第11話 シルウァニアの軍議
シルウァニア王国王都。
王宮の奥に設けられた軍事会議室には、国王ヴァレリウス・レクス・モンタヌスを中心として、王国各地の大族長や軍事指揮官たちが集まっていた。
壁一面には、シルウァニア王国の全土を描いた巨大な地図が掲げられている。
だが、その地図は平地の王国のものとは大きく違っていた。
国土の大部分を山岳地帯が占め、無数の山脈、峠、谷、森林が入り組んでいる。街道は限られ、その僅かな通路に村落や砦が点在していた。
シルウァニア王国では、山そのものが国境であり、峠が門であり、谷が街道だった。
そして、そこに暮らす人々もまた、その地形を熟知している。
狩猟を生業としてきた山岳民族。
森林や山道を移動し、地形を利用して生きてきた者たち。
平地の大国とは違い、シルウァニアでは国家そのものが、一つの巨大な防衛拠点のような性質を持っていた。
「では、各方面の兵力配置を改めて確認する」
国王ヴァレリウスが口を開いた。
その視線が、会議室の一角にいる男へ向かう。
セウェル・アル・ソルフィエート。
シルウァニア王国北東部を支配するソルフィエート族の族長であり、北東部最大の勢力を持つ大族長でもある。
セウェルは戦争に対して穏健な考えを持つ人物として知られている。
だが、穏健だからといって戦えないわけではない。
彼もまた山岳民族の一人であり、北東部の山々と、その中で暮らす人々について深い知識を持っている。
「まず北西部だ」
ヴァレリウスの指が地図の左上へ向かう。
「開戦時、六万人を配置していた」
赤い木札が置かれる。
「しかし、国境防衛城壁の戦闘によって大きな損害が出た」
ヴァレリウスは北西部の国境を指した。
「防衛城壁に配置していた五千人は、ほぼ壊滅。撤退できたのは、およそ千人だ」
セウェルは静かに聞いている。
「その後、エクィトゥム軍の進撃を止めるため、五千人規模の迎撃部隊を二つ投入した」
木札が二つ並べられる。
「こちらは現在も戦線を維持している。双方とも一千人ほどの損害を受けているが、撤退はしていない。残る約四千人ずつがエクィトゥム軍と睨み合っている」
「約八千人の損失ですか」
セウェルが確認する。
「ああ。さらに北西部全域で続いているゲリラ戦によって、およそ五百人が戦死した」
ヴァレリウスは北西部全体を指した。
「現在、北西部で戦える兵力は約五万三千五百人」
セウェルは地図を見つめる。
「それでも、まだ五万人以上いる」
「正規兵だけならな」
ヴァレリウスが答える。
「実際には民兵も含まれている」
「シルウァニアの民兵なら、数だけを見るべきではありません」
セウェルが静かに言った。
「そうだ」
ヴァレリウスも頷く。
「我々は平地の国家ではない。山で狩りをし、森を歩き、谷を越えて暮らしてきた。兵士でなくとも、弓を扱い、身を隠し、獲物を追う技術を持っている者は多い」
「だから民兵でも強い」
「その通りだ」
ヴァレリウスは北西部の森林地帯へ視線を移した。
「ルペリウス大族長は、その性質を最大限に利用している。城を失った後も兵を一ヶ所へ集めず、森や山道、村落へ散開させている」
「山そのものを戦場にしているわけですね」
「そうだ」
王の声が低くなる。
「エクィトゥム軍にとっては、目の前の兵だけを倒せばいい戦争ではない。進めば森から攻撃され、街道を通れば襲撃を受け、村を押さえれば別の場所から敵が出てくる」
「我々にとっては、いつもの戦い方です」
セウェルが淡々と言った。
「山では、敵より大軍を持っていることだけが強さではありません」
会議室にいた者たちが静かに聞いている。
「山道を知っていること。どこから近づけるかを知っていること。どこへ逃げれば追いつかれないかを知っていること。それだけでも大きな力になります」
