第22話 生存術
タイトル回収!
母上が死んだ。
その事実を、俺はまだ受け入れられずにいた。
目の前には、いつもと変わらない母上の部屋がある。机の上には読みかけの書類があり、窓際には母上が普段使っていた椅子が置かれている。
少し前まで、ここには母上がいた。
俺が部屋を訪れれば、いつものように微笑んでくれた。
「レノ、今日はどうでしたか?」
そう尋ねてくれた。
俺が勉強の話をすれば嬉しそうに聞いてくれて、訓練の話をすれば怪我をしていないか心配してくれた。
それが当たり前だった。
だから、俺も当たり前のように受け取っていた。
母上が俺を愛してくれていることを。
俺が母上の息子であることを。
それが、ずっと続くものだと思っていた。
「……母上」
返事はない。
当然だ。
もう、返事をしてくれる人はいない。
胸の奥が、ゆっくりと沈んでいく。
泣き叫ぶほどの感情はなかった。
むしろ、妙に静かだった。
頭の中だけが、嫌になるほど冷静に動いている。
――もっと話しておけばよかった。
――もっと一緒にいればよかった。
――もっと、母上に自分の気持ちを伝えておけばよかった。
前世でも、俺は同じような後悔をした。
美咲のことが好きだった。
だから、気持ちは伝えた。
けれど、今思えば、それで十分だったのかは分からない。
そして、この世界でも俺は、大切な人から向けられていた愛情を、どこかで「いつでもそこにあるもの」と考えていた。
母上は俺を愛してくれていた。
それは分かっていた。
だからこそ、いつか返せばいいと思っていた。
五歳の俺には、まだ時間があると思っていた。
……そんなものは、なかった。
俺は母上の顔を見る。
「……申し訳ありません」
それだけしか言えなかった。
もう、何を言っても届かない。
そのときだった。
「殿下」
背後から声がした。
振り返ると、騎士が一人、静かに頭を下げている。
「御前会議についてですが、延期が決定されました」
「……そうか」
母上が亡くなった直後だ。
当然だろう。
「それと、第一王妃殿下の事件について、侍女への取り調べが行われました」
俺は黙って騎士を見る。
「何か分かったのか?」
「はい」
騎士は慎重に言葉を選んだ。
「侍女は、自分の意思だけで犯行に及んだのではないと供述しております」
「……誰かに命じられた?」
「それについては、まだ確定しておりません。ただ……」
騎士が一度言葉を切る。
「ある大商会から、手紙と毒を届けられた、と」
「大商会……」
その言葉を頭の中で繰り返す。
貴族ではない。
少なくとも、今分かっている情報では。
商人が王妃の暗殺に関わっている。
それだけでも十分に異常だった。
そして俺には、もう一つ気になることがある。
「サナは?」
「第一王女殿下でしたら、侍女たちがついております」
「そうか」
サナ。
俺の妹。
まだ一歳だ。
母親を失ったことすら、きちんと理解できていない。
俺はしばらく黙っていた。
そして、母上の部屋を見渡す。
ここから先、サナはどうなるのだろう。
第一王妃がいなくなった。
それは、単に母親を一人失ったという話ではない。
この王宮では、それだけで立場が変わる。
母上が持っていた後ろ盾。
母上の派閥。
母上と親しかった貴族たち。
そういったものが、これからどうなるのかは分からない。
そして、その影響を最も受けるのは――俺とサナだ。
俺は五歳だ。
サナは一歳。
自分たちだけで何かを決められる年齢ではない。
だからこそ、考えなければならない。
怒るのは簡単だ。
犯人を憎むのも簡単だ。
だが、それだけでは何も変わらない。
俺が感情に任せて動けば、母上を失ったうえに、妹まで危険に晒すことになる。
それだけは避けなければならない。
「……まずは、生き残らないといけないな」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
復讐を諦めるつもりはない。
母上を殺した人間を、そのままにするつもりもない。
けれど、それは今すぐ感情のままに動くという意味ではない。
犯人を探す。
そのために情報を集める。
敵を知る。
味方を増やす。
そして、俺自身が力を持つ。
そのためには――まず、この王宮で生き残らなければならない。
俺はもう一度、母上を見る。
「……母上」
返事はない。
だから、今度はそれ以上何も言わなかった。
ただ静かに頭を下げる。
そして部屋を出る。
妹を守るために。
母上の死の真相を知るために。
そして、いつか自分自身がこの場所で生き残るために。
感情で動くのではなく、考えて動く。
それが、この日から俺が身につけなければならないものだった。
次回、本格的に動いていきます。




