第3話 集結
ガルディシアの城門を抜けると、街道の上に漂っていた空気が一変した。
王都からここまでの道にも、軍へ向かう兵士や補給隊、傭兵団の姿はあった。だが、城壁の内側へ入った途端、その数が一気に増えた。通りの両側には兵士たちが設営した天幕が並び、広場には武器や食料を積んだ荷車が何台も停められている。商人や職人たちまで軍の需要を見込んで集まっているらしく、普段なら補給都市として機能しているガルディシアの街が、今では巨大な軍事拠点へと変わりつつあった。
俺は騎馬の上から周囲を見渡した。
アンティクイランド王国中央軍の旗。
諸侯軍の旗。
傭兵団の旗。
そして、街のあちこちに掲げられているカヴィーレスターンの旗。
出身も所属も違う軍隊が、同じ街の中へ集まっている。
「思っていた以上ですね」
アトラシート伯爵が隣へ並んだ。
「ええ」
俺は短く答えた。
「まずは中央軍の宿営地へ向かいましょう。その後、現地の配置を確認します」
「承知しました」
四千四百人の中央軍は、案内役の兵士に従って街の南側へ進んでいく。
街を進む途中でも、様々な光景が目に入った。
広場では諸侯軍が部隊ごとに整列している。別の通りでは傭兵団が自分たちの装備を確認していた。港へ続く道には食料や武器を積んだ荷車が途切れることなく続き、兵士たちが声を掛け合いながら荷下ろしを行っている。
さらに港の方からは、海を越えて運ばれてきたカヴィーレスターン軍の兵士たちが次々と移動していた。
三万三千人。
その全てが一度に見えるわけではない。それでも、街のあちこちにカヴィーレスターン兵の姿があることで、その規模が実感できた。
「……すごいね」
ティアが小さく呟いた。
「ああ」
俺も港へ目を向ける。
「これが全部、同じ戦争のために集まってるんだ」
「そうなるな」
「エクィトゥムも三十五万人が動いてるんだよね」
「ああ」
その数字を思い出す。
南西部方面。
北西部方面。
そこにもすでにエクィトゥム王国軍が展開を始めている。
アンティクイランド軍。
カヴィーレスターン軍。
エクィトゥム王国軍。
それぞれが別の場所で動き始めている。
戦争は、もう地図上の計画ではない。
実際に兵士が動き、物資が運ばれ、各地で軍が集まっている。
「殿下」
少し後ろからカイが声をかけてきた。
「何だ?」
「あちらに見えるのは、諸侯軍でしょうか?」
カイが街の一角を指した。
そこには、いくつもの旗が立っている。
伯爵家。
子爵家。
男爵家。
それぞれの家が招集した兵士たちが、街の一角に集められていた。
旗の数だけ指揮官がいる。
「そうだな」
俺は答えた。
「これだけの軍勢をまとめるのは、かなり大変そうですね」
「大変だ」
俺は即答した。
「各諸侯軍にはそれぞれの指揮系統がある。中央軍にもある。傭兵団にもある。それにカヴィーレスターン軍は別の軍隊だ」
カイは周囲を見渡す。
「……これを全部、一つの軍として動かすのですか」
「ああ」
カイはしばらく黙った。
「なるほど。指揮権の問題で交渉が難航する理由も、実際に見るとよく分かりますね」
「そういうことだ」
ティアが俺を見る。
「実際に見ると、会議で話していたより大変そうだね」
「会議室では人数を数字でしか見ないからな」
俺は答えた。
「実際には、それぞれの軍に人間がいて、それぞれの指揮官がいる。その上で五万人を動かす」
ガルディシアの街を見渡す。
「これで一人の命令に従わない軍が混ざれば、簡単には動かせない」
誰も何も言わなかった。
その言葉が、今のガルディシアを見ればよく分かるからだ。
やがて中央軍の宿営地へ到着した。
すでに広い土地が確保され、天幕の設営も始まっている。四千四百人が数時間かけて宿営地へ入り、それぞれの部隊が指定された場所へ移動していく。
「第一区画、歩兵部隊!」
「弓兵は奥へ!」
「補給部隊はこちらへ!」
次々と命令が飛び交う。
兵士たちは自分の部隊に従って動き、天幕を張り、武器を置き、荷物を整理していく。
俺は馬から降りて、宿営地の中央へ向かった。