「そのため、北西部はまだ持ちこたえている」
ヴァレリウスが言った。
「そういうことだ」
次に、王の指が北東部へ向かった。
「次は北東部だ」
セウェルの表情が僅かに変わる。
「開戦時、ここには四万人を置いていた」
五千人の木札と三万五千人の木札が並ぶ。
「五千人はセプテントリア連合公国との国境を監視する警備軍。そして三万五千人は民兵だ」
「はい」
「だが、この戦争では王都方面の兵力が必要になる」
ヴァレリウスは南東部へ指を移した。
「そこで、北東部から二万人を王都方面へ移す」
セウェルは地図を見た。
「二万人」
「そうだ」
「その場合、北東部に残るのは二万人ですか」
「その通りだ」
セウェルは国境線を見る。
その向こうはセプテントリア連合公国。
現在は交戦していない。
だが、ここが手薄になれば、それだけ外交上の危険が増える。
「五千の警備軍は残す」
ヴァレリウスが先に説明した。
「セプテントリアとの国境は無防備にはしない。残った兵力も、北東部の山岳地帯を利用して分散配置する」
セウェルが頷く。
「それなら、二万人を移すことはできます」
「助かる」
王は頷いた。
「ソルフィエート族は北東部最大の勢力だ。お前たちが山を守る限り、残った兵力でも容易には突破されないだろう」
「我々の山を守ります」
セウェルの言葉は穏やかだった。
「戦争そのものを望んでいるわけではありません。しかし、守るべきものがあるなら守ります」
ヴァレリウスは何も言わず、次の木札へ手を伸ばした。
「北東部から移した二万人は、南東部から移す八万人と合流させる」
木札が南東部へ動かされる。
「王都方面の主力は十万人」
「十万人……」
セウェルが呟く。
「南東部には、元々十二万人いる。そのうち八万人を主力へ回す」
「残りは?」
「四万人」
ヴァレリウスの指が南東部の防衛線へ移る。
「この四万人を、南部方面対応軍とする」
「カヴィーレスターンとアンティクイランドへの対応ですね」
「そうだ」
王は地図を指した。
「だが、四万人を一ヶ所へ集めて防衛壁へ詰め込むつもりはない」
セウェルが顔を上げる。
「北西部と同じように?」
「似ている」
ヴァレリウスは答えた。
「防衛壁そのものを守る兵を残し、それ以外は中隊規模で周辺地域へ散開させる」
「潜伏させるのですね」
「そうだ」
王は南東部の山道を指でなぞる。
「敵が進めば攻撃する。追撃されれば山へ退く。敵が別の道へ向かえば、こちらも移動する」
「決戦は避ける」
「その通りだ」
ヴァレリウスは頷いた。
「五万人の軍を正面から止めるのではない。山岳地帯でその進軍速度を落とし、王都へ到達するまでの時間を稼ぐ」
セウェルは地図を見つめながら頷いた。
「我らには、その方が向いています」
「だからお前たちの民兵も同じ方法で運用できる」
「山で暮らす者にとって、森や谷は戦場であると同時に生活の場所です」
セウェルが答える。
「自分たちが暮らしてきた土地なら、どこに身を隠し、どこから敵を見るべきかも分かります」
「それが我々の最大の武器だ」
ヴァレリウスが言った。
しかし、セウェルはそこで少し考え込んだ。
「ただ、一つ問題があります」
「何だ?」
「民兵は、正規軍とは違います」
セウェルは北東部の地図を指した。
「確かに、山岳地帯での戦闘なら非常に強い。しかし、それは自分たちが暮らしている土地だからこそです」
ヴァレリウスが耳を傾ける。
「攻められた地域の民兵は強い。自分の村を守るためなら、地形も道も森も知っています。しかし、その民兵を別の方面へ移してしまえば話が変わる」
「土地を離れれば、強みが失われるということか」
「はい」
セウェルは頷いた。
