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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第5章 シルウァニア戦争
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第3話 集結

 ガルディシアの城門を抜けると、街道の上に漂っていた空気が一変した。


 王都からここまでの道にも、軍へ向かう兵士や補給隊、傭兵団の姿はあった。だが、城壁の内側へ入った途端、その数が一気に増えた。通りの両側には兵士たちが設営した天幕が並び、広場には武器や食料を積んだ荷車が何台も停められている。商人や職人たちまで軍の需要を見込んで集まっているらしく、普段なら補給都市として機能しているガルディシアの街が、今では巨大な軍事拠点へと変わりつつあった。


 俺は騎馬の上から周囲を見渡した。


 アンティクイランド王国中央軍の旗。


 諸侯軍の旗。


 傭兵団の旗。


 そして、街のあちこちに掲げられているカヴィーレスターンの旗。


 出身も所属も違う軍隊が、同じ街の中へ集まっている。


「思っていた以上ですね」


 アトラシート伯爵が隣へ並んだ。


「ええ」


 俺は短く答えた。


「まずは中央軍の宿営地へ向かいましょう。その後、現地の配置を確認します」


「承知しました」


 四千四百人の中央軍は、案内役の兵士に従って街の南側へ進んでいく。


 街を進む途中でも、様々な光景が目に入った。


 広場では諸侯軍が部隊ごとに整列している。別の通りでは傭兵団が自分たちの装備を確認していた。港へ続く道には食料や武器を積んだ荷車が途切れることなく続き、兵士たちが声を掛け合いながら荷下ろしを行っている。