アトラシート伯爵が部下から報告を受けている。
「全隊の到着を確認しました」
「負傷者は?」
「長距離行軍による軽い疲労者が数名。大きな問題はありません」
「補給は?」
「三日分を確保しています。追加分については明日以降、ガルディシアの補給倉庫から搬入される予定です」
「分かりました」
伯爵が一礼する。
「この後、現地の兵力配置について報告を受けます」
「はい」
少しして、中央軍側の地図を持った士官がやってきた。
「殿下、現時点で確認できている兵力をまとめました」
俺は地図を受け取る。
「お願いします」
「ガルディシア周辺には、すでに複数の諸侯軍が到着しています。正確な数はまだ集計中ですが、数千規模の兵力がすでに配置されています」
「傭兵団は?」
「到着した団体だけで十数団。さらに明日以降も増える見込みです」
「カヴィーレスターン軍は?」
「港湾区域から街の東側にかけて広く展開しています。上陸自体は完了しており、現在は各部隊が宿営地へ移動中です」
「三万三千人全体が展開完了するには?」
「主要部隊はすでに上陸しています。細かな再配置を含めれば、まだ時間が必要です」
俺は地図を見る。
中央軍。
諸侯軍。
傭兵団。
カヴィーレスターン軍。
それぞれが別々の場所にいる。
そして、それぞれに別の指揮官がいる。
「補給線は?」
「ガルディシア港から各宿営地へ運び込んでいます。現在は問題ありませんが、兵力が増えれば混雑する可能性があります」
「やはりそうなるか」
俺は港と街道を指で追う。
「港湾区域に全ての物資を集中させるのは避ける。周辺に補給拠点を分散できる場所を探してください」
「承知しました」
「それと、各軍の宿営地と主要な補給路を一本の地図にまとめてください」
「一本に?」
「はい」
俺は答えた。
「中央軍、諸侯軍、傭兵団、カヴィーレスターン軍を別々に見るのではなく、全部まとめて見る必要があります」
「分かりました」
士官が一礼して離れていく。
ティアがその様子を見ていた。
「もう司令官みたい」
「まだ現地を見ているだけだ」
「でも、考えてることは司令官のそれだよ」
「必要なことだからな」
ティアが少し笑った。
夕方。
俺たちはガルディシアの港湾施設へ向かった。
海岸には巨大な輸送船が何隻も停泊している。
船からは兵士だけではなく、木箱に詰められた武器、袋に入った穀物、飼料、衣服、その他の軍需品が次々と降ろされていた。
港で働く人間の数も多い。
兵士。
船員。
荷役人。
商人。
役人。
誰もが忙しく動いている。
その中に、カヴィーレスターン軍の士官たちも混ざっていた。
「こちらです」
港湾を管理する役人が案内する。
「現在、輸送船の到着予定はこの通りです。軍需物資の陸揚げを優先しているため、一般商船の一部は入港を待たせています」
「軍優先は当然だな」
俺は港を見渡す。
「ただし、これだけの船を扱うなら、荷下ろしの順番を間違えればすぐに滞る」
「現在はなんとか対応しています」
「なんとかでは困る」
俺は淡々と答えた。
「戦争になれば、これ以上の物資が必要になります。兵士を集めるだけでは戦えません」
「承知しています」
「港湾の処理能力を確認して、どこまで対応できるか数字にしてください」
「はい」
役人が緊張した様子で頭を下げた。
ティアが俺の横に並ぶ。
「レノ、やっぱり兵站の適性◎だったね」
「学校の評価を思い出す必要はないだろ」
「でも、本当に向いてる」
「必要だから見てるだけだ」
ティアが笑う。
その時、港の向こう側にカヴィーレスターン軍の大きな宿営地が見えた。
そこには三万三千人の兵士がいる。
「……あれ全部、カヴィーレスターン軍?」
ティアが尋ねる。
「そうだ」
遠くから見ても、天幕が途切れない。
旗が何本も立っている。
兵士が行き交っている。
その数は、俺たち中央軍とは比較にならない。
カイが少し離れたところで、静かに口を開いた。
「三万三千……実際に見ると、やはり規模が違いますね」
エリシアも黙って見ている。