「北東部の民兵を南西部へ送り込んでも、南西部の山を知りません。逆に南西部の民兵を北東部へ移しても、同じです」
「つまり、民兵の兵力を単純に融通できない」
「その通りです」
セウェルは静かに続ける。
「正規軍なら、ある程度は別の地域へ移動させても部隊として運用できます。しかし民兵は、守るべき土地と一体になっている。土地から引き離せば、兵としての能力が大きく落ちます」
ヴァレリウスは北東部に置かれた三万五千の木札を見る。
「だから、北東部から王都へ移せる二万人も、民兵として動かすのではなく、主力軍の一部として再編する必要がある」
「そうなります」
「そして、残った北東部の民兵は、その土地から動かさない」
「はい」
セウェルは頷いた。
「我々は三万五千人の民兵を持っているから強いのではありません。三万五千人が、自分たちの山を知っているから強いのです」
その言葉に、会議室が静かになる。
ヴァレリウスも、その意味を理解した。
シルウァニア王国の民兵は、通常の予備兵力とは違う。
どこへでも送れる兵士ではない。
それぞれの村、部族、山岳地帯に根付いた戦力なのだ。
「ならば、各方面の民兵は基本的にその土地から動かさない」
ヴァレリウスが決める。
「正規軍を可能な限り移動戦力として使う。民兵は、それぞれの土地を守るための戦力として扱う」
「それが最も合理的だと思います」
「分かった」
王は頷いた。
「だからこそ、兵力の振り分けも簡単ではないわけだな」
「はい」
セウェルは地図を見ながら答える。
「数字だけなら、三万五千の民兵を一方面から別の方面へ移せば済みます。しかし、それではシルウァニア軍の強みそのものを失うことになります」
ヴァレリウスは山岳地帯を眺めた。
シルウァニア王国の戦力は、単純な兵力表には表れない。
その土地に根付いた民兵。
森を知る狩人。
山道を知る村人。
谷を知る部族。
それぞれが、自分たちの土地では正規兵に近い戦力として働ける。
だからこそ、大軍を相手にしながらも、広い国土を守ることができる。
次に、王の指が南西部へ移る。
「最後に南西部だ」
六万人の木札が置かれている。
「ここには六万人を配置する」
「エクィトゥム王国の南西部方面軍への対応」
「その通り」
セウェルが地図を見る。
「こちらも、敵と正面からぶつかるのではなく?」
「基本はそうだ」
ヴァレリウスが答える。
「六万人で敵を倒すことを目的としない。敵を足止めする。進軍速度を落とす。そして必要なら山岳地帯へ引き込み、こちらが戦いやすい場所へ誘導する」
「南西部の民兵も?」
「必要な地域で使う。ただし、無理に遠くへ移動させない」
王は続ける。
「その土地を知る者を、その土地で使う。それが我々の基本だ」
セウェルは静かに頷いた。
「それなら、山岳民族としての戦い方を維持できます」
王は地図全体を見る。
「我々は平地の大国ではない。四十万人の敵軍に対して、こちらも同じように大軍を一つにまとめてぶつけることはできない」
王の手が山脈を覆う。
「だが、我らには山がある」
北西部。
北東部。
南西部。
南東部。
どの方面にも山岳地帯が広がっている。
「峠は門。
谷は街道。
森は隠れ場所。
村落は拠点。
山そのものが防壁だ」
ヴァレリウスの声が会議室に響いた。
「だから、兵を一ヶ所へ集める必要はない。敵が進む場所すべてを戦場にする」
セウェルはしばらく黙っていた。
穏健な考えを持つ彼にとって、この戦争は望んだものではない。
それでも、自分が守ってきた北東部の山々。
そこに暮らす人々。
ソルフィエート族の土地。
それらを守るためなら、戦わなければならない。
「王陛下」
「何だ?」
「私は戦争を望みません」
セウェルは静かに言った。
