第41話 攻城・籠城戦基礎
秋が深まり始めた頃、王立士官学校では戦術教育がさらに一段階進んでいた。この日の授業は、攻城戦基礎と防衛戦。訓練場には木材で作られた簡易城壁や櫓、土塁、模擬門などが設けられ、候補生たちは攻撃側と防御側に分かれて演習を行うことになっていた。
「本日の目的は、城を落とすことでも守ることでもない」
担当教官が説明する。
「攻城側と防衛側、それぞれがどのような考え方で戦うのかを理解することだ。相手の立場を知らなければ、自分がどこを攻め、どこを守るべきなのかも判断できない」
俺は目の前の模擬城壁を眺めた。
高さはそれほどないが、簡単には越えられないように作られている。正面には門があり、その左右には櫓が設置されている。背後には簡易的な物資置き場まで用意されていた。
見た目だけなら小さな砦だ。
だが、教官の話を聞く限り、今回の演習ではこの施設を一つの城塞として扱うらしい。
「まず攻城側」
教官が地図を広げた。
「兵力は防衛側の約二倍。ただし、攻城側には攻城兵器がない。防衛側は城壁、門、櫓を使用できる」
候補生たちがざわめく。
「これで分かるだろう。攻城戦には3倍の兵力が必要と言われている。よって単純な兵力差だけでは、城は落ちない」
攻城側の指揮官役に数人が選ばれた。
その中には俺もいた。
「殿下、攻撃案はどうしますか?」
近くの候補生が尋ねる。
俺は城壁を眺めた。
正面から攻めれば、防衛側は門と城壁の上から集中して攻撃できる。こちらは人数こそ多いが、狭い場所に兵力を集中させれば、その数的優位を生かせない。
「正面攻撃はしません」
「では、どこを?」
「まず城の周囲を確認します」
「偵察ですか?」
「そうです。攻城戦だからといって、いきなり城壁へ近づく理由はありません」
俺は地図を広げた。
「東側に小さな丘があります。そこからなら城の北側が見える。西側には森林があるので、こちらも確認したい」
候補生たちが頷く。
「敵の兵力配置、門の位置、櫓からの射界、それから城外への出入口がないか確認してください。防御側がどれだけ兵を配置しているのか分からない状態で攻撃を始めるのは、ただの消耗です」
教官は何も言わず、そのやり取りを見ていた。
偵察班が出発する。
しばらくすると報告が戻ってきた。
「北側に防御兵が多く配置されています」
「門の正面にはさらに多くの兵がいます」
「西側の森林には人影を確認できませんでした」
「東側の櫓から、南側へかなり広い範囲を見渡せます」
俺は報告を聞きながら地図に印をつけた。
「なら、正面は囮にします」
「囮?」
「はい。少数の部隊を門の正面へ移動させ、防御側に正面攻撃だと思わせる。その間に主力を西側へ移動させます」
「森林から接近するのですか?」
「そうです。敵は西側を警戒していない。少なくとも今の情報では」
俺は城壁の西側を指した。
「そこから城壁へ近づき、攻撃拠点を作る。門を落とす必要はありません。防御側の戦力を分散させ、こちらが有利な場所を作ればいい」
攻城戦という言葉から、巨大な攻城兵器や正面突撃を想像しがちだ。
だが、実際には敵の防御を崩すために、どこへ、いつ、どれだけの兵力を投入するかを考えることが重要になる。
「よし、開始!」
演習が始まった。
正面の少数部隊が進む。
城壁上の防衛側が反応する。
弓兵役が動き、門周辺に兵士が集まっていく。
その間に主力が森林へ入った。
俺は後方で全体を見ながら、報告を受ける。
「西側、接近成功!」
「城壁の外側まで到達しました!」
「防衛側が一部を西へ移動させています!」
「そのまま進めてください」
俺は即答した。
「正面部隊は攻撃を止めてください。敵に『こちらは正面突破を狙っている』と思わせ続ければ十分です」
「了解!」
敵の動きを見ながら、こちらの部隊を少しずつ動かす。
やがて西側の主力が城壁へ到達した。
「ここで停止」
「攻撃しないのですか?」
「まだです」
防御側は、正面と西側の両方へ兵を割いている。
ならば、今はその状態を維持すればいい。
敵が戦力をさらに西へ移せば正面から圧力をかける。
正面を厚くすれば、西側を押す。
そうして防御側の判断を遅らせる。
しかし――。
「殿下!」
伝令役が駆けてきた。
「防御側が南側へ予備兵力を移動させました!」
「……なるほど」
俺は地図を見る。
防衛側の指揮官も悪くない。
こちらの主力が西側にいることを見て、そこへ予備兵力を投入してきた。
ここでさらに西側へ兵を送れば、敵の思惑通りになる。
「南側へもう一つ部隊を動かします」
「南ですか?」
「はい。敵の予備兵力を西側へ引きつけている間に、南側から城壁へ圧力をかけます」
候補生が頷く。
部隊が動く。
防御側も対応する。
やがて教官が手を上げた。
「そこまで!」
演習が停止する。
攻城側、防衛側の候補生が武器を下ろした。
「攻城側、敵の防御線を崩すことには成功した。しかし城内への突入までは至っていない」
教官が評価を始める。
