第19話 カヴィーレスターン軍総大将戦死
シルウァニア軍による大規模な反撃が始まってから、南部戦線は急速に混乱の度合いを増していた。
大陸西部三国同盟軍の南部方面軍は、カヴィーレスターン軍とアンティクイランド軍を中心に各地へ展開し、さらに諸侯軍や傭兵団もそれぞれ別の地点へ配置されている。当初の五万人からすでに一万四千人の損害を受け、現在の総兵力は約三万六千人。その中でもカヴィーレスターン軍は三万三千人から二万三千人にまで減少していた。
それでも、カヴィーレスターン軍はそれまでに複数の村や砦を制圧していた。そのため、占領した地域を維持するために各地へ守備隊が置かれ、二万三千人という兵力が一つにまとまっているわけではなかった。
そして、今、その分散が致命的な弱点になろうとしていた。
「敵襲!」
山道を進んでいたカヴィーレスターン軍の一部隊から、突然叫び声が上がった。
森の中からシルウァニア兵が現れる。
最初に姿を見せたのは数十人程度だった。
「敵は少数だ!」
カヴィーレスターン兵が身構える。
だが、その判断はすぐに覆される。
森の奥から別の部隊が現れ、さらに別の斜面からも兵士が下りてくる。
「左翼にも敵!」
「後方はどうなっている!」
「確認できません!」
山と森によって視界が遮られ、敵の全体像が見えない。
カヴィーレスターン軍は軽装歩兵と軽騎兵を中心としている。そのため平地ならば迅速に部隊を展開し、敵の側面へ回ることもできる。
しかし、ここはシルウァニア王国。
山岳地帯と大森林が広がり、街道も狭い。
騎兵はまともに展開できず、軽装歩兵の機動力も森林と急斜面によって大きく削がれていた。
しかも、敵はこの土地を知り尽くしている。
森へ入れば消える。
山道を進めば別の場所から現れる。
追撃しようとすれば、その先に別の部隊が待っている。
「いったん後退しろ!」
部隊指揮官が叫んだ。
兵士たちが後退する。
だが、別の場所ではすでに別の戦闘が始まっていた。
同じ頃。
カヴィーレスターン軍総大将アイガード・ゼフィルのもとにも、次々と報告が届いていた。
「東側の部隊が攻撃を受けています!」
「北の村でも敵襲です!」
「西側の砦との連絡が途絶えました!」
「街道を移動していた輸送隊も襲撃を受けています!」
アイガードは地図を見つめていた。
そこには、カヴィーレスターン軍の部隊が無数に配置されている。
村。
砦。
街道。
山道。
それぞれに自軍の兵がいる。
だが、それらの部隊を一つにまとめるための時間がない。
「各部隊へ撤退命令を出せ!」
アイガードが命じた。
「最寄りの集結地点まで後退させろ!」
「承知しました!」
伝令が走っていく。
しかし、しばらくして別の伝令が戻ってきた。
「総大将閣下! 一部の部隊に撤退命令が届いていません!」
「なぜだ!」
「街道が敵に押さえられています!」
アイガードの表情が険しくなる。
さらに報告が入る。
「西側の部隊も撤退できません!」
「東側は?」
「敵との交戦中です!」
「南側は?」
「現在地が確認できません!」
アイガードは地図を睨んだ。
これまでカヴィーレスターン軍は、機動力を活かして各地を制圧してきた。
だが、その兵力を各地へ分散させた結果、今度は一つの軍としてまとまることができなくなっている。
しかも、敵はその隙を正確に突いてきている。
「……まずいな」
アイガードが低く呟いた。
このままでは、各地の部隊が一つずつ孤立する。
総大将として、一刻も早く兵力をまとめる必要がある。
「私が前へ出る」
「閣下!」
「撤退させる部隊が残っている」
アイガードは立ち上がった。
「各部隊へ再度伝えろ。現在地点を捨ててでも、指定した集結地点へ向かわせろ」
「しかし、閣下自身が前線へ出られるのは危険です!」
「分かっている」
アイガードは答えた。
「だからこそ行く」
総大将が安全な場所で撤退を命じるだけでは、今の状況は変わらない。
部隊はばらばらになっている。
伝令は届かない。
敵はどこにいるか分からない。
ならば、自分自身が前線へ出て、部隊を直接まとめるしかない。
アイガードが前線へ向かう頃には、カヴィーレスターン軍の各地で本格的な撤退が始まっていた。
しかし、それは一斉撤退ではなかった。
撤退命令を受けた部隊は後退する。
命令を受けていない部隊は戦い続ける。
連絡が取れない部隊は、それぞれの判断で動く。
結果として、同じ軍の兵士たちが別々の方向へ進むことになった。
「こちらが撤退路だ!」
「違う! 西へ向かえ!」
「総大将から別の命令が来ている!」
「そんな命令は聞いていない!」
叫び声が飛び交う。
誰の命令が最新なのかすら分からない。
そして、その混乱の間にもシルウァニア軍は攻撃を続けていた。
正面から押す。
退路を狙う。
別の部隊へ回る。
その繰り返しだった。
「敵はどこだ!」
「森の中です!」
「規模は?」
「分かりません!」
