第12話 第三段階
シルウァニア戦争が始まってから、しばらくの時が過ぎた。
北西部では、エクィトゥム王国軍の戦線が完全に停滞していた。
ヴロントリア辺境伯領に接する国境防衛城壁を突破し、ルペリウス城まで陥落させた。そこまでは計画通りだった。
しかし、その先が進まない。
シルウァニア軍は大規模な正面決戦を避け、北西部全域へ散開していた。森、山道、村落、街道。その全てを利用し、エクィトゥム軍の補給隊や偵察隊、前線基地周辺の部隊へ繰り返し攻撃を仕掛けている。
攻撃を受ければ追撃する。
しかし追えば敵は森へ消える。
別の場所へ向かえば、今度は別の部隊が現れる。
戦線そのものは一定の位置まで押し上げたものの、それ以上の前進は困難だった。
そして、エクィトゥム王国軍司令部が最も警戒していたのが、北西部へ投入される予定だった二十万人の増援だった。
前線基地は完成しつつある。
しかし、その周囲の安全が確保できていない。
このまま二十万人を投入すれば、兵力を増やすどころか、補給と指揮そのものが混乱する可能性がある。
そのため、北西部方面軍への本格的な増援は一時的に見送られていた。
その一方で、戦争は別の場所でも進んでいた。
中南部。
そして南西部。
エクィトゥム王国軍の作戦計画における第三段階が始まろうとしていた。
エクィトゥム王国南西部。
山岳地帯を抜けた先に、シルウァニア王国軍が構築した防御壁が存在していた。
北部の巨大防衛城壁ほど大規模ではない。
しかし、山と山の間を通る主要街道を塞ぐように築かれており、ここを突破しなければ大規模な軍勢をシルウァニア王国内部へ進ませることは難しい。
その防御壁の前に、四万人のエクィトゥム王国軍が展開していた。
指揮を執るのはオスティエール公爵。
今回の第三段階の任務は明確だった。
防御壁を突破する。
その先にあるシルウァニア軍の前線基地を制圧する。
そして、後続の六万人が投入できる足場を築く。
「防御壁の配置は?」
オスティエール公爵が尋ねた。
「正面に歩兵。城壁上に弓兵と弩兵を確認しています。周辺の山道にも警戒部隊が配置されているようです」
「攻城兵器は?」
「すでに射撃位置へ移動済みです」
「なら、始める」
公爵は地図から顔を上げた。
「第三段階を開始する」
命令が各部隊へ伝えられていく。
そして、攻撃が始まった。
後方から攻城兵器が射撃を開始する。
弓兵と弩兵が続き、防御壁上のシルウァニア軍へ圧力を加える。
その間に歩兵が前進する。
山岳地帯での攻城戦は、北部とはまた違った難しさがあった。
進軍できる場所が限られている。
兵力を横へ広げることが難しい。
そのため、突破する部隊は防御壁の一部へ集中することになる。
シルウァニア軍もそれを理解している。
最も攻撃が集中している地点へ兵力を集め、必死に防御を続ける。
しかし、エクィトゥム軍は攻撃を止めない。
攻城兵器による支援。
弓兵と弩兵による制圧。
その間を進む歩兵。
少しずつ、防御壁へ接近していく。
やがて、最前線の部隊が壁へ取り付いた。
「梯子を!」
「前へ!」
兵士たちが進む。
攻城塔が壁へ近づく。
シルウァニア側から反撃が続く。
それでも、エクィトゥム軍は兵力を送り続けた。
長い戦闘の末、防御壁の一部が突破される。
「突破口を確保!」
伝令が叫ぶ。
オスティエール公爵は頷いた。
「全軍前進」
四万人の軍が、開いた突破口へ殺到する。
防御壁の向こうには、シルウァニア王国軍の前線基地があった。
山道を押さえるための軍事拠点。
物資の集積場所。
周辺の部隊へ命令を伝えるための指揮拠点。
この基地を制圧できれば、南西部からシルウァニア王国内部へ進出するための重要な足場になる。
エクィトゥム軍は基地へ攻撃を仕掛けた。
シルウァニア軍も抵抗する。
だが、防御壁を突破された時点で、防衛側は大きく不利になっていた。
数時間にわたる戦闘の末、シルウァニア軍は基地から後退した。
エクィトゥム軍の旗が掲げられる。
「前線基地、制圧を確認!」
報告が司令部へ入った。
オスティエール公爵は地図を見た。
第三段階の第一目的は達成した。
防御壁を突破。
前線基地を制圧。
ここまでは計画通りだった。
しかし――。
「損害は?」
公爵が尋ねる。
報告役の士官が一瞬、言葉を詰まらせた。
「戦線離脱者、約七千です」
「……」
「戦死者は三千です」
室内が静まり返る。
四万人。
そのうち一万人が、わずかな時間で戦列から失われた。
開始時兵力に対して二十五パーセント。
第一段階の北西部攻城戦以上に、重い損害だった。
「シルウァニア側は?」
公爵が尋ねる。
「正確な集計はまだできていません。ただ、捕虜と現地からの報告を合わせると、戦死・負傷・行方不明を合わせて、およそ六千から八千程度と推定されています」
「こちらより少ないな」
「防御側は突破された後に部隊を分散して退却しています。大規模な包囲には至っていません」
オスティエール公爵は地図へ視線を落とした。
この数字なら、シルウァニア側も大損害を受けている。