 さらに港の方からは、海を越えて運ばれてきたカヴィーレスターン軍の兵士たちが次々と移動していた。


 三万三千人。


 その全てが一度に見えるわけではない。それでも、街のあちこちにカヴィーレスターン兵の姿があることで、その規模が実感できた。


「……すごいね」


 ティアが小さく呟いた。


「ああ」


 俺も港へ目を向ける。


「これが全部、同じ戦争のために集まってるんだ」


「そうなるな」


「エクィトゥムも三十五万人が動いてるんだよね」


「ああ」


 その数字を思い出す。


 南西部方面。


 北西部方面。


 そこにもすでにエクィトゥム王国軍が展開を始めている。


 アンティクイランド軍。


 カヴィーレスターン軍。


 エクィトゥム王国軍。


 それぞれが別の場所で動き始めている。


 戦争は、もう地図上の計画ではない。


 実際に兵士が動き、物資が運ばれ、各地で軍が集まっている。


「殿下」


 少し後ろからカイが声をかけてきた。


「何だ?」


「あちらに見えるのは、諸侯軍でしょうか?」


 カイが街の一角を指した。


 そこには、いくつもの旗が立っている。


 伯爵家。


 子爵家。


 男爵家。


 それぞれの家が招集した兵士たちが、街の一角に集められていた。


 旗の数だけ指揮官がいる。


「そうだな」


 俺は答えた。


「これだけの軍勢をまとめるのは、かなり大変そうですね」


「大変だ」


 俺は即答した。


「各諸侯軍にはそれぞれの指揮系統がある。中央軍にもある。傭兵団にもある。それにカヴィーレスターン軍は別の軍隊だ」


 カイは周囲を見渡す。


「……これを全部、一つの軍として動かすのですか」


「ああ」


 カイはしばらく黙った。


「なるほど。指揮権の問題で交渉が難航する理由も、実際に見るとよく分かりますね」


「そういうことだ」


 ティアが俺を見る。


「実際に見ると、会議で話していたより大変そうだね」


「会議室では人数を数字でしか見ないからな」


 俺は答えた。


「実際には、それぞれの軍に人間がいて、それぞれの指揮官がいる。その上で五万人を動かす」


 ガルディシアの街を見渡す。


「これで一人の命令に従わない軍が混ざれば、簡単には動かせない」


 誰も何も言わなかった。


 その言葉が、今のガルディシアを見ればよく分かるからだ。


 やがて中央軍の宿営地へ到着した。


 すでに広い土地が確保され、天幕の設営も始まっている。四千四百人が数時間かけて宿営地へ入り、それぞれの部隊が指定された場所へ移動していく。


「第一区画、歩兵部隊!」


「弓兵は奥へ!」


「補給部隊はこちらへ!」


 次々と命令が飛び交う。


 兵士たちは自分の部隊に従って動き、天幕を張り、武器を置き、荷物を整理していく。


 俺は馬から降りて、宿営地の中央へ向かった。


 アトラシート伯爵が部下から報告を受けている。


「全隊の到着を確認しました」


「負傷者は?」


「長距離行軍による軽い疲労者が数名。大きな問題はありません」


「補給は?」


「三日分を確保しています。追加分については明日以降、ガルディシアの補給倉庫から搬入される予定です」


「分かりました」


 伯爵が一礼する。


「この後、現地の兵力配置について報告を受けます」


「はい」


 少しして、中央軍側の地図を持った士官がやってきた。


「殿下、現時点で確認できている兵力をまとめました」


 俺は地図を受け取る。


「お願いします」


「ガルディシア周辺には、すでに複数の諸侯軍が到着しています。正確な数はまだ集計中ですが、数千規模の兵力がすでに配置されています」


「傭兵団は?」


「到着した団体だけで十数団。さらに明日以降も増える見込みです」


「カヴィーレスターン軍は?」


「港湾区域から街の東側にかけて広く展開しています。上陸自体は完了しており、現在は各部隊が宿営地へ移動中です」


「三万三千人全体が展開完了するには?」


「主要部隊はすでに上陸しています。細かな再配置を含めれば、まだ時間が必要です」


 俺は地図を見る。


 中央軍。


 諸侯軍。


 傭兵団。


 カヴィーレスターン軍。


 それぞれが別々の場所にいる。


 そして、それぞれに別の指揮官がいる。


「補給線は?」


「ガルディシア港から各宿営地へ運び込んでいます。現在は問題ありませんが、兵力が増えれば混雑する可能性があります」


「やはりそうなるか」


 俺は港と街道を指で追う。


「港湾区域に全ての物資を集中させるのは避ける。周辺に補給拠点を分散できる場所を探してください」


「承知しました」


「それと、各軍の宿営地と主要な補給路を一本の地図にまとめてください」


「一本に?」


「はい」


 俺は答えた。


「中央軍、諸侯軍、傭兵団、カヴィーレスターン軍を別々に見るのではなく、全部まとめて見る必要があります」


「分かりました」


 士官が一礼して離れていく。


 ティアがその様子を見ていた。


「もう司令官みたい」


「まだ現地を見ているだけだ」


「でも、考えてることは司令官のそれだよ」


「必要なことだからな」


 ティアが少し笑った。


 夕方。


 俺たちはガルディシアの港湾施設へ向かった。


 海岸には巨大な輸送船が何隻も停泊している。


 船からは兵士だけではなく、木箱に詰められた武器、袋に入った穀物、飼料、衣服、その他の軍需品が次々と降ろされていた。


 港で働く人間の数も多い。


 兵士。


 船員。


 荷役人。


 商人。


 役人。


 誰もが忙しく動いている。


 その中に、カヴィーレスターン軍の士官たちも混ざっていた。


「こちらです」


 港湾を管理する役人が案内する。


