第15話 第四段階失敗
防御壁と前線基地を制圧した俺たちは、そのままシルウァニア王国内部へ進撃を続けた。
第四段階の目的は、南部から王都へ圧力を加えること。
俺たち五万人が進めば、シルウァニア王国軍は南部へ戦力を移さざるを得なくなる。少なくとも、作戦計画ではそうなっていた。
だが、現実はそれほど簡単ではなかった。
防御壁を突破した後、俺たちはいくつもの村や砦を確保しながら前進した。
最も先行したのはカヴィーレスターン軍だった。
軽装歩兵と軽騎兵を中心とした三万三千人の軍勢は、平地であれば高い機動力を発揮する。しかし、シルウァニア王国は山岳民族の国だ。
進めば進むほど、山が増える。
森が深くなる。
街道は狭くなる。
谷間を通る道も多い。
軽騎兵が自由に動ける場所は少なくなり、軽装歩兵の機動力も大きく制限されていった。
「騎兵、進めません!」
伝令が報告する。
「山道が狭すぎます!」
「迂回路は?」
「ありますが、かなり遠回りになります!」
俺は地図を見る。
分かっていたことだ。
カヴィーレスターン軍の強みである機動力が、この土地では活かせない。
それでも軍は進んだ。
村を一つ落とす。
砦を一つ落とす。
そして、確保した場所へ守備兵を残す。
また前へ進む。
そのたびに、兵力が減っていく。
「また攻撃を受けました!」
「どこだ!」
「昨日制圧した村の周辺です!」
シルウァニア軍は、まともに決戦を挑んではこなかった。
森から姿を現す。
村の外から攻撃する。
街道を通る輸送隊を狙う。
そして、こちらが反撃に出る前に消える。
カヴィーレスターン軍が追えば、山道や森林へ逃げ込む。
追撃をやめれば、別の場所から再び姿を現す。
三万三千人の軍勢は、少しずつ消耗していった。
村や砦を確保するたびに守備兵を置かなければならない。
補給路にも兵を割く必要がある。
前線が伸びれば伸びるほど、守らなければならない場所も増えていく。
「カヴィーレスターン軍の損害が増えています」
アトラシート伯爵が報告する。
「現在までの確認で、戦死三千人。負傷者は七千人に達しています」
俺は報告書を受け取った。
開始時三万三千人。
すでに一万人を失っている。
残存兵力は二万三千人。
「進軍速度は?」
「当初の計画を大きく下回っています」
当然だった。
本来なら機動力を活かして深く入り込み、王都へ圧力をかけるはずだった。
しかし、現実には山岳地帯で進軍速度を奪われ、各地へ兵を置き、さらにゲリラ戦によって損害を受けている。
地図上では前進している。
だが、王都は遠い。
一方、俺たちアンティクイランド軍一万七千人は、カヴィーレスターン軍より比較的順調に前進していた。
こちらは歩兵、弓兵、弩兵、騎兵などを組み合わせた、均衡の取れた編成になっている。
地形によって兵種の役割を変えることができる。
騎兵が使えない場所では歩兵を前へ出す。
狭い山道では弓兵と弩兵を後方へ置く。
必要なら部隊を分けて別の道から進む。
そのため、カヴィーレスターン軍ほど進軍速度が落ちることはなかった。
だが、こちらも無傷ではない。
「左の森です!」
兵士が叫ぶ。
次の瞬間、森から矢が飛んできた。
「敵襲!」
弓兵が盾を構える。
こちらも反撃する。
だが、敵は長く戦わない。
数度攻撃しただけで森の奥へ消えていく。
「追いますか?」
部隊指揮官が尋ねる。
「追うな」
俺は即答した。
「また別の場所から来る」
その直後だった。
「殿下! 後方で敵襲です!」
俺は振り返る。
前へ進んだことで、後方が薄くなっている。
シルウァニア軍は、その隙を正確に突いてくる。
「……やはりか」
俺は地図を見る。
前へ進めば後方が狙われる。
後ろを守れば前進が止まる。
それを繰り返している。
そして、そのたびにこちらの兵士が傷ついていく。
「シルウァニア軍は、こちらを正面から倒す必要がない」
カイが呟いた。
「ああ」
俺は頷く。
「進ませないだけでいいんだ」
こちらが一日進めば、その分だけ敵は新しい攻撃地点を作れる。
こちらが兵力を広げれば、守備に必要な人数も増える。
まるで、前進そのものが消耗につながっているようだった。
