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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第5章 シルウァニア戦争
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第2話 集結開始

 南部方面軍の指揮権を巡る交渉は、その後も何度か行われた。


 しかし、結論は出なかった。


 アンティクイランド側は、五万人規模となる連合軍を一つの戦力として運用する以上、統一された指揮系統が必要だと主張した。対してカヴィーレスターン側は、自国から送り込んだ三万三千人もの兵を他国の指揮官へ全面的に委ねることはできないと譲らない。


 会談を重ねるたびに論点は整理されていったが、核心だけは変わらなかった。


 どちらも譲れない。


 そして時間だけが過ぎていった。


 冬も終わりに近づいていた。


 その頃には、シルウァニアとの戦争はもはや「来年始まる戦争」ではなく、「間もなく始まる戦争」になっていた。


 王領海峡補給都市ガルディシアでは、国内各地から兵士たちが集まり始めていた。


 諸侯軍。


 中央軍。


 傭兵団。


 王国軍に所属する部隊だけではない。各地の領主が招集した兵士たちや、契約を結んだ傭兵団までが、続々とガルディシアへ向かっている。


 港にはカヴィーレスターン軍の輸送船が並び、その上陸もすでに完了していた。


 三万三千。


 海の向こうからやってきた兵士たちが、今はガルディシア周辺に展開している。


 さらに西方では、エクィトゥム王国軍三十五万人がすでに動き始めていた。


 その大軍は南西部方面、北西部方面へと分かれて展開を開始している。


 アンティクイランドだけの戦争ではない。


 エクィトゥム、カヴィーレスターン、そしてアンティクイランド。


 三国の軍が、それぞれの地域からシルウァニアへ圧力をかけ始めている。


 戦争は、もう軍を集める段階から、軍を動かす段階へ移っていた。


 冬の終わりに近いある朝。


 王都からガルディシアへ向かう街道に、長い軍列が伸びていた。


 中央を進んでいるのは、アンティクイランド王国中央軍の出征軍。


 総勢四千四百人。


 歩兵を中心に弓兵や弩兵、騎兵、それらを支える補給部隊や軍医、伝令などが加わっている。


 その先頭付近には、王家の紋章を掲げた旗が風にはためいていた。


 俺は騎馬の上から前方を見ていた。


 隣にはティア。


 少し後ろにはエリシアとカイ。


 さらに後方には、今回の部隊を率いるアトラシート伯爵の姿がある。


 アトラシート伯爵は中央軍の高級指揮官の一人であり、今回の四千四百人を指揮する立場にある。


「間もなく休憩地点です」


 伝令が報告してくる。


「了解しました。隊列はそのまま維持してください」


「はっ」


 伝令が馬を返す。


 俺は街道の先へ目を向けた。


 四千四百人。


 一人ひとりを見れば、それほど巨大な集団には見えない。


 だが、これだけの人数が一つの街道を進むと、隊列の先端から最後尾までかなりの距離がある。


 兵士たちの足音。


 馬の蹄。


 荷車の車輪。


 武器や装備がぶつかる音。


 それらが一定のリズムで続いている。


「すごい人数だね」


 ティアが周囲を見ながら言った。


「ああ」


「四千四百人でこれなら、カヴィーレスターンの三万三千人はもっとすごいんだろうね」


「かなりのものだろうな」


 俺は答えた。


 ガルディシアでは、すでに三万三千人のカヴィーレスターン軍が展開している。


 そこへ国内から諸侯軍や傭兵団が集まっている。


 さらに、その先にはシルウァニアとの国境がある。


「レノ」


「何だ?」


「学校の課外学習とは、全然違うね」


「当然だろ」


 俺は淡々と答えた。


「今回は四千四百人が実際の軍隊として動いている」


 ティアはしばらく黙って前を見ていた。


 これまでの課外学習でも、行軍そのものは経験している。


 だが、あの時とは意味が違う。


 今回の目的地は学校ではない。


 敵国との戦争に備えた軍事拠点だ。


 街道を進んでいると、前方から別の人々の姿が見えてきた。


「右手をご覧ください」


 カイが言った。


 俺はそちらを見る。


 街道脇の開けた土地で、数百人ほどの男たちが訓練をしている。


 武器を持っている者。


 木製の槍を構えている者。


 弓を引いている者。


 教官らしき男が大声で指示を飛ばし、彼らがそれに合わせて動いている。


「民兵ですか?」


 ティアが尋ねた。


「おそらくな」


 俺は答える。


「ガルディシア周辺の動員兵だろう」


 少し先には、さらに別の光景があった。


 大量の荷馬車が列を作っている。


 食料。


 飼料。


 薪。


 武器。


 矢や弩矢。


 衣料。


 その他の軍需品。


 それらを積んだ隊商が、ガルディシア方面へ向かっている。


 さらに街道の脇には、傭兵らしき集団もいた。


 装備も服装も統一されていない。


 大盾を持つ者。


 弓を背負う者。


 騎馬の者。


 それぞれ違う装備をしているが、腰には同じ傭兵団の証らしいものを身につけている。


「傭兵団もかなり集まっているね」


 カイが言う。


「ああ」


 俺は短く答える。


「これだけ人が集まれば、ガルディシアの方も相当混雑してるだろうな」


