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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第5章 シルウァニア戦争
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第19話 カヴィーレスターン軍総大将戦死

 シルウァニア軍による大規模な反撃が始まってから、南部戦線は急速に混乱の度合いを増していた。


 大陸西部三国同盟軍の南部方面軍は、カヴィーレスターン軍とアンティクイランド軍を中心に各地へ展開し、さらに諸侯軍や傭兵団もそれぞれ別の地点へ配置されている。当初の五万人からすでに一万四千人の損害を受け、現在の総兵力は約三万六千人。その中でもカヴィーレスターン軍は三万三千人から二万三千人にまで減少していた。


 それでも、カヴィーレスターン軍はそれまでに複数の村や砦を制圧していた。そのため、占領した地域を維持するために各地へ守備隊が置かれ、二万三千人という兵力が一つにまとまっているわけではなかった。


 そして、今、その分散が致命的な弱点になろうとしていた。


「敵襲!」


 山道を進んでいたカヴィーレスターン軍の一部隊から、突然叫び声が上がった。


 森の中からシルウァニア兵が現れる。


 最初に姿を見せたのは数十人程度だった。


「敵は少数だ!」


 カヴィーレスターン兵が身構える。


 だが、その判断はすぐに覆される。


 森の奥から別の部隊が現れ、さらに別の斜面からも兵士が下りてくる。


「左翼にも敵!」


「後方はどうなっている!」


「確認できません!」


 山と森によって視界が遮られ、敵の全体像が見えない。


 カヴィーレスターン軍は軽装歩兵と軽騎兵を中心としている。そのため平地ならば迅速に部隊を展開し、敵の側面へ回ることもできる。


 しかし、ここはシルウァニア王国。


 山岳地帯と大森林が広がり、街道も狭い。


 騎兵はまともに展開できず、軽装歩兵の機動力も森林と急斜面によって大きく削がれていた。


 しかも、敵はこの土地を知り尽くしている。


 森へ入れば消える。


 山道を進めば別の場所から現れる。


 追撃しようとすれば、その先に別の部隊が待っている。


「いったん後退しろ!」


 部隊指揮官が叫んだ。


 兵士たちが後退する。


 だが、別の場所ではすでに別の戦闘が始まっていた。


 同じ頃。


 カヴィーレスターン軍総大将アイガード・ゼフィルのもとにも、次々と報告が届いていた。


「東側の部隊が攻撃を受けています!」


「北の村でも敵襲です!」


「西側の砦との連絡が途絶えました!」


「街道を移動していた輸送隊も襲撃を受けています!」


 アイガードは地図を見つめていた。


 そこには、カヴィーレスターン軍の部隊が無数に配置されている。


 村。


 砦。


 街道。


 山道。


 それぞれに自軍の兵がいる。


 だが、それらの部隊を一つにまとめるための時間がない。


「各部隊へ撤退命令を出せ!」


 アイガードが命じた。


「最寄りの集結地点まで後退させろ!」


「承知しました!」


 伝令が走っていく。


 しかし、しばらくして別の伝令が戻ってきた。


「総大将閣下! 一部の部隊に撤退命令が届いていません!」


「なぜだ!」


「街道が敵に押さえられています!」


 アイガードの表情が険しくなる。


 さらに報告が入る。


「西側の部隊も撤退できません!」


「東側は?」


「敵との交戦中です!」


「南側は?」


「現在地が確認できません!」


 アイガードは地図を睨んだ。


 これまでカヴィーレスターン軍は、機動力を活かして各地を制圧してきた。


 だが、その兵力を各地へ分散させた結果、今度は一つの軍としてまとまることができなくなっている。


 しかも、敵はその隙を正確に突いてきている。


「……まずいな」


 アイガードが低く呟いた。


 このままでは、各地の部隊が一つずつ孤立する。


 総大将として、一刻も早く兵力をまとめる必要がある。


「私が前へ出る」


「閣下!」


「撤退させる部隊が残っている」


 アイガードは立ち上がった。


「各部隊へ再度伝えろ。現在地点を捨ててでも、指定した集結地点へ向かわせろ」


「しかし、閣下自身が前線へ出られるのは危険です!」


「分かっている」


 アイガードは答えた。


「だからこそ行く」


 総大将が安全な場所で撤退を命じるだけでは、今の状況は変わらない。


 部隊はばらばらになっている。


 伝令は届かない。


 敵はどこにいるか分からない。


 ならば、自分自身が前線へ出て、部隊を直接まとめるしかない。


 アイガードが前線へ向かう頃には、カヴィーレスターン軍の各地で本格的な撤退が始まっていた。


 しかし、それは一斉撤退ではなかった。


 撤退命令を受けた部隊は後退する。


 命令を受けていない部隊は戦い続ける。


 連絡が取れない部隊は、それぞれの判断で動く。


 結果として、同じ軍の兵士たちが別々の方向へ進むことになった。


「こちらが撤退路だ!」


「違う! 西へ向かえ!」


「総大将から別の命令が来ている!」


「そんな命令は聞いていない!」


 叫び声が飛び交う。


 誰の命令が最新なのかすら分からない。


 そして、その混乱の間にもシルウァニア軍は攻撃を続けていた。


 正面から押す。


 退路を狙う。


 別の部隊へ回る。


 その繰り返しだった。


「敵はどこだ!」