カヴィーレスターン兵たちは、何度も周囲を見回した。
しかし、見えるのは山と木々ばかり。
シルウァニア軍の姿はほとんど見えない。
それでも、矢や投槍が飛んでくる。
そして反撃しようとすれば、もう敵はいない。
そのまま進めば、別の場所から攻撃される。
カヴィーレスターン軍の撤退は、次第に組織的なものではなくなっていった。
やがて、アイガードは一つの部隊と合流した。
そこには数百人の兵士が残っていた。
「総大将閣下!」
「どれだけ残っている?」
「約四百です!」
「他の部隊は?」
「分かりません!」
アイガードは一瞬だけ目を閉じた。
それでも、すぐに命令する。
「この部隊を連れて集結地点へ向かう」
「はい!」
だが、進み始めた直後だった。
森の奥から敵影が現れる。
「敵!」
兵士が叫ぶ。
アイガードはすぐに周囲を見る。
「数は?」
「多くありません!」
「ならば、突破する」
兵士たちが武器を構える。
シルウァニア軍は正面から一気に押し潰そうとはしなかった。
道を塞ぐ。
側面から攻撃する。
そして、後方へ回る。
逃げ道を完全に消さず、撤退できる方向へ兵を追い立てていく。
アイガードは、それが意図的なものだと気づき始めていた。
「こちらへ逃がしている……?」
そう呟いた直後、さらに遠くから戦闘音が聞こえた。
別のカヴィーレスターン部隊も同じ方向へ移動している。
このままでは、複数の部隊が同じ場所へ集まってしまう。
それを狙っているのか。
アイガードは判断した。
「全員、止まるな! 集結地点へ向かう!」
部隊は再び動き始めた。
その頃、別の場所では、さらに大きな部隊がシルウァニア軍の攻撃を受けていた。
「総大将へ連絡しろ!」
「伝令が戻ってきません!」
「なら別の者を送れ!」
だが、その伝令も途中で足止めされる。
また別の道を使おうとする。
そこでも敵影が現れる。
カヴィーレスターン軍は完全に混乱していた。
そして、アイガードのもとへも新たな報告が届く。
「閣下! 集結地点の近くに敵が出現しています!」
「敵の規模は?」
「不明です!」
「……」
アイガードは地図を見る。
このままでは、集結地点そのものが安全ではない。
だが、ここで部隊を分散させれば、さらに各個撃破される。
「このまま行く」
「閣下!」
「集まらなければ戦えん」
アイガードはそう言って、兵士たちを前へ進ませた。
やがて、山道の先にシルウァニア軍が現れた。
アイガードは一瞬で状況を理解した。
この先を抜けなければならない。
「全員、前へ!」
カヴィーレスターン兵が突撃する。
アイガード自身も前線へ出た。
長大な軍勢を率いる総大将ではなく、一人の大族長として兵士たちと同じ場所に立つ。
「進め!」
兵士たちが続く。
シルウァニア軍も抵抗する。
森と山道の狭さによって大規模な戦闘にはならない。
だが、両軍が近距離でぶつかる。
「まだだ!」
アイガードが叫ぶ。
「ここを抜ければいい!」
兵士たちを後退させる。
一人でも多く生きて集結地点へ戻す。
そのためにアイガードは最後尾へ回った。
「閣下! 先にお退きください!」
「私が先に逃げてどうする!」
アイガードが怒鳴る。
「行け!」
兵士たちが後退する。
アイガードと一部の兵が、その後ろに残る。
シルウァニア軍が迫ってくる。
それでもアイガードは動かなかった。
「行け!」
再び叫ぶ。
「カヴィーレスターンの兵を一人でも多く生き残らせろ!」
部下たちが後退していく。
アイガードはその場に残った。
最後尾で時間を稼ぐ。
それが総大将として最後にできることだった。
ほどなくして、その戦場からカヴィーレスターン軍の部隊が離れていった。
しかし、アイガード・ゼフィルの姿はなかった。
戦闘が終わった後、シルウァニア兵が確認した場所に、彼の姿があった。
カヴィーレスターン軍総大将。
ゼフィル族大族長。
かつてレノたちをガルディシアで迎え、婚礼では二人を祝福した男。
そのアイガード・ゼフィルは、部下たちを撤退させるため、自ら最後尾に残り、戦死した。
アイガード戦死の報告がカヴィーレスターン軍の各部隊へ伝わったのは、それからしばらく後のことだった。
「総大将が……?」
「アイガード大族長が戦死しただと……?」
伝令の言葉に、兵士たちは言葉を失った。
そして、その衝撃は戦場全体へ広がっていく。
総大将を失った。
大族長を失った。
カヴィーレスターン軍は、すでに一万人の損害を受けている。
さらに各地へ分散していた部隊が、いまだに一つへまとまっていない。
指揮系統は揺らぎ始めていた。
その状況を見て、シルウァニア軍はさらに圧力を強めていく。
だが、彼らは全てを殺そうとしているわけではない。
逃げ道は残す。
その道へ敵を追い込む。
そして、戦場から敗走させる。
それによって、カヴィーレスターン軍の組織そのものを崩していく。
アイガード・ゼフィルの死は、その始まりに過ぎなかった。




