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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第5章 シルウァニア戦争
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第4話 春の到来

 ガルディシアへの集結が始まってから、さらに日数が経った。


 冬は終わりへ向かっていた。


 その間にも、国内各地から諸侯軍や傭兵団、中央軍の部隊がガルディシアへ入り続け、予定されていた兵力の集結は少しずつ完了していった。街道を埋めていた軍用の荷車も整理され、港に積み上げられていた物資も各部隊へ分配されていく。カヴィーレスターン軍三万三千人の上陸もすでに完了しており、港湾都市の周辺には、アンティクイランド側の軍と合わせて五万人近い兵力が集まっていた。


 そして、集結が完了した。


 だが、最後まで決まらなかったものが一つだけある。


 指揮権だった。


 南部方面軍全体を誰が指揮するのか。


 カヴィーレスターン軍三万三千人を誰が最終的に動かすのか。


 その問題について、最後まで双方の意見は一致しなかった。


 アンティクイランド側は、五万人規模の軍を一つの戦力として運用する以上、統一された指揮系統が必要だと主張した。対してカヴィーレスターン側も、連合軍として戦うことには異論がないものの、自国から送り込んだ三万三千人の兵を他国の指揮官へ全面的に委ねることについては譲らなかった。


 何度会談を重ねても、結論は同じだった。


 平行線。


 だが、戦争は交渉が終わるまで待ってくれない。


 ある朝、ガルディシアの城門前には、五万人近い兵士が集まっていた。


 これまで街の各所に分散していた軍が、出陣のためにそれぞれの場所から移動してきたのである。街道の先まで続く軍列。その両側には無数の軍旗がはためき、整列した歩兵、弓兵、弩兵、騎兵、工兵、補給部隊が長大な列を作っている。


 先頭付近にはアンティクイランド王国軍の旗。


 その隣にはカヴィーレスターンの旗。


 異なる国の軍旗が、同じ風の中ではためいていた。


 俺は騎馬の上から、目の前に広がる軍を見渡していた。


 五万人。


 これまで数字でしか見ていなかった兵力が、今は一つの巨大な軍列として存在している。その一人一人が兵士であり、命令を待っている。


「いよいよですね」


 隣にいたティアが言った。


「ああ」


 俺は短く答えた。


 ティアも騎馬に乗っている。その少し後ろにはカイとエリシアが並び、さらに後方にはアトラシート伯爵をはじめとする中央軍の指揮官たちが続いていた。


「出陣の準備は整いました」


 アトラシート伯爵が近づいてくる。


「分かりました」


 俺は前方を見る。


 やがて、出陣を告げる角笛が鳴った。


 低い音がガルディシアの街へ響いていく。


 続いて各部隊の指揮官が命令を伝える。


「前進!」


 最初に先頭の部隊が動き始めた。


 馬が歩き出す。


 兵士たちが続く。


 荷車が動き出し、その後ろからさらに部隊が続いていく。


 五万人の軍が一度に動くことはできない。


 そのため、長大な軍列が時間をかけて少しずつ前へ進んでいく。


 街道を埋め尽くす兵士たち。


 左右に広がる軍旗。


 荷車の車輪が地面を削る音。


 馬の蹄。


 兵士たちの足音。


 それらが重なり、巨大な音となって南へ流れていく。


 俺は騎馬を進めた。


 ティアも隣につく。


「レノ」


「何だ?」


「本当に五万人なんだね」


「ああ」


「この軍がシルウァニアへ向かう」


「そうだ」


 ティアは前を見た。


「去年の課外学習とは、本当に全然違うね」


「比較するものじゃない」


「分かってる」


 ティアが少し笑う。


「でも、あの時は三百人単位だったでしょう?」


「今は五万人だ」


「うん」


 それだけで、意味が違う。


 進軍は続いた。


 ガルディシアを出た軍は、南部へ続く街道を進んでいく。街道沿いには軍のために用意された補給所が設けられ、物資を積んだ荷車が一定間隔で待機していた。食料や水、飼料が補給され、馬の状態も確認される。


 長大な軍列を維持するためには、前線の兵士だけでなく、その後ろにいる補給部隊も同じ速度で進まなければならない。


 俺はその様子を何度も確認した。


 五万人の軍隊は、戦える兵士だけで構成されているわけではない。


 食料が必要だ。


 武器が必要だ。


 馬が必要だ。


 矢も必要だ。


 負傷者を治療する場所も必要だ。


 それらが一つでも欠ければ、軍は止まる。


「殿下」


 伝令が馬を寄せてくる。


「後方部隊の進行速度について報告です。一部の荷車が遅れているようですが、大きな遅延ではありません」


「原因は?」


「街道の一部がぬかるんでいるためです」


「補給部隊を急がせすぎる必要はありません。前方との距離を確認しながら、隊列が切れないよう調整してください」


「承知しました」


 伝令が戻っていく。


 ティアがその様子を見ながら言った。


「こういうのも全部見ないといけないんだね」


「見なければ、後で困る」


「なるほど」


 数日が過ぎる。


 軍は南へ進み続けた。


 街道の周囲の景色も少しずつ変わっていく。村が少なくなり、森林や丘陵が増える。軍列の先頭では斥候部隊が周辺を警戒し、敵国との距離が縮まるにつれて、兵士たちの表情も硬くなっていった。


 ある日の夕方。


 先頭の部隊から報告が入った。


「殿下、シルウァニア国境の防御施設が視認できる距離まで来ました」


「分かりました」


 俺は前方へ目を向けた。


 遠くに、かすかに人工物が見える。


 以前、課外学習で見た防御施設。


 あの時は数百人の士官候補生として訪れた。


 今は違う。


 背後には五万人の軍がいる。


 俺の隣にはティア。


 後方にはアトラシート伯爵、カイ、エリシアたち。


 そして目の前には、来年戦うことになるシルウァニア王国がある。


「ここから先は、斥候の警戒をさらに強める」


 俺が言う。


「承知しました」


 伝令が走っていく。


 軍列は少しずつ速度を落とした。


 前線に近づけば近づくほど、各部隊は予定された配置へ移動していく。宿営地を設け、街道上に長く伸びた軍を周囲へ分散させる。敵にこちらの全軍の位置を一度に把握されないよう、配置にも慎重さが求められた。


 俺は地図を広げ、周辺の地形を確認した。


 まだ戦争は始まっていない。


 だが、両軍はすでに互いの存在を意識できる距離まで来ている。


 それでも、指揮権の問題は解決していない。


 カヴィーレスターン軍は自軍の指揮系統を維持している。


 アンティクイランド側もまた、自軍を独自に指揮している。


 五万人の軍はここまで来ても、完全に一つの軍にはなっていなかった。


 夜。


 宿営地の外へ出ると、冷たい風が吹いていた。


 遠くには無数の天幕。


 あちこちで兵士たちが明日の準備を進め、篝火の明かりが点々と続いている。


 その向こうにはシルウァニア王国。


 春になれば、ここで戦争が始まる。


 俺は南の空を見た。


 まだ冬の夜だった。


 だが、季節はもう動いている。


 長かった冬が終わろうとしていた。


 そして、その先に新しい季節が待っている。


 「そろそろか....」


 ついに_


 春が来た。

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