王子エドリアンの母。


その表情には驚きがある。


だが、それ以上に警戒があった。


当然だ。


俺は第一王子。


彼女は第三王子の母。


本来なら、俺たちは王位を争う立場にある。


「護衛は外におります」


「なるほど」


セレネは向かいの椅子を示した。


俺は腰を下ろす。


そして、前置きもなく一枚の紙を机へ置いた。


「これは?」


「現在の貴族派閥の動向です」


セレネが紙へ目を落とす。


そこには各派閥の勢力だけではなく、最近どの家がどの派閥へ移ったのか、その時期まで記されている。


しばらく紙を眺めたあと。


セレネの目が細くなった。


「……随分と詳しいですね」


「そうでしょうか」


「少なくとも、五歳の王子が持っている情報には見えません」


俺は否定しなかった。


「では、一つ質問をします」


「何でしょう」


「この情報を、どこから?」


「それを知る必要がありますか?」


セレネが黙る。


「重要なのは、情報の出所ではありません」


俺は紙を指先で軽く叩いた。


「私が、第二王子派の動きを把握しているという事実です」


「……」


セレネは再び紙を見る。


「王弟派の件も?」


「はい」


その瞬間、彼女の目が僅かに動いた。


「双子の御子息たちの争いに乗じて、王弟派が分裂した」


「……」


「そして、その混乱に第二王子派が介入した」


セレネは何も言わない。


「第二夫人の御子息を、次期公爵候補として担ぎ上げることで」


「そこまで……」


「さらに、その動きに合わせて王弟派の貴族が離脱している」


俺は淡々と続ける。


「偶然でしょうか?」


「……分かりません」


「私も分かりません」


その答えに、セレネが少し意外そうな顔をした。


「ですが」


俺は続ける。


「一つの派閥が弱った直後に、別の派閥だけがその利益を得ている」


「……」


「それが何度も続いている」


セレネは紙から顔を上げた。


「第二王子派は、王弟派を潰すつもりだと?」


「すでに潰れ始めています」


「では、次は?」


俺はセレネをまっすぐ見る。


「どこでしょうね」


沈黙。


その言葉の意味を、セレネは理解したようだった。


「……第三王子派」


「はい」


セレネの表情から、僅かに余裕が消えた。


「ですが、第三王子派は第二王子派と争ってはいません」


「だから安全だと?」


「そういう意味ではありません」


「ならば、エドリアンが王位継承争いから脱落しない保証はありますか?」


セレネは答えなかった。


「第三王子派には領地貴族がいません」


俺は続ける。


「法衣貴族も一割五分程度」


「……」


「第二王子派には領地貴族九割五分」


「……」


「法衣貴族五割」


俺は一度、言葉を止める。


「王弟派が崩れれば、その差はさらに広がるでしょう」


セレネは黙っている。


「今のままでは、第三王子派は弱すぎます」


「……第一王子派も、同じではありませんか?」


「その通りです」


即答した。


セレネが顔を上げる。


「母上を失ったことで、第一王子派も大きく弱体化しました」


「ならば――」


「だから、あなたに会いに来ました」


セレネが黙る。


俺は椅子から降りることもなく、ただ彼女を見た。


「私は、エドリアンを排除するつもりはありません」


「……本当に?」


「はい」


「では、何を望んでいるのです?」


俺は答えた。


「第三王子派と第一王子派の統合です」


セレネの目が見開かれる。


「……統合?」


「はい」


「王位継承争いの相手を、自分の派閥へ?」


「相手だからこそです」


「意味が分かりません」


「分かりやすい話です」


俺は机の上の派閥図を指した。


「私には正統性があります」


「第一王子だから?」


「はい」


「そして、エドリアンには?」


「法衣貴族との繋がりがあります」


セレネが黙る。


「第一王子派には足りないものがある」


「……」


「第三王子派にも足りないものがある」


俺は二つの派閥を指で示した。


「ならば、一つになればいい」


「それで、エドリアンはどうなるのです?」


「王位は私が継ぐ」


セレネの目が鋭くなる。


「その代わり――」


俺は言葉を続けた。


「エドリアンには、王国の政務を担ってもらいます」


「……具体的には?」


「宰相の地位を」


セレネが息を呑んだ。


「次期宰相?」


「はい」


「あなたが国王になったとしても?」


