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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第5章 シルウァニア戦争
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第16話 戦況把握不可能

 南部方面軍が攻勢限界に達し、進軍を停止してから数日が経っていた。俺たちは、それまでに制圧した防御壁や村、砦、前線基地を維持しながら、次の命令を待っていたが、シルウァニア軍の活動が止まったわけではない。森や山道では小規模な部隊が絶えず動き回り、補給隊や偵察隊を狙った攻撃が続いていたため、前線の兵士たちはいつ敵が現れるのか分からない緊張状態に置かれていた。


 その日の朝、俺たちのもとへ前線から緊急の伝令が駆け込んできた。


「王太子殿下! 中央軍第三軍団、第四軍団より緊急報告です!」


「どうした?」


「敵軍、およそ三千人の大規模な反撃を受けています!」


 俺はすぐに地図を広げた。報告された場所には、これまでに俺たちが制圧した地域の一つがあり、その周辺には第三軍団と第四軍団が配置されている。現在そこにいる兵力は二千二百人。敵は約三千人ということだから、単純な兵力差だけを見てもこちらが不利だった。


「被害は?」


「交戦が始まったばかりで、詳細はまだ届いておりません!」


 俺は一瞬だけ考えた。ここで第三軍団と第四軍団を見捨てれば、これまで確保した地域を奪い返される可能性がある。しかも、諸侯軍や傭兵団は別の地点へ配置されており、今すぐこちらへ呼び寄せるのは難しい。


「第一軍団を動かす」


 俺が言うと、ティアがこちらへ視線を向けた。


「レノ、行くの?」


「ああ。第三、第四軍団だけでは厳しい」


 俺自身も第一軍団二千二百人とともに増援へ向かうことにした。これでこの戦場に投入できる兵力は、第三軍団と第四軍団の二千二百人に第一軍団二千二百人を加えた四千四百人となる。対するシルウァニア軍は約三千人。ようやく、こちらが数で上回った。


 戦場へ近づくにつれて、森の向こうから戦闘音が聞こえてきた。金属がぶつかる音、兵士たちの怒号、遠くで鳴り響く角笛。そのすべてが山々に反響し、実際の敵の位置をさらに分かりにくくしている。それでも、俺は第一軍団をそのまま戦場へ投入した。


「第一軍団、前へ!」


 命令が伝わり、二千二百人の兵士たちが戦列へ入っていく。第三軍団と第四軍団の兵士たちも、それに呼応するように前進し、四千四百人の軍が三千人のシルウァニア軍へ圧力を加え始めた。


 敵は数で劣勢になっても簡単には崩れなかった。森や丘陵を使いながら戦線を維持し、正面から押されれば一歩下がり、こちらが追えば地形を使って別方向へ回り込もうとする。その動きは北西部で何度も見てきたものとよく似ていたが、今回は敵が撤退する方向を見極める必要があるため、俺は深追いを避けた。


「左翼、押し上げろ! 中央はその位置を維持する!」


 俺の命令に合わせて部隊が動く。第一軍団が左から圧力をかけ、第三、第四軍団が中央を押し上げると、少しずつシルウァニア軍が後退していった。それでも彼らは最後まで戦線を崩さず、森の入り口まで退いたところで、ようやくこちらとの距離を取った。


「敵、撤退しています!」


 カイの声が聞こえる。


「追撃はしない!」


 俺はすぐに命じた。今ここで森の奥へ入っていけば、相手の思う壺になる可能性が高い。俺たちは戦場そのものを確保し、敵を追い払ったという事実だけを戦果として残すことにした。


 だが、その直後だった。


「王太子殿下!」


 別の伝令が駆け込んでくる。


「諸侯軍の一部隊から緊急報告です。別の場所で敵襲を受けています!」


「敵兵力は?」


「不明です!」


「……またか」


 俺が地図へ目を落とすと、すぐに新たな報告が入った。


「南側の街道でも敵襲です! 傭兵団の部隊も攻撃を受けています!」


「どこで戦っている?」


「複数の地点で発生しているため、まだ正確な確認ができていません!」


 次々と報告が届く。諸侯軍が攻撃され、傭兵団が襲われ、補給隊が狙われ、前線基地の周囲でも敵影が確認される。しかも、それぞれの戦闘地点が離れているため、どの部隊がどこにいるのか、シルウァニア軍がどこから攻撃しているのか、情報を整理することさえ難しくなっていた。


「味方の現在位置は?」


「確認を急いでいます!」


「敵の位置は?」


「分かりません!」


 俺は地図を見つめた。赤い印と味方を示す印が増えていくが、どれも確実なものではない。報告が届いた時にはすでに敵が移動している可能性があり、味方の位置さえ、次の伝令が来る頃には変わっているかもしれない。


 ここは大森林と山岳地帯が重なる場所だ。視界は悪く、街道は少なく、山道は複雑で、部隊同士を繋ぐ連絡線も限られている。大軍であることが、そのまま指揮上の強さになるわけではない。むしろ兵力が大きいからこそ、広い地域へ分散した瞬間に、その全体像を把握することが難しくなっていた。


「レノ……これ」


 ティアが地図を見ながら呟く。


「ああ。単に敵が多いんじゃない」


 俺は静かに答えた。


「俺たちが、戦場を把握できなくされている」


 さっきの三千対四千四百では勝った。第三軍団と第四軍団を救援し、敵を撤退させた。その意味では明確な勝利だった。しかし、南部全体で起きている戦闘を見れば、それは広大な戦場の一地点で得た勝利に過ぎない。


 俺は各部隊へ命令を出した。


「敵を深追いするな。現在地を維持して、近隣部隊との連絡を最優先にする。勝手に部隊を動かすな!」


「承知しました!」


 伝令が駆けていく。


 それでも、司令部へ届く報告は止まらなかった。森で敵を見た。街道で攻撃を受けた。村の周辺で戦闘が起きた。後方の部隊と連絡が取れない。補給隊が予定地点へ到着しない。


 俺は地図を見つめながら、嫌な予感を覚えていた。


 北西部で起きたことと同じだ。


 いや、それよりも広い。


 そして、その混乱の向こう側で、シルウァニア王国軍が次の動きを始めていることを、俺はまだ知らなかった。

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