「防衛側は兵力の分散を強いられたが、予備兵力を適切に動かしていた」
そして俺を見る。
「レノウィウス殿下」
「はい」
「なぜ最後まで正面攻撃を行わなかった?」
「必要がなかったからです」
俺は答えた。
「防衛側の兵力を分散させることができれば、それだけで防御能力は下がります。正面から無理に突破する必要はありません」
「では、最終的にどうするつもりだった?」
「補給路を遮断します」
周囲が少しざわめいた。
「城を落とすより先に、城を維持できなくします。食料と水、増援の経路を断てば、防衛側は時間とともに不利になる」
教官は数秒黙った。
「よく考えている」
それ以上は言わなかった。
俺はそれで十分だった。
午後からは、防衛側の演習に移った。
今度は俺たちが城を守る側だ。
「防衛戦では、敵を撃退することだけを考えるな」
教官が説明する。
「重要なのは、どれだけ長く戦えるかだ」
城壁に兵を並べる。
門を守る。
櫓に弓兵を置く。
予備兵力を後方に残す。
補給物資を確保する。
これだけでも配置を誤れば、あっという間に破綻する。
俺は城の模型を見ながら考えた。
攻城側の時と同じだ。
相手が何を狙うかを考えなければならない。
「殿下、兵力はどこへ配置しますか?」
「門前には必要最低限でいい」
「少なくて大丈夫ですか?」
「敵が門だけを狙うとは限りません」
俺は城外を見た。
「攻城側が一番狙いたいのは、こちらの弱点です。だから予備兵力を中央に置きます。どこへ攻撃が来ても、そこへ動かせるようにする」
「では、城壁上は?」
「均等には配置しません」
敵が大軍だからといって、城壁全体へ同じ人数を配置する必要はない。
地形、敵の接近可能地点、櫓からの視界。
それらを考慮して配置する。
演習が始まる。
攻城側が正面へ進む。
俺はすぐに指示を出した。
「まだ動かさない」
候補生たちが待つ。
「敵の主攻方向が分かってから予備兵力を使います」
攻城側が左翼へ動いた。
「予備兵力を左へ」
さらに敵の一部が森林へ入る。
「右翼を警戒」
次々と指示を出す。
だが――。
「敵が西側から急速に接近しています!」
報告が入った。
俺はすぐに地図を見る。
攻城側がこちらの予備兵力を左へ誘導してから、西側へ主力を移したらしい。
「……やられましたね」
俺は呟いた。
西側の兵力が薄い。
予備兵力を戻せば間に合うかもしれない。
だが、その間に正面から攻撃されたら門が危ない。
どちらを優先するか。
そこで判断が必要になる。
「西側に予備兵力の半分を送ります。残りは門の防衛」
「承知しました!」
部隊が動く。
結果として、城壁突破は防いだものの、いくつかの防御施設を失ったところで演習終了となった。
「防衛側は合格点だ」
教官が言った。
「ただし、予備兵力を一度左翼へ動かした後の復帰に時間がかかった。敵がそこを突いたのは良い判断だった」
俺は頷いた。
「勉強になります」
教官は少し笑った。
「そうやって失敗して覚えろ。実戦では失敗すると、今回のように演習終了とはならないからな」
その言葉に、周囲の候補生たちが少しだけ表情を引き締めた。
俺も黙って城壁を見た。
夏の課外学習で実際にシルウァニア側の防御壁を見たばかりだからこそ、今日の授業はかなり現実的に感じる。
あの木造の防御壁にも、見張り台があった。
兵士がいた。
補給路もあった。
もし本当にあれを攻めることになれば、今日のような単純な演習では終わらない。
しかし、それを考えるのは今ではない。
「集合!」
教官の号令が響く。
俺は思考を切り替えた。
今日の授業はまだ終わっていない。
最後に、攻城側と防衛側の候補生がそれぞれの問題点を発表する時間が設けられた。
攻める側も、守る側も、一方的に勝つことはできない。
相手がどう考えるかを理解する。
それが今回の授業の目的だった。
「明日からは、より複雑な条件を加える」
教官が告げる。
「補給の制限、天候、援軍、負傷者なども考慮してもらう」
候補生たちから小さなどよめきが起こった。
俺はそれを聞きながら、片付けを始めた。
「殿下」
隣でティアが声をかけた。
「何でしょう?」
「今日は結構疲れたね」
「そうですね」
ティアは土のついた手袋を外しながら、訓練場の模擬城壁を振り返った。
「冬には、こういう訓練よりも結婚式の方が忙しくなりそう」
「たぶん、そうでしょうね」
「ちゃんと忘れてない?」
「何をです?」
「私たちの結婚式」
「忘れるわけないでしょう」
俺が答えると、ティアは安心したように笑った。
「ならいいけど」
「それより、今日は片付けですよ」
「分かってるってば」
ティアと一緒に道具を片付ける。
周囲では他の候補生たちも同じように作業を始めていた。
少し先ではルリウスが木材を運び、コリウスたちも土嚢を片付けている。訓練が終われば、やることはまだ残っている。
結婚式の話は少し出ただけで、すぐに普段の作業へ戻った。
それで十分だった。




