エピローグ (第57話) 最初の朝
翌朝。
冬の薄い光が、高い窓から寝室へ差し込んでいた。
俺はゆっくりと目を開けた。
しばらく天井を見つめる。
昨日のことを思い返していた。
婚礼。
誓約。
あの大勢の人々の前で交わした言葉。
祝宴。
そして、長い一日が終わった後にティアと二人で過ごした夜。
その夜に何があったのかを、細かく思い返す必要はない。
ただ、昨日までとは何かが変わった。
それだけは、はっきりと分かる。
俺は隣へ目を向けた。
ティアが眠っている。
白い寝具の中で静かに眠る姿は、昨日まで王宮や士官学校で見ていたものとは少し違って見えた。
昨日までは婚約者だった。
そして今日からは、妻だ。
俺はしばらく黙ってティアを見ていた。
すると、ティアが少し身じろぎした。
「……ん」
まだ眠そうな声を漏らし、ゆっくりと目を開ける。
「……レノ?」
「起きたか」
「うん……」
ティアは身を起こし、ぼんやりと俺を見る。
今のティアの姿は...(自主規制)だ。
そして、しばらくすると昨日のことを思い出したらしい。
「あ……」
顔が少し赤くなる。
「おはよう」
俺が言う。
「……おはよう」
ティアも返した。
しばらく沈黙する。
昨日までなら、朝になればそれぞれの部屋へ戻っていた。
けれど今日は違う。
同じ寝室で目を覚まし、最初に顔を合わせる相手も互いだ。
「変な感じ」
ティアが呟いた。
「そうだな」
「昨日までと何もかも同じなのに、全然違う」
「結婚したからな」
「そうなんだけど」
ティアが少し笑う。
「まだ慣れない」
「私もだ」
「レノも?」
「ああ」
ティアが少し安心したような顔をする。
「ならよかった」
俺は窓の外を見る。
王都はまだ朝の静けさに包まれている。
昨日は婚礼のために王宮中が動いていた。
今日はそれが終わり、また日常が始まる。
ただし、俺たち二人にとっては昨日までの日常とは少し違う。
夫婦としての最初の朝だ。
「昨日、長かったね」
「ああ」
「朝からずっと衣装を着て、式をして、挨拶して、祝宴をして……」
「最後まで予定通りだったな」
「レノらしい」
「何が?」
「そういうところ」
ティアが笑う。
俺も少しだけ笑った。
「でも……」
ティアが少し間を置く。
「昨日、ちゃんと話せてよかった」
「俺もだ」
「前世のことも」
「ああ」
「今までのことも」
「そうだな」
ティアは少し視線を落とした。
「前世では、最後まで何も言えなかったから」
俺は黙って聞く。
「幼馴染だったのに、好きだって言えなかった。もっと一緒にいたいとも言えなかった。今思えば、言う機会なんていくらでもあったのにね」
「俺も同じだ」
「今世では、ちゃんと伝えられてよかった」
「ああ」
俺はティアを見る。
「私も、前世と同じことを繰り返したくなかった」
ティアが顔を上げる。
「うん」
「だから、これからも言いたいことは言ってくれ」
「レノもね」
「分かった」
ティアが笑った。
「じゃあ、約束」
「ああ」
二人で短く頷く。
それだけのことだった。
けれど、昨日までとは違う。
婚約者としてではなく、夫婦としてこれからのことを話している。
俺はそれを実感していた。
やがて、王宮の廊下から人の気配が聞こえ始めた。
朝になった王宮は、昨日の祝宴が嘘のように普段の活動を取り戻している。
「そろそろ起きようか」
「うん」
俺たちは身支度を始めた。
部屋の隅には、昨日身につけていた婚礼装飾が丁寧に置かれている。
俺の婚礼章。
白銀の盾型の装飾。
その中央にある雪晶。
そして、澄んだ碧い宝石。
隣にはティアの胸飾りが置かれている。
二つの装飾は、並べてみるとよく似ていた。
どちらにも雪晶があり、どちらにも碧い宝石がある。
「これ、昨日ずっと着けてたんだよね」
ティアが自分の胸飾りを見る。
「ああ」
「今日からは、もう婚礼衣装じゃないんだ」
「そうだな」
「なんだか、少し寂しい」
「また機会があれば着けることもあるだろ」
「婚礼ほどの機会、そうそうないよ」
「それもそうだな」
ティアが笑う。
俺は婚礼章を手に取り、元の場所へ戻した。
もう婚礼は終わった。
けれど、あの一日はこれからも忘れないだろう。
前世で結ばれなかった二人が、今世ではこうして夫婦になった。
それだけでも、十分な意味がある。
その時、扉の外から控えめな声が聞こえた。
「王太子殿下、王太子妃殿下。お目覚めでしょうか」
「起きている」
「失礼いたします」
侍従が入ってくる。
「朝食の準備が整っております。また、午前中には陛下との朝会がございます。その後、フィリウス王太子殿下との面会、午後にはアイガード大族長殿との軍事関係の確認が予定されております」
「分かった」
結婚した翌日だからといって、王国の時間が止まるわけではない。
戦争の準備も続いている。
外交も続いている。
王太子としての仕事も続く。
ティアが苦笑する。
「結婚した翌朝から朝会かぁ」
「王太子だからな」
「分かってるよ」
ティアが少し笑った。
「でも、昨日までとはちょっと違うね」
「そうだな」
「これからは、こうやって一緒に仕事をすることも増えるんだよね」
「ああ」
俺はティアを見る。
「それなら、悪くない」
「うん」
ティアも頷いた。
扉の外では、王宮の一日がすでに始まっている。
俺たちは部屋を出た。
昨日までは婚約者同士だった。
今日からは夫婦。
それでも、二人の間にあるものが急に別のものになったわけではない。
前世から続く縁。
今世で積み重ねてきた時間。
そして、昨日交わした誓い。
それらすべてを抱えたまま、俺たちは夫婦としての最初の朝を歩き始めた。




