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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第5章 シルウァニア戦争
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第17話 殲滅作戦

 南部戦線のさらに奥、シルウァニア王国軍が確保している山岳地帯では、十万人の主力軍が集結していた。南東部に元々配置されていた兵力から編成された八万人と、北東部から移動してきた二万人。その合計十万人が、王都方面の主力軍として南部へ展開している。


 その軍勢の指揮を執るのは、シルウァニア王国王太子セルシール・モンタヌスだった。現地には、これまで南部方面防衛軍四万人を担当していた第一王女ビュルニア・モンタヌスも到着しており、二人はシルウァニア軍の現地司令部で南部方面の戦況を確認していた。


 司令部の中央には、南部一帯を描いた大きな地図が広げられている。地図上には、エクィトゥム王国軍、カヴィーレスターン軍、アンティクイランド軍、さらに諸侯軍や傭兵団などの位置が記されていた。ただし、その多くはシルウァニア側が把握している範囲での推定だった。


「敵軍の現在の状況を確認しましょう」


 ビュルニアが南部の地図を指した。


「カヴィーレスターン軍は、すでに複数の村と砦を確保しています。しかし、そのたびに守備兵を残しているため、前線の兵力が分散しています。加えて、山岳地帯と大森林の影響で本来の機動力を発揮できていません」


「損害は?」


「戦死三千人、負傷七千人。現在の戦力は約二万三千人です」


 次に、ビュルニアの指がアンティクイランド軍へ移る。


「アンティクイランド軍は一万七千人で進撃を開始しました。こちらは兵種の構成が比較的均衡しているため、カヴィーレスターン軍よりは速く進んでいます。しかし、こちらも各地でゲリラ戦を受けています」


「損害は?」


「戦死一千人、負傷三千人。現在の戦力は約一万三千人です」


 つまり、南部方面へ侵攻してきた五万人の軍勢は、すでに三万六千人まで減っている。


 しかも、その三万六千人は一ヶ所に集まっているわけではない。


 カヴィーレスターン軍は確保した村や砦の守備に兵を割き、アンティクイランド軍も複数の部隊へ分かれている。さらに諸侯軍や傭兵団も別々の場所へ配置されているため、現在の南部戦線には大きく分散した敵軍が存在していた。


「指揮系統はどうなっていますか?」


 セルシールが尋ねる。


「統一されていません。各国軍がそれぞれの指揮系統を維持しています。諸侯軍や傭兵団についても、同じように別個の指揮下にあります」


 その報告を聞き、セルシールは地図へ視線を落とした。


 南部戦線は、シルウァニア軍にとって好条件だった。


 敵の戦力は大きい。


 しかし、その大きさが一つにまとまっていない。


 そして、ここはシルウァニアの土地だ。


 山があり、大森林があり、狭い街道があり、複雑な山道がある。


 正確な位置を把握するだけでも時間がかかる。


「敵を敗走させるのが最も損害が少なくて済むでしょう」


 ビュルニアが地図を見ながら提言した。


「無理に殲滅を狙う必要はありません。敵が逃げられる状況を残したまま戦場から退かせれば、こちらも大きな損害を避けられます」


 彼女は敵軍の配置を指し示した。


「逆に、完全に逃げ道を塞げば、追い詰められた兵士は最後まで戦うでしょう。死兵となった敵は非常に厄介です。こちらが敵を追い詰めるほど、互いの損害が大きくなる可能性があります」