さらに数日が過ぎた。
カヴィーレスターン軍は、いくつもの村や砦を確保していた。
アンティクイランド軍も、確実に前へ進んでいる。
それでも、王都周辺地域には到底届かない。
その頃になると、五万人の南部方面軍が置かれている戦線も、大きく変化していた。
当初の五万人。
そこから防御壁を突破し、前線基地を制圧した。
さらに、その先へ進撃した。
だが、戦闘が積み重なるにつれて損害が増えていった。
「現在の損害をまとめました」
アトラシート伯爵が報告書を机の上へ置く。
俺はそれを受け取った。
そこには、これまでの戦闘によって発生した損害が記されていた。
カヴィーレスターン軍
投入兵力 三万三千人。
戦死 三千人。
負傷 七千人。
合計損害 一万人。
残存兵力 二万三千人。
アンティクイランド軍
投入兵力 一万七千人。
戦死 一千人。
負傷 三千人。
合計損害 四千人。
残存兵力 一万三千人。
南部方面軍全体
投入兵力 五万人。
戦死 四千人。
負傷 一万人。
合計損害 一万四千人。
残存兵力 三万六千人。
俺は数字を見つめた。
一万四千人。
開始時兵力の二十八パーセント。
つまり、南部方面軍はすでに四分の一以上の兵力を失っていた。
「シルウァニア側は?」
俺が尋ねる。
「正確な集計はできていません」
伯爵が答える。
「ただ、現時点で確認できている範囲では、戦死約二千五百人、負傷約五千人、合計約七千五百人程度と推定されています」
俺は頷いた。
シルウァニア軍の損害は、こちらより少ない。
だが、それでも南部方面では七千五百人ほどを失っている。
「こちらが一万四千」
「はい」
「向こうが七千五百」
「推定値ですが」
俺は再び地図を見る。
兵力だけなら、まだ戦える。
三万六千人。
五万人から比べれば大きく減っているが、それでも十分な数だ。
しかし、兵力だけで決める問題ではない。
前線は伸びている。
守備兵が必要だ。
補給路も守らなければならない。
確保した村や砦にも兵が必要になる。
その上で、シルウァニア軍は各地でゲリラ戦を続けている。
戦えば損害が出る。
進めば補給線が伸びる。
守る範囲が広がる。
さらに敵が山岳地帯に潜伏している。
このまま前進を続ければ、三万六千人という数字だけでは戦線を維持できなくなる。
「……ここが限界だな」
俺が呟く。
ティアがこちらを見る。
「止まるの?」
「ああ」
俺は地図の王都を見た。
「王都まで、まだ距離がある」
進めないわけではない。
だが、このまま進めば、今度は後方の村や砦を守る兵力が足りなくなる。
補給線も長くなる。
シルウァニア軍の攻撃を受けるたびに兵力を割かなければならない。
「前進を停止する」
俺は決断した。
「現在確保している地域を維持する。各部隊は防御陣地を構築。補給路を確保し、負傷者を後送する」
「承知しました」
命令が各部隊へ伝えられていく。
カヴィーレスターン軍も進撃を止めた。
アンティクイランド軍も停止する。
南部方面軍は、ここで一度足を止めることになった。
攻略した防御壁。
確保した村。
制圧した砦。
そして前線基地。
それらを守りながら、次の命令を待つ。
戦場として見れば、俺たちは敗北したわけではない。
防御壁は突破した。
前線基地も奪った。
いくつもの村や砦も確保した。
だが、第四段階の本来の目的――南部から王都へ圧力を加えること――は達成できなかった。
シルウァニア軍は、最後まで俺たちの思惑通りには動かなかった。
王都へ向かう道を守るのではなく、俺たちが進む土地そのものを戦場にした。
俺は遠くに見える山々を眺めた。
あの山の向こうに、シルウァニア王国の王都がある。
だが、今の俺たちにはそこまで届くだけの余力がない。
三万六千人の兵力が残っている。
それでも、その兵力をさらに前へ進ませるだけの余裕はなかった。
南部方面軍は、ここで攻勢限界に達した。
そして俺は、まだ知らなかった。
この戦線のさらに奥では、シルウァニア王都から移動してきた十万人の主力軍が、すでにこちらへ近づきつつあることを。
そしてこの時『竜の祝福』作戦第四段階は失敗した。