「ですが、戦うのであれば、我々は山で戦うべきです」
ヴァレリウスが彼を見る。
「どういう意味だ?」
「エクィトゥム王国軍は四十万人です。正面からぶつかれば、数の差は大きい」
セウェルは地図を指した。
「しかし、四十万人全員を一つの場所へ通せる道はありません」
北東部の山道を指す。
「この山では十万人も一度に動かせない場所があります」
さらに別の谷を指す。
「ならば、敵軍を細かく分ければいい」
そして森へ指を移した。
「分けた敵を、こちらも小さな部隊で攻撃する」
ヴァレリウスは黙って聞いている。
「一つの大軍を倒す必要はありません。毎日少しずつ削ればいい。兵糧を減らし、進軍を遅らせ、敵の疲労を増やす」
「北西部のカエルスと同じ考えだな」
「はい」
セウェルが頷く。
「山岳民族である我々には、その戦い方が合っています」
王は地図を見た。
エクィトゥム王国。
カヴィーレスターン。
アンティクイランド。
合計四十万人。
対するシルウァニア王国は約三十万人規模の総動員。
数字だけなら、勝負にならない。
だが、シルウァニア王国は数字だけで戦う国ではない。
山に住み。
狩猟を行い。
森を知り。
谷を知り。
峠を知り。
村々が互いに繋がっている。
兵士だけではなく、民兵もその土地を知っている。
だからこそ、国土そのものが軍事力になる。
「決めた」
ヴァレリウスが言った。
「各方面は予定通り分散配置する。北西部はカエルスに任せる。北東部はセウェル、お前に任せる」
「承知しました」
「南部方面対応軍四万人は、王都へ敵を近づけさせない。南西部六万人も同じだ」
「はい」
「そして王都には十万人を集める」
王は最後に王都の位置へ手を置いた。
「ここが落ちれば、シルウァニア王国そのものが揺らぐ」
セウェルが王を見る。
「しかし、王都だけを守るつもりではないのでしょう?」
「ああ」
ヴァレリウスは静かに答える。
「王都を守りながら、各地で敵を削る。敵が疲弊し、戦線が伸びれば、その時に主力を動かす」
セウェルは深く頷いた。
穏健派である彼にとって、最も望ましいのは戦争を早く終わらせること。
そのためにも、無謀な決戦は避けなければならない。
「北東部の二万人は、いつまでに移動させますか?」
「できるだけ早く」
「承知しました」
セウェルは立ち上がった。
「ならば、族長として準備します」
「頼む」
セウェルが一礼する。
会議室の地図には、シルウァニア王国全土の兵力配置が示されている。
北西部。
約五万三千五百人。
北東部。
主力へ二万人を送り出した後、残る二万人の警備軍・民兵。
南東部。
八万人を王都方面の主力へ、四万人を南部方面対応軍へ。
南西部。
六万人。
そして王都方面には、南東部からの八万人と北東部からの二万人を合わせた十万人の主力。
ただし、その全てが一つの場所に集まっているわけではない。
山岳民族の国であるシルウァニア王国では、民兵を数字だけで自由に動かすことはできない。
攻められている土地の民兵だからこそ、その土地で強い。
別の地域へ移せば、土地勘という最大の武器を失う。
だから、正規軍とは違い、民兵の振り分けには大きな制約がある。
それぞれの部族と村落が、自分たちの山を守る。
それがシルウァニア王国の防衛体制だった。
ヴァレリウスは最後に、山々を描いた地図を見つめる。
四十万人の大軍を迎え撃つ。
数だけなら圧倒的に不利。
だからこそ、山岳民族としての戦い方を捨てるわけにはいかなかった。
山がある。
森がある。
谷がある。
そして、そこを知る人々がいる。
シルウァニア王国は、それら全てを戦力として使う。
この国にとって、戦場は軍隊が選ぶものではない。
故郷そのものが、戦場になるのだ。