昨日まで交渉の席で数字として扱っていた兵力が、今は目の前にいる。
俺はその光景をしばらく見ていた。
この軍を動かすのか。
アンティクイランド軍と。
諸侯軍と。
傭兵団と。
合計すれば五万人近い。
そして、その指揮権についてはいまだ決着していない。
「殿下」
アトラシート伯爵が呼んだ。
「何です?」
「明日の朝、国内諸侯軍と傭兵団の代表者が集まる予定です」
「何のために?」
「ガルディシア周辺の宿営地と指揮系統について、中央軍側から説明する必要があります」
「そうですか」
俺は考える。
国内軍だけでも、すでに複数の指揮官がいる。
それをカヴィーレスターン軍と合わせれば、さらに複雑になる。
「分かりました。明日、私も参加します」
「承知しました」
夜。
中央軍の宿営地では、簡単な夕食が用意されていた。
俺とティア、カイ、エリシア、アトラシート伯爵は一つの天幕に集まり、簡単な食事を取っている。机の上にはガルディシア周辺の地図が広げられていた。
「今日一日で、かなりのことが分かりました」
アトラシート伯爵が言う。
「国内軍の集結状況、補給、港湾、カヴィーレスターン軍の配置」
俺は地図を見る。
「ただ、まだ一番重要なことが決まっていません」
「指揮権ですね」
伯爵が答える。
「はい」
俺は頷いた。
「ここに五万人近い兵力が集まり始めているのに、連合軍全体の指揮系統が決まっていない」
カイが地図へ目を落とす。
「この状況のまま戦争が始まったら、大変なことになりそうですね」
「ああ」
俺は答えた。
「指揮系統が決まっていなければ、各軍が自分たちの判断で動く。それでは大軍を一つの戦力として使えない」
エリシアが尋ねる。
「それでも、カヴィーレスターン側は譲らないのですか?」
「譲れないんだろうな」
俺は地図を見たまま答えた。
「三万三千の兵を他国へ預ければ、それはカヴィーレスターンにとって大きな政治的問題になる。こちらも、統一指揮なしに五万人を戦場へ出すわけにはいかない」
「そうなると……」
カイが言葉を選ぶ。
「まだ、答えが出ていないということですね」
「そうだ」
俺は正直に答えた。
無理に答えを作る必要はない。
今は、まだ決まっていない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
目の前にいる兵士たちは、交渉がまとまるまで待ってくれるわけではない。
ガルディシアには、すでに軍が集まっている。
港ではカヴィーレスターン軍の上陸が完了している。
街道では諸侯軍と傭兵団が到着し続けている。
西ではエクィトゥム王国軍三十五万人が展開を開始している。
戦争は、もう動き始めている。
なのに、その中心となる南部方面軍の指揮系統だけが決まっていない。
俺は地図を見つめた。
「明日から、国内軍の配置と指揮系統を固めます」
アトラシート伯爵が頷く。
「承知しました」
「カヴィーレスターンとの交渉は、別に進める」
「分かりました」
ティアが俺を見る。
「レノ」
「何だ?」
「無理はしないでね」
俺はティアを見る。
「ああ」
短く答えた。
天幕の外では、兵士たちの話し声が続いている。
ガルディシアの夜は静かではなかった。
数えきれないほどの兵士が集まり、補給物資が運ばれ、各部隊が翌日の準備を進めている。
冬が終わろうとしている。
そして、その先には春が来る。
春になれば、戦争が始まる。
その前に、俺たちはこの巨大な軍を動かせる形にしなければならない。
俺は地図を折りたたんだ。
「今日はここまでにしましょう」
アトラシート伯爵たちが立ち上がる。
「明日の朝は早い」
「はい」
カイも立ち上がる。
「では、殿下。また明朝に」
「ああ」
天幕を出る。
冷たい夜風が吹いている。
目の前には、暗闇の中に無数の天幕が並んでいた。
その向こうにはガルディシアの港。
さらに海の向こうにはカヴィーレスターン。
そして西には、すでに三十五万人の軍を動かし始めたエクィトゥム王国。
この巨大な戦争の準備は、もう誰にも止められないところまで進み始めていた。