 セルシールは黙って地図を見つめていた。


「それは分かっている」


 しばらくして、そう答えた。


「だから、逃げ道は残す」


 ビュルニアが王太子を見る。


「ですが?」


「それだけでは足りない」


 セルシールは地図上の三つの国を指した。


「今回、シルウァニアへ攻め込んできたのはエクィトゥム王国だけではない。カヴィーレスターン、アンティクイランドもいる」


 大陸西部三国同盟。


 四十万人の軍勢を動員して、シルウァニア王国へ侵攻してきた同盟軍だった。


「一度敗走させるだけでは、また来るかもしれない」


 セルシールは低い声で続けた。


「今回の戦争を、ただの一度の敗北では終わらせない」


 ビュルニアが静かに耳を傾ける。


「この戦争で、大陸西部三国同盟が二度とシルウァニアに立ち向かえないようにする」


 その言葉に、周囲の士官たちの表情が変わった。


「しかし、殿下。それならば、なおさら死兵を生み出してしまうのでは?」


「だから、敵を全滅させる必要はない」


 セルシールは地図を指した。


「戦力を削る。連絡を断つ。補給を奪う。そして、孤立した部隊を敗走させる」


 ビュルニアが頷く。


「つまり、敵を壊滅させるのではなく、軍として機能できない状態へ持っていく」


「そうだ」


 セルシールは続けた。


「敵が逃げれば追い込みすぎない。しかし、逃げるまでの間にできるだけ戦力を失わせる」


 そのために選ばれたのが、シルウァニアの山岳地帯と大森林だった。


 山岳民族であるシルウァニア人にとって、森や山道は生活圏であり、戦場でもある。正規兵だけではなく、狩猟を生業としてきた民兵もその土地を知り尽くしているため、敵軍が進む地域の至る所で圧力をかけることができる。


「主力軍はどう動かしますか?」


 ビュルニアが尋ねる。


「十万人をそのまま一つにまとめて正面からぶつける必要はない」


 セルシールは南部の街道をいくつか指した。


「敵の前方へ圧力をかける部隊を出す。同時に、後方へ回る部隊を作る。敵の連絡線を切り、退路へ圧力をかける」


「南部方面防衛軍は?」


「こちらも動かす」


 これまで各地に分散していた部隊を利用する。


「敵の前線を正面から支える部隊、補給線を狙う部隊、そして敵の側面を脅かす部隊に分ける」


「ただし、民兵は?」


 ビュルニアが尋ねる。


「民兵は、その土地からできるだけ動かさない」


 これは、シルウァニア軍にとって重要な原則だった。


 民兵はどこでも同じように戦えるわけではない。


 自分たちの村、自分たちの森、自分たちの山道だからこそ強い。


 知らない土地へ移動させれば、狩猟や潜伏で培ってきた能力を十分に活かせなくなる。


「ならば、各地域の民兵は自分たちの故郷で戦う」


「はい」


 ビュルニアが頷く。


「それぞれの地域で敵を削り、主力軍が進むための時間を作ります」


「そうだ」


 セルシールは地図を見つめた。


「我々は平地の大国ではない。四十万人の敵と同じように一つの巨大な軍を作って戦う必要はない」


 山々へ目を向ける。


「山を使う」


 大森林へ視線を移す。


「森を使う」


 そして、分散した敵軍へ指を置く。


「敵が一つにまとまれない状況を作る」


 ビュルニアが静かに頷いた。


「そして、敗走した敵には逃げ道を残す」


「そうだ」


「死兵にしないために」


「その通りだ」


 セルシールは最後に、南部戦線全体を眺めた。


 大陸西部三国同盟軍は強大だ。


 それでも、すでに三万六千人まで減少し、複数の部隊へ分散している。


 そして、その間にはシルウァニアの山々と大森林が広がっている。


「開始する」


 セルシールの命令が下された。


 伝令が各部隊へ散っていく。


 十万人の主力軍が動き始める。


 南部方面防衛軍の部隊も次々と配置を変えていく。


 前方へ。


 側面へ。


 そして敵の後方へ。


 これまで防御を続けていたシルウァニア軍は、ここから本格的な反撃へ転じる。


 目的は、敵を一気に殲滅することではない。


 大陸西部三国同盟軍を分断し、孤立させ、戦力を削り、最後には敗走させる。


 そして、その敗北を記憶させる。


 シルウァニア王国へ再び侵攻することが、どれほど大きな代償を伴うのかを。


 南部の山岳地帯と大森林を舞台に、シルウァニア王国軍十万人の主力を中心とした反撃が始まった。

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