第53話 軍事会談
翌朝。
王宮は昨日とは違う空気に包まれていた。昨日の歓迎晩餐会では、国外から来た二人の重要な来賓を祝賀の席へ迎えたが、今日は正式な会談が予定されている。午前はエクィトゥム王国王太子フィリウスとの外交会談、午後はカヴィーレスターン大族長アイガード・ゼフィルとの軍事会談。俺も王太子として、その両方に参加することになっていた。
朝食を終えると、俺は執務室へ向かった。廊下を歩いていると、ルリウスが後ろから追いついてくる。
「殿下、おはようございます」
「おはよう。今日の予定は?」
「午前はフィリウス殿下との会談です。その後、昼食を挟んで午後からアイガード大族長との軍事会談になります。午後の方には軍務卿と中央軍の関係者も参加します」
「分かった。ティアは?」
「午前中は婚礼準備です。昼過ぎにアイガード大族長の会談が終わった頃に、婚礼関係の確認で殿下と合流される予定です」
「そうか」
俺は足を止めずに答えた。
「なら、午前は外交だけに集中する」
執務室の前にはすでに数人の文官が集まっていた。扉を開けると、父上とフィリウスが向かい合うように座っている。
「来たか、レノ」
「はい」
「フィリウス殿下も待っている」
「朝から呼び出してしまったね」
フィリウスが言った。
「昨日は歓迎だったから、今日は少し話をすることになる」
「その方がいい」
俺は席についた。
ティアがいない分、昨日よりも空気はかなり落ち着いている。婚礼を控えた王太子夫妻という立場ではあるが、今日のここでは三人とも王族として国家間の話をする。
父上が最初の資料を広げた。
「まず、婚姻について確認しておこう」
フィリウスが頷く。
「エクィトゥム王国としても、今回の婚姻を単なる王族同士の結婚とは考えていません。今後の両国関係を考える上で、大きな意味を持つと認識しています」
「こちらも同じだ」
父上が答える。
「レノウィウスとティアの婚姻によって、両国の王家が直接つながる。今後、外交や経済だけでなく、軍事面でも協力しやすくなる」
「現在の情勢を考えれば、軍事面の協力は避けられないでしょうね」
フィリウスが言った。
俺は資料へ目を落とす。
シルウァニアとの戦争準備。
カヴィーレスターンとの連合軍。
そしてエクィトゥムとの関係。
婚姻が行われる前から、三国の関係はすでに戦争という現実の中で変わり始めている。
「エクィトゥム王国として、今後の支援についてはどう考えていますか?」
俺が尋ねた。
「物資面での支援は継続するつもりです」
フィリウスは即答した。
「特に食料、軍需品、輸送に関する支援は維持します。ただし、大規模な陸軍を直接派遣することについては慎重に考えています」
「エクィトゥム側にも国境があるからな」
「はい。こちらまで兵力を動かせば、自国の防衛が薄くなる。アンティクイランドとカヴィーレスターンがすでに大規模な連合軍を編成している以上、我々は別の部分を支える方が合理的でしょう」
俺は頷いた。
「その方がいいと思います」
父上も資料へ目を落とした。
「戦後については?」
「もうそこまで考えますか」
フィリウスが少し笑う。
「戦争は始まってすらいませんが」
「だからこそだ。戦後になってから慌てて考えれば遅い」
父上の言葉に、フィリウスは真剣な顔になった。
「確かに」
「今回の婚姻によって、エクィトゥムとアンティクイランドの関係が一時的なものにならないようにしたい」
俺も続けた。
「婚姻によって結びついた以上、戦争が終わったから関係も終わるという形にはしたくありません」
「私も同意します」
フィリウスが頷く。
「その点については、帰国後に国王へ伝えます」
「頼む」
そこから先は、交易、街道、港湾利用、戦後の復興についても話が及んだ。軍事同盟だけではなく、戦争が終わった後に両国がどう関係を維持するのかまで話していくと、婚姻が持つ意味がより具体的になっていく。
午前の会談が終わる頃には、かなりの時間が経っていた。
「今日のところはここまでにしよう」
父上が資料を閉じた。
「フィリウス殿下、午後は別の予定もあるだろう」
「はい。午後は少し王都を見て回る予定です」
「なら、そちらも楽しんでくれ」
「ありがとうございます」
フィリウスが席を立った。
「レノ」
「何?」
「婚礼の前に、また少し話せそうだね」
「時間があれば」
「それでいい」
フィリウスは笑って部屋を出ていった。
俺も立ち上がる。
「レノ」
「はい?」
父上が呼び止めた。
「午後の会談では、こちらから確認することが多い。少し休んでおけ」
「分かった」
俺は執務室を出た。
昼過ぎ。
今度は王宮内の別の会議室へ移動した。
こちらにはすでにアイガードが座っている。昨日の晩餐会では周囲の貴族と豪快に話していたが、今日は表情が違う。机の上には詳細な地図や兵力表、輸送計画が並べられている。