しかし、エクィトゥム軍は攻撃側である。
四万人を投入し、一万人を失ってようやく防御壁と前線基地を奪った。
しかも、敵を完全に壊滅させたわけではない。
戦場として見れば、明らかに重い勝利だった。
「戦闘継続は可能か」
「可能ではあります」
士官が答える。
「ただし、現在の兵力では大規模な追撃は困難です」
「残存戦力は?」
「約三万人です。戦線離脱者の中には軽傷者も含まれていますが、すぐに戦列へ戻せる人数はまだ不明です」
公爵は頷いた。
「補給は?」
「前線基地まで届けることはできます。しかし、基地周辺の安全確保が必要です」
「周辺の敵部隊は?」
「確認できています。完全に撤退したわけではありません」
公爵が地図へ視線を落とす。
防御壁は突破した。
前線基地も取った。
だが、その周囲にはまだシルウァニア軍がいる。
北西部と同じだ。
城や防御施設を奪ったからといって、周辺の土地が安全になるわけではない。
「敵の反撃は?」
「散発的に発生しています」
「規模は?」
「小規模ですが、複数地点で確認されています」
オスティエール公爵はしばらく考えた。
四万人の部隊。
そのうち一万人が戦線離脱。
残った兵力は約三万人。
その三万人で前線基地を守りながら、補給線を確保しなければならない。
さらに、この先にはまだシルウァニア王国内部が続いている。
予定していた六万人の追加投入。
そのための前線基地として、この拠点を確保することはできた。
だが、今の状態でさらに前へ進めば、今度はこの基地そのものを維持できなくなる。
「前進を止める」
公爵が言った。
「この基地を固める」
「承知しました」
「周囲の防御陣地を構築。補給路を確保しろ。敵が攻撃してきた場合は撃退するが、追撃は必要ない」
「分かりました」
参謀が一礼する。
「第三段階の次の作戦は?」
「保留だ」
公爵は即答した。
「今は、この基地を維持することが最優先だ」
前線基地では、工兵たちが急いで防御陣地を構築し始めた。
壊れた防御設備の修復。
周辺の監視所。
物資集積所。
負傷者を収容する施設。
兵士たちの宿営地。
そして、敵の襲撃に備えた防御線。
四万人で始まった攻撃は、結果として基地を奪うことには成功した。
しかし、その代償は大きかった。
エクィトゥム王国軍・第三段階
投入:40,000人
戦死:3,000人
戦線離脱:約7,000人
残存:約30,000人
シルウァニア王国軍・南西部防御戦
損害:約6,000~8,000人
※戦死・負傷・行方不明を含む推定値
エクィトゥム軍は戦場を制した。
しかし、攻撃側が二十五パーセントもの兵力を失ったことで、その後の追撃能力は大きく低下している。
そして、これまでの戦闘を合計すると、エクィトゥム王国軍の損害も無視できない規模になっていた。
北西部国境防衛城塞の攻城戦。
戦死二千人。
戦線離脱六千人。
南西部の第三段階。
戦死三千人。
戦線離脱七千人。
したがって、戦争開始からここまでに確認されているエクィトゥム王国軍の損害は、
戦死五千人。
戦線離脱一万三千人。
合計一万八千人。
開戦時のエクィトゥム王国軍三十五万人に対して、すでに約5.1%の兵力が戦死または戦線離脱している計算になる。
一方、シルウァニア王国軍については、完全に把握できているのは北西部での損害と南西部の推定損害だけだった。
北西部では、国境防衛城壁の戦闘で約四千人が戦闘から離脱し、その後の二つの迎撃部隊でもそれぞれ約千人、合計二千人の損害が発生している。さらにゲリラ戦によって約五百人が戦死した。
南西部では、防御壁と前線基地を巡る戦闘で、約六千~八千人の損害が推定されている。
そのため、シルウァニア王国軍の損害は確認・推定できる範囲だけでも、少なくとも一万二千五百人から一万四千五百人程度に達している。
ただし、この数字には戦死、負傷、行方不明、戦線離脱が混在しており、シルウァニア側の正確な戦死者数はまだ分かっていない。
これはシルウァニア軍が、正規軍だけで戦っているわけではないからでもある。
北西部各地へ散開した正規兵と民兵は、戦闘が終われば森や村へ戻っていく。
負傷しても治療を受けられない者もいる。
戦死者の一部も、戦場から回収されるまで時間がかかる。
したがって、現在の戦況だけを見て正確な損害を算出することは難しい。
それでも、両軍ともすでに相当な損害を受けている。
四十万人の大陸西部三国同盟軍。
約三十万人規模で総動員されたシルウァニア王国軍。
その戦争は、まだ始まったばかりだった。
そしてエクィトゥム軍が進めば進むほど、山岳国家シルウァニアの抵抗は激しくなっていく。
北西部では、ルペリウス戦線が停滞している。
南西部では、防御壁と前線基地を奪った代償として一万人を失った。
それでも、エクィトゥム軍は前進しなければならない。
しかし、その前に待っているのは、これまで以上に険しい山岳地帯と大森林だった。
シルウァニア王国の攻略は、まだ始まったばかりだった。