「森の中です!」


「規模は?」


「分かりません!」


 カヴィーレスターン兵たちは、何度も周囲を見回した。


 しかし、見えるのは山と木々ばかり。


 シルウァニア軍の姿はほとんど見えない。


 それでも、矢や投槍が飛んでくる。


 そして反撃しようとすれば、もう敵はいない。


 そのまま進めば、別の場所から攻撃される。


 カヴィーレスターン軍の撤退は、次第に組織的なものではなくなっていった。


 やがて、アイガードは一つの部隊と合流した。


 そこには数百人の兵士が残っていた。


「総大将閣下!」


「どれだけ残っている?」


「約四百です!」


「他の部隊は?」


「分かりません!」


 アイガードは一瞬だけ目を閉じた。


 それでも、すぐに命令する。


「この部隊を連れて集結地点へ向かう」


「はい!」


 だが、進み始めた直後だった。


 森の奥から敵影が現れる。


「敵!」


 兵士が叫ぶ。


 アイガードはすぐに周囲を見る。


「数は?」


「多くありません!」


「ならば、突破する」


 兵士たちが武器を構える。


 シルウァニア軍は正面から一気に押し潰そうとはしなかった。


 道を塞ぐ。


 側面から攻撃する。


 そして、後方へ回る。


 逃げ道を完全に消さず、撤退できる方向へ兵を追い立てていく。


 アイガードは、それが意図的なものだと気づき始めていた。


「こちらへ逃がしている……?」


 そう呟いた直後、さらに遠くから戦闘音が聞こえた。


 別のカヴィーレスターン部隊も同じ方向へ移動している。


 このままでは、複数の部隊が同じ場所へ集まってしまう。


 それを狙っているのか。


 アイガードは判断した。


「全員、止まるな! 集結地点へ向かう!」


 部隊は再び動き始めた。


 その頃、別の場所では、さらに大きな部隊がシルウァニア軍の攻撃を受けていた。


「総大将へ連絡しろ!」


「伝令が戻ってきません!」


「なら別の者を送れ!」


 だが、その伝令も途中で足止めされる。


 また別の道を使おうとする。


 そこでも敵影が現れる。


 カヴィーレスターン軍は完全に混乱していた。


 そして、アイガードのもとへも新たな報告が届く。


「閣下! 集結地点の近くに敵が出現しています!」


「敵の規模は?」


「不明です!」


「……」


 アイガードは地図を見る。


 このままでは、集結地点そのものが安全ではない。


 だが、ここで部隊を分散させれば、さらに各個撃破される。


「このまま行く」


「閣下!」


「集まらなければ戦えん」


 アイガードはそう言って、兵士たちを前へ進ませた。


 やがて、山道の先にシルウァニア軍が現れた。


 アイガードは一瞬で状況を理解した。


 この先を抜けなければならない。


「全員、前へ!」


 カヴィーレスターン兵が突撃する。


 アイガード自身も前線へ出た。


 長大な軍勢を率いる総大将ではなく、一人の大族長として兵士たちと同じ場所に立つ。


「進め!」


 兵士たちが続く。


 シルウァニア軍も抵抗する。


 森と山道の狭さによって大規模な戦闘にはならない。


 だが、両軍が近距離でぶつかる。


「まだだ!」


 アイガードが叫ぶ。


「ここを抜ければいい!」


 兵士たちを後退させる。


 一人でも多く生きて集結地点へ戻す。


 そのためにアイガードは最後尾へ回った。


「閣下! 先にお退きください!」


「私が先に逃げてどうする!」


 アイガードが怒鳴る。


「行け!」


 兵士たちが後退する。


 アイガードと一部の兵が、その後ろに残る。


 シルウァニア軍が迫ってくる。


 それでもアイガードは動かなかった。


「行け!」


 再び叫ぶ。


「カヴィーレスターンの兵を一人でも多く生き残らせろ!」


 部下たちが後退していく。


 アイガードはその場に残った。


 最後尾で時間を稼ぐ。


 それが総大将として最後にできることだった。


 ほどなくして、その戦場からカヴィーレスターン軍の部隊が離れていった。


 しかし、アイガード・ゼフィルの姿はなかった。


 戦闘が終わった後、シルウァニア兵が確認した場所に、彼の姿があった。


 カヴィーレスターン軍総大将。


 ゼフィル族大族長。


 かつてレノたちをガルディシアで迎え、婚礼では二人を祝福した男。


 そのアイガード・ゼフィルは、部下たちを撤退させるため、自ら最後尾に残り、戦死した。


 アイガード戦死の報告がカヴィーレスターン軍の各部隊へ伝わったのは、それからしばらく後のことだった。


「総大将が……?」


「アイガード大族長が戦死しただと……?」


 伝令の言葉に、兵士たちは言葉を失った。


 そして、その衝撃は戦場全体へ広がっていく。


 総大将を失った。


 大族長を失った。


 カヴィーレスターン軍は、すでに一万人の損害を受けている。


 さらに各地へ分散していた部隊が、いまだに一つへまとまっていない。


 指揮系統は揺らぎ始めていた。


 その状況を見て、シルウァニア軍はさらに圧力を強めていく。


 だが、彼らは全てを殺そうとしているわけではない。


 逃げ道は残す。


 その道へ敵を追い込む。


 そして、戦場から敗走させる。


 それによって、カヴィーレスターン軍の組織そのものを崩していく。


 アイガード・ゼフィルの死は、その始まりに過ぎなかった。

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