「お待たせしました」
「いやいや、こちらも準備していたところです」
アイガードが笑った。
「今日は結婚式の話ではなく、軍の話ですな」
「その通りだ」
父上が席につく。
「カヴィーレスターン軍の現状から確認したい」
「現在、ガルディシアには約三万三千人が展開しております」
アイガードが地図を広げた。
「上陸そのものは予定通り完了しており、兵員、軍馬、輸送物資も順次陸揚げしています」
軍務卿が資料へ目を落とした。
「前線までの輸送は?」
「そこが問題です。陸路だけに頼ると負担が大きい。そこで、港から可能な限り海上輸送を利用し、ガルディシア以東へ物資を送る案を考えています」
俺は地図を見る。
「海上輸送なら、陸上の街道を使う距離を減らせます」
「その通りです」
「ただし、港と輸送船団を守る必要がある」
「そこはカヴィーレスターン側で対応します」
アイガードが指したのは海域だった。
「こちらは艦船を用意できます。海上輸送を守るだけなら、陸軍から大量の護衛兵を抜く必要もない」
「それなら、前線の兵力を減らさずに済む」
俺が言うと、父上が頷いた。
「検討する価値がある」
次に話題になったのは、シルウァニア軍の防御壁だった。
「先日の課外学習で、シルウァニア側の防御施設が確認されている」
父上が言う。
「レノからも報告を受けている」
アイガードが俺を見る。
「実際に見た殿下に聞きたい。あの壁はどの程度のものですかな?」
「少なくとも、急造してすぐ撤去するようなものではありませんでした」
俺は答えた。
「見張り台があり、周辺にも兵士がいました。防御拠点として継続して使うつもりだと思います」
「敵兵力は?」
「正確には分かりません」
「なるほど」
「壁を見たからといって、敵がどれだけいるかまでは判断できません。偵察で確認できた範囲だけなら、そこまで大規模な軍が壁のすべてに配置されているとは考えにくいです」
アイガードは頷いた。
「ならば、壁の一ヶ所だけを見て全体を判断するのは危険ということですな」
「そうです」
「殿下、学校でもかなり偵察について学んでいるようですな」
「今年は実際に斥候部隊とも戦いましたから」
会議室が少し静かになった。
アイガードもそれを知っている。
「30人でしたな」
「はい」
「こちらでも聞いています。士官候補生にとっては、かなり大きな損害でしょう」
「戦闘が起きた以上、避けられなかった損失です」
俺は淡々と答えた。
「だからこそ、次に同じことを起こさないために必要なことを考えています」
アイガードは俺をしばらく見た。
「随分と冷静ですな」
「考えたところで、戦死者が戻るわけではありません」
「……なるほど」
アイガードはそれ以上言わなかった。
会談はさらに続いた。
連合軍の指揮系統。
補給拠点。
海上輸送。
軍馬。
シルウァニア側の防御。
偵察。
そして、開戦後の進軍速度。
特に重要になったのは、五万人規模の軍隊を一度に前へ進めるのではなく、補給能力に合わせて段階的に動かすことだった。
「敵が防御壁を築いている以上、こちらが急ぐ理由はありません」
俺が言う。
「むしろ補給を崩さず、必要な地点へ兵力を集中させる方がいい」
「私もそう思います」
アイガードが答えた。
「カヴィーレスターン軍は海上輸送を利用して補給を維持し、陸上部隊は必要な地点へ進める。そうすれば無駄に街道を混雑させずに済む」
「その案で調整しましょう」
父上が締めくくった。
会談は数時間に及んだ。
終了した時には、すでに夕方になっていた。
会議室を出ると、廊下の向こうからティアが歩いてきた。
「レノ」
「終わった」
「お疲れ様」
「そっちは?」
「衣装の最終確認をしてた。ヴェールと髪飾りも決まったよ」
「そうか」
「フィリウス殿下との会談は?」
「外交の話をした」
「アイガード大族長とは?」
「軍事の話」
「やっぱり」
ティアが笑った。
「父上から聞いてた通りだね」
「ああ」
「じゃあ、今度は私たちの方」
「まだあるのか?」
「あるよ」
ティアが資料を見せる。
「婚礼当日の移動経路。明日、実際に歩いて確認するんだって」
「分かった」
「そのあと、フィリウス殿下たちとの夕食もある」
「今日?」
「うん」
「まだ続くのか」
「結婚式まで忙しいって言ったでしょう」
俺は資料を受け取った。
「それなら、まず明日の予定を確認しよう」
「そうこなくちゃ」
ティアが笑った。
二人で廊下を歩く。
窓の外では、もう冬の夕方の暗さが広がっていた。
フィリウスとアイガードが王都へ来たことで、婚礼だけではなく外交と軍事の予定も一気に増えている。
それでも、結婚式の日は少しずつ近づいていた。




