第14話 風属性
俺は騎馬の上から、目の前の防御壁を見つめていた。
五万人の南部方面軍。
カヴィーレスターン軍三万三千人。
アンティクイランド軍一万七千人。
長い準備を終え、ついに第四段階が始まる。
「全軍、前進!」
俺の命令が伝わる。
ファイアカタパルトが一斉に射撃を開始した。
巨大な投射物が放たれ、防御壁へと次々に着弾する。続いてバリスタが動き、城壁上へ向けて大型の矢を放っていく。
弓兵と弩兵も射撃を開始した。
その援護を受けながら、歩兵部隊が前進する。
攻城塔がゆっくりと防御壁へ近づいていく。
破城槌も続く。
梯子を担いだ兵士たちも、その後ろを進んでいる。
「敵、弓兵!」
前方から叫び声が響いた。
次の瞬間だった。
防御壁の上から、大量の矢が放たれた。
俺は一瞬、その数に目を奪われた。
だが――。
「速い!」
カイの声が飛んだ。
矢が、まるで何か別の武器から発射されたかのような速度で飛んでくる。
盾へ突き刺さる。
地面へ深く食い込む。
そして、前進していた兵士たちの足を止める。
「何だ、あの威力は……」
俺も思わず呟いた。
普通の弓とは明らかに違う。
狩猟で使う弓をそのまま戦争へ持ち込んでいるように見えるのに、その威力はまるで別物だった。
シルウァニアの弓兵が次々と矢を放つ。
一本。
また一本。
そのたびに、こちらの前進が鈍っていく。
「盾を密集させろ!」
「攻城兵器への援護を続けろ!」
各部隊の指揮官が声を張る。
こちらも攻撃を止めない。
ファイアカタパルト。
バリスタ。
弓兵。
弩兵。
そして前進する歩兵。
五万人の軍が、一つの防御壁へ圧力を集中させる。
それでも、シルウァニア軍は簡単には崩れなかった。
防御壁の上にいる弓兵たちは、こちらが近づくたびに正確な射撃を浴びせてくる。
山岳民族。
狩猟を生業としてきた人々。
森の中で獲物を追い、遠くから仕留めることを身につけてきた者たち。
それが戦場へ持ち込まれている。
「これが……シルウァニアの弓兵か」
俺は防御壁を見つめた。
だが、その時だった。
防御壁上の一角で、数人の弓兵が弓を置いた。
そして、互いに距離を取るように立つ。
「……?」
何をしている?
その疑問に答えるように、一人の弓兵が目を閉じた。
両手を胸の前で組む。
そして、詠唱を始めた。
「シルウァニアの森に祝福をもたらす風の神ヴェントスよ」
その声は、戦場の喧騒の中でも不思議なほどはっきりと響いた。
俺は動きを止めた。
「哀れにも神の御力に縋る我らに神のご加護を与えたまえ」
その瞬間。
弓兵の周囲に魔法陣が出現し、風が渦巻いた。
強風というほどではない。
だが、空気そのものが揺れている。
「我らが願うは――『武具強化』のご加護」
弓が淡い風に包まれる。
弓兵の手に握られた武器。
そして、その矢。
その周囲に目には見えにくい流れが生まれていく。
「我が祈りを聞き届け、御身がご加護を与えたまえ」
詠唱が終わった。
次の瞬間。
弓兵が矢を番える。
弓を引く。
そして――放った。
矢が飛ぶ。
速い。
先ほどまでの矢より、さらに速い。
風をまとった矢が一直線にこちらへ飛来し、盾へと突き刺さった。
「……!」
俺は目を見開いた。
盾を持っていた兵士が衝撃で後ろへ下がる。
周囲の兵士たちも思わず足を止めた。
あれは魔術だ。
いや。
普通の魔術とは少し違う。
俺が知っているこの大陸の魔術は、基本的に氷と炎。
氷。
炎。
その二つが、この大陸における通常の属性だ。
だが――。
「風……?」
俺は呟いた。
まさか。
シルウァニアには、風属性の力が存在するのか?