「私が国王になった後だからこそです」


セレネは俺をじっと見つめた。


「……五歳の子供が、そこまでの約束をしていいのですか?」


「だから、あなたは信用できないと言いたいのでしょう」


「……」


「当然です」


俺は頷いた。


「今の私には、あなたとの約束を強制する力などありません」


セレネの目が僅かに見開かれる。


「ならば、なぜ?」


「それでも私は、約束します」


「……」


「私が王になったとき、エドリアンを宰相にする」


セレネは黙った。


「ただし」


俺は続ける。


「エドリアンにも、相応の能力を身につけてもらいます」


「……条件をつけるのですね」


「当然です」


俺は頷いた。


「宰相は、王子だから与えられる地位ではありません」


その言葉に、セレネの表情が僅かに変わった。


「エドリアンが本当に国を支えられる人物になるのであれば、私は約束を守ります」


「……なるほど」


セレネが小さく呟いた。


そして――。


「では、あなたは何を得るのです?」


「第三王子派の力です」


「それだけ?」


「十分です」


俺は即答する。


「第一王子派だけでは、第二王子派に対抗できません」


「……」


「第三王子派だけでも同じです」


俺は派閥図を見る。


「だから、一つになります」


セレネはしばらく黙っていた。


やがて、静かに問いかける。


「もし、私が拒否したら?」


「その場合は、別の方法を考えます」


「脅さないのですね」


「脅す必要がありません」


俺は答えた。


「第二王子派は、いずれ第三王子派にも手を伸ばします」


「……」


「そのとき、あなたが選ぶことになります」


第一王子派か。


第二王子派か。


それとも――。


第三の道を探すか。


「ただ」


俺は立ち上がった。


「私と手を組むなら、少なくとも一つだけ約束します」


「何を?」


「エドリアンを、王位継承争いから無理に引きずり下ろしたりはしません」


セレネの目が僅かに揺れる。


「王位を争う自由は残します」


「……え?」


「ただし、エドリアン自身が望むのであれば、です」


俺はセレネを見る。


「母親や周囲の貴族に担がれるだけの王位争いには、意味がない」


「……」


「エドリアンが本当に王になりたいのなら、そのときは私と競えばいい」


セレネはしばらく俺を見つめていた。


やがて。


「……あなたは、本当に五歳なのですか?」


「五歳です」


「そうは見えません」


「よく言われます」


セレネが初めて、小さく笑った。


だが、その笑顔はすぐに消えた。


「少し考える時間をください」


「もちろんです」


俺は頷く。


「ただし、長くは待てません」


「……分かっています」


俺は部屋を出ようとする。


その背中に、セレネの声が飛んできた。


「第一王子殿下」


「はい?」


「一つだけ聞かせてください」


俺は振り返る。


「なぜ、そこまでしてエドリアンを助けるのです?」


俺は少しだけ考えた。


そして答える。


「助けるわけではありません」


「……?」


「必要だからです」


それだけ言って、俺は部屋を出た。


廊下へ出ると、少し離れた場所でグラフィルが待っていた。


「殿下」


「終わった」


「ご返答は?」


「まだだ」


「では――」


「だが、悪くはない」


俺は歩き出した。


「第三王子派には、第二王子派につく理由がない」


「……」


「少なくとも今は」


俺は窓の外を見る。


「ならば、その前にこちらへ引き込む」


「第三王子派を第一王子派へ?」


「違う」


俺は答えた。


「第一王子派と第三王子派を、一つの勢力にする」


グラフィルが黙って頷く。


「そして次だ」


「次?」


「王弟派」


俺は静かに言った。


「今なら、まだ間に合う」


母上が死んだ。


第一王子派は崩れた。


王弟派も崩れ始めている。


第二王子派だけが、その隙間を埋めるように膨れ上がっている。


ならば――。


俺たちも動く。


第三王子派を取り込む。


王弟派から離れた貴族を取り込む。


そして、第二王子派と対等に戦える勢力を作る。


その先にいるのが――。


母上を殺した者だ。


俺は歩みを止めなかった。


母上の仇を討つ。


妹を守る。


そのために。


俺は、この王宮そのものを利用する。

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