「港もあるし、カヴィーレスターン軍もいる」


 エリシアが言った。


「食料や武器も大量に必要になるでしょう」


「その通りだ」


 エリシアはこういう話になると、意外なほど真剣に考える。


 武力を好む性格ではあるが、軍隊がどう動くのかを理解していないわけではない。


 むしろ実際に兵士として動くことに関しては非常に現実的だ。


「ガルディシアに着けば、また違った光景になるだろうな」


 俺が言うと、カイが頷いた。


「見てみたい気もする」


「仕事で行くんだから、観光ではないぞ」


「分かってるって」


 カイが苦笑する。


 昼頃。


 軍列が一度停止した。


「全隊、休憩!」


 号令が響く。


 四千四百人が一斉に足を止めた。


 兵士たちは指定された場所へ座り込み、水を飲み、簡単な食事を取る。


 馬には水と飼料が与えられる。


 補給部隊は荷車の状態を確認している。


 軍医も負傷者や体調不良者を確認していた。


 俺は騎馬から降りた。


 ティアも同じように降りる。


「疲れた?」


「大丈夫」


「そうか」


 少し離れたところでは、アトラシート伯爵が部下から報告を受けている。


「街道の前方に問題はないか」


「ありません」


「後列は?」


「現在も隊列を維持しています」


「よし」


 伯爵が頷く。


 四千四百人ともなると、一人の指揮官だけですべてを見ることはできない。


 各部隊に指揮官がおり、その下にさらに部隊長がいる。


 命令が上から下へ伝えられ、各部隊がそれに従って動く。


 それを見ていると、先日の会談で指揮系統を巡って揉めた理由が改めて分かる。


 この規模でも、指揮系統が曖昧なら混乱する。


 ましてや五万人だ。


 各軍がそれぞれ別の命令で動けば、統制するだけで大きな負担になる。


「殿下」


 アトラシート伯爵が近づいてきた。


「何でしょう?」


「この先、ガルディシア周辺は相当混雑しているとの報告です」


「どの程度ですか?」


「諸侯軍だけでなく、傭兵団や輸送隊まで集中しています。さらにカヴィーレスターン軍の上陸が完了したため、港湾施設もかなり混雑しているようです」


「補給に問題は?」


「今のところ大きな問題はありません。ただし、このまま兵力が集まり続ければ、周辺の宿営地や補給施設が不足する可能性があります」


 俺は考えた。


「宿営地は分散させた方がいいですね」


「私もそう考えています」


「港に全軍を集中させる必要はありません。ガルディシアを補給拠点として維持しつつ、周辺に軍を分散配置する」


「その案を軍務卿にも伝えます」


「お願いします」


 アトラシート伯爵が一礼して離れる。


 ティアがその背中を見ながら言った。


「もう戦争が始まってるみたい」


「まだ始まってはいない」


 俺は答えた。


「でも、軍隊はもう戦場へ向けて動いている」


 休憩が終わった。


 再び号令が響く。


「出発!」


 四千四百人が一斉に動き始める。


 俺たちも騎馬に戻った。


 隊列は再び南へ進む。


 街道沿いには相変わらず軍用の荷車が続き、訓練中の民兵や傭兵たちの姿が見える。


 さらに先へ進むと、海の匂いが少しずつ強くなってきた。


 ガルディシアが近づいている。


 やがて街道の先に、港町の建物が見え始めた。


 そして、そのさらに先。


 海には無数の船が浮かんでいる。


 巨大な輸送船。


 軍用船。


 補給船。


 港へ入る船。


 出ていく船。


 海岸近くには、カヴィーレスターン軍の旗がいくつも見えた。


「……着いた」


 ティアが呟く。


 俺は答えず、ガルディシアを見つめていた。


 城壁の向こうにも兵士の姿が見える。


 街道には軍馬。


 荷車。


 諸侯軍の旗。


 傭兵団の旗。


 中央軍の旗。


 そして、カヴィーレスターンの旗。


 異なる軍隊が一つの都市へ集まっている。


「想像以上だな」


 カイが呟く。


 俺は頷いた。


「ああ」


 ここから先は、ただの行軍ではない。


 ガルディシアを拠点として、国内各地から集められた軍が再編される。


 カヴィーレスターン軍との連携も必要になる。


 そして、その先にはシルウァニアとの国境がある。


 俺は進軍する四千四百人を見渡した。


 これだけの軍を動かすだけでも簡単ではない。


 それを五万人規模にまで膨らませる。


 しかも、カヴィーレスターンとの指揮権問題はまだ解決していない。


 だが、兵士たちは待ってくれない。


 軍はもう集まり始めている。


 俺たちも、その流れの中にいる。


「殿下」


 アトラシート伯爵が横に並んだ。


「ガルディシア到着後の予定ですが、まず中央軍の宿営地へ入り、その後、諸侯軍と傭兵団の配置について確認します」


「分かりました」


 俺はガルディシアを見たまま答える。


「その後、カヴィーレスターン軍の展開状況も確認する」


「承知しました」


「そして、連合軍の指揮権については……」


 俺はそこで言葉を切った。


 まだ決着していない。


 だからこそ、ここからは現地で実際の軍隊の配置を見ながら考える必要がある。


 ガルディシアの門が近づいてきた。


 四千四百人の中央軍が、その中へ入っていく。


 冬の終わり。


 アンティクイランド王国の軍が、ついに戦争のための集結地へ到着した。

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