ティアも驚いた表情で防御壁を見ている。
「レノ……今のって」
「ああ」
俺は頷く。
「魔術だ」
しかし、これは俺たちの知る魔術とは違う。
詠唱も違う。
信仰する神も違う。
氷雪の女神グラシエルではない。
灼熱竜アルデーンスでもない。
シルウァニアの民が信仰する、独自の神。
――風の神、ヴェントス。
帝国に支配されたことがなく、古くから自分たちの文化と信仰を守り続けてきたシルウァニア民族。
その民族だけが信仰する神。
そして、この大陸ではほとんど確認されていない風属性の力。
「弓兵が魔術を使っている……」
アトラシート伯爵の声が聞こえた。
「殿下、どうしますか?」
俺は防御壁を見る。
答えは決まっていた。
「止まるわけにはいかない」
「ですが――」
「敵に未知の力があるなら、それを警戒しながら進むしかない」
俺は前方を指した。
「攻撃を続けろ!」
再び命令が響く。
ファイアカタパルトが射撃を続ける。
バリスタが矢を放つ。
弓兵と弩兵が応戦する。
その間を歩兵が進む。
シルウァニア側の弓兵も、風の神ヴェントスの加護を受けた弓を放ち続けた。
風をまとった矢が飛ぶ。
こちらの盾へ叩きつけられる。
攻城部隊の進行を妨げる。
梯子を運ぶ兵士たちが立ち止まり、再び進む。
攻城塔も幾度となく足を止められた。
だが、五万人という兵力は簡単には崩れない。
一部隊が止まれば、別の部隊が前へ出る。
攻城兵器が敵の弓兵を押さえ込む。
バリスタが防御壁上の兵士を狙う。
弓兵と弩兵が継続的に援護する。
そして、歩兵が少しずつ防御壁へ近づいていく。
「あと少し!」
誰かが叫んだ。
攻城塔がついに防御壁へ接触した。
「突入!」
エクィトゥム兵が攻城塔から防御壁へ乗り移る。
別の場所では梯子が掛けられ、兵士たちが次々と登っていく。
城門では破城槌が繰り返し叩きつけられていた。
「もう一度!」
轟音が響く。
そして――。
防御壁の一角が崩れた。
「突破口!」
叫び声が上がる。
「全軍、前へ!」
俺は腕を振った。
歩兵が一斉に動く。
防御壁の上ではシルウァニア軍が必死に抵抗している。
風の加護を受けた弓兵が最後まで矢を放ち続ける。
それでも、数で勝る連合軍が少しずつ内部へ侵入していく。
防御壁の一角を制圧。
続いて別の区画。
そして城門。
戦いは長時間に及んだ。
だが、やがて――。
「防御壁、制圧!」
伝令の声が響いた。
俺は思わず息を吐いた。
「……突破したか」
だが、まだ終わっていない。
防御壁の向こうにはシルウァニア軍の前線基地がある。
俺たちはそのまま進んだ。
そこでも戦闘が続いた。
シルウァニア兵は最後まで抵抗した。
特に風の神ヴェントスの加護を受けた弓兵は、最後までこちらの進撃を苦しめた。
その弓は、狩猟によって培われた技術と風の加護が合わさり、通常の弓兵とは比べものにならない精度と威力を発揮している。
だが、それでも五万人の軍を完全に止めることはできなかった。
時間をかけて前線基地へ進入し、各部隊が内部を制圧していく。
やがて、シルウァニア軍の組織的な抵抗が弱まった。
「前線基地、制圧を確認!」
その報告を聞いた瞬間、俺は大きく息を吐いた。
防御壁を突破した。
前線基地も制圧した。
第四段階の第一目標は達成された。
だが、俺の頭から離れなかったものがある。
――風の神、ヴェントス。
――武具強化のご加護。
シルウァニア民族が独自に信仰してきた神。
そして、氷と炎しか通常存在しないこの大陸で、極めて珍しい風属性。
「レノ」
ティアが横に来る。
「何だ?」
「さっきの弓兵……すごかったね」
「ああ」
俺は制圧した防御壁の上を見る。
「シルウァニアには、俺たちの知らない力がある」
戦争はまだ始まったばかり。
北西部ではゲリラ戦が続き、南西部でも大きな損害を出しながら前線基地を確保した。
そして、南部でも防御壁と前線基地を落とした。
だが、俺たちはまだ知らない。
シルウァニア王国が、どれほどの兵力をどこへ配置しているのか。
俺たちが北西部へ二十万人が増援されると推定していた頃、シルウァニア側では別の動きが進んでいた。
南部には守備兵四万人。
そして、その背後には――。
シルウァニア王都方面から移動を始めた十万人の主力軍。
その存在に、俺たちはまだ気づいていなかった。