「現在、輸送船の到着予定はこの通りです。軍需物資の陸揚げを優先しているため、一般商船の一部は入港を待たせています」


「軍優先は当然だな」


 俺は港を見渡す。


「ただし、これだけの船を扱うなら、荷下ろしの順番を間違えればすぐに滞る」


「現在はなんとか対応しています」


「なんとかでは困る」


 俺は淡々と答えた。


「戦争になれば、これ以上の物資が必要になります。兵士を集めるだけでは戦えません」


「承知しています」


「港湾の処理能力を確認して、どこまで対応できるか数字にしてください」


「はい」


 役人が緊張した様子で頭を下げた。


 ティアが俺の横に並ぶ。


「レノ、やっぱり兵站の適性◎だったね」


「学校の評価を思い出す必要はないだろ」


「でも、本当に向いてる」


「必要だから見てるだけだ」


 ティアが笑う。


 その時、港の向こう側にカヴィーレスターン軍の大きな宿営地が見えた。


 そこには三万三千人の兵士がいる。


「……あれ全部、カヴィーレスターン軍?」


 ティアが尋ねる。


「そうだ」


 遠くから見ても、天幕が途切れない。


 旗が何本も立っている。


 兵士が行き交っている。


 その数は、俺たち中央軍とは比較にならない。


 カイが少し離れたところで、静かに口を開いた。


「三万三千……実際に見ると、やはり規模が違いますね」


 エリシアも黙って見ている。


 昨日まで交渉の席で数字として扱っていた兵力が、今は目の前にいる。


 俺はその光景をしばらく見ていた。


 この軍を動かすのか。


 アンティクイランド軍と。


 諸侯軍と。


 傭兵団と。


 合計すれば五万人近い。


 そして、その指揮権についてはいまだ決着していない。


「殿下」


 アトラシート伯爵が呼んだ。


「何です?」


「明日の朝、国内諸侯軍と傭兵団の代表者が集まる予定です」


「何のために?」


「ガルディシア周辺の宿営地と指揮系統について、中央軍側から説明する必要があります」


「そうですか」


 俺は考える。


 国内軍だけでも、すでに複数の指揮官がいる。


 それをカヴィーレスターン軍と合わせれば、さらに複雑になる。


「分かりました。明日、私も参加します」


「承知しました」


 夜。


 中央軍の宿営地では、簡単な夕食が用意されていた。


 俺とティア、カイ、エリシア、アトラシート伯爵は一つの天幕に集まり、簡単な食事を取っている。机の上にはガルディシア周辺の地図が広げられていた。


「今日一日で、かなりのことが分かりました」


 アトラシート伯爵が言う。


「国内軍の集結状況、補給、港湾、カヴィーレスターン軍の配置」


 俺は地図を見る。


「ただ、まだ一番重要なことが決まっていません」


「指揮権ですね」


 伯爵が答える。


「はい」


 俺は頷いた。


「ここに五万人近い兵力が集まり始めているのに、連合軍全体の指揮系統が決まっていない」


 カイが地図へ目を落とす。


「この状況のまま戦争が始まったら、大変なことになりそうですね」


「ああ」


 俺は答えた。


「指揮系統が決まっていなければ、各軍が自分たちの判断で動く。それでは大軍を一つの戦力として使えない」


 エリシアが尋ねる。


「それでも、カヴィーレスターン側は譲らないのですか?」


「譲れないんだろうな」


 俺は地図を見たまま答えた。


「三万三千の兵を他国へ預ければ、それはカヴィーレスターンにとって大きな政治的問題になる。こちらも、統一指揮なしに五万人を戦場へ出すわけにはいかない」


「そうなると……」


 カイが言葉を選ぶ。


「まだ、答えが出ていないということですね」


「そうだ」


 俺は正直に答えた。


 無理に答えを作る必要はない。


 今は、まだ決まっていない。


 ただ、一つだけ確かなことがある。


 目の前にいる兵士たちは、交渉がまとまるまで待ってくれるわけではない。


 ガルディシアには、すでに軍が集まっている。


 港ではカヴィーレスターン軍の上陸が完了している。


 街道では諸侯軍と傭兵団が到着し続けている。


 西ではエクィトゥム王国軍三十五万人が展開を開始している。


 戦争は、もう動き始めている。


 なのに、その中心となる南部方面軍の指揮系統だけが決まっていない。


 俺は地図を見つめた。


「明日から、国内軍の配置と指揮系統を固めます」


 アトラシート伯爵が頷く。


「承知しました」


「カヴィーレスターンとの交渉は、別に進める」


「分かりました」


 ティアが俺を見る。


「レノ」


「何だ?」


「無理はしないでね」


 俺はティアを見る。


「ああ」


 短く答えた。


 天幕の外では、兵士たちの話し声が続いている。


 ガルディシアの夜は静かではなかった。


 数えきれないほどの兵士が集まり、補給物資が運ばれ、各部隊が翌日の準備を進めている。


 冬が終わろうとしている。


 そして、その先には春が来る。


 春になれば、戦争が始まる。


 その前に、俺たちはこの巨大な軍を動かせる形にしなければならない。


 俺は地図を折りたたんだ。


「今日はここまでにしましょう」


 アトラシート伯爵たちが立ち上がる。


「明日の朝は早い」


「はい」


 カイも立ち上がる。


「では、殿下。また明朝に」


「ああ」


 天幕を出る。


 冷たい夜風が吹いている。


 目の前には、暗闇の中に無数の天幕が並んでいた。


 その向こうにはガルディシアの港。


 さらに海の向こうにはカヴィーレスターン。


 そして西には、すでに三十五万人の軍を動かし始めたエクィトゥム王国。


 この巨大な戦争の準備は、もう誰にも止められないところまで進み始めていた。

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