第40話 陣地構築・野戦築城
秋が始まってしばらく経った頃、王立士官学校では戦術教育の内容が一段階進んでいた。この日の授業は、野戦築城と陣地構築。夏季休暇直後の課外学習で国境付近まで行ったこともあって、以前よりも実際の戦場を意識して授業を受ける候補生が増えているように見えた。
俺たちは朝から郊外の訓練場へ移動していた。そこには広い平地と緩やかな丘があり、木材、土嚢、杭、縄、簡易的な掘削道具などが大量に用意されている。教官たちはその前に立ち、候補生たちをいくつかの班へ分けていた。
「本日の授業は野戦築城と陣地構築だ」
担当教官が言う。
「野戦築城とは、戦場において限られた時間と資材を用い、防御に適した施設を構築する技術である。単純に穴を掘ったり壁を作ったりするだけではない。地形を利用し、敵から見えにくく、こちらからは攻撃しやすい位置を選ぶ必要がある」
俺は訓練場を見渡した。
地面はほぼ平坦に見えるが、少し離れた場所には緩やかな丘があり、その向こうには森林が広がっている。どこに陣地を置くかによって、見える範囲も敵からの攻撃を受ける方向も変わってくる。
「同じ兵力、同じ資材であっても、構築する場所が違えば防御力は大きく変わる」
教官が地図を広げた。
「例えば、この丘の頂上に陣地を作れば見晴らしは良い。しかし、敵からも位置を把握されやすい。逆に斜面の裏側に置けば発見されにくいが、正面への射界が狭くなる」
候補生たちが地図を覗き込む。
「では、どこに陣地を構築する?」
何人かが意見を出した。
「丘の上です」
「斜面の中腹がいいと思います」
「森林の前に置けば敵の進路を制限できます」
教官はそれぞれの答えを聞いたあと、首を横に振った。
「どれも一つの条件しか見ていない。陣地は単独で存在するものではない。後方の補給、退路、増援、敵の進路まで考えて構築しろ」
俺は地図を見る。
「……複数の陣地を組み合わせる必要がありますね」
思わず口にすると、教官がこちらを見た。
「そうだ。続けろ」
「一つの陣地で敵を止めようとすると、そこを突破された時に終わります。前方に小規模な観測地点を置き、その後方に主陣地を設け、さらに退路を確保しておく方がいいと思います」
「では、敵が前方の観測地点を攻撃した場合は?」
「無理に守りません」
俺は地図の前方を指した。
「目的が敵をそこで撃破することではなく、敵の進行方向と規模を把握することなら、観測地点は撤退させます。その間に主陣地側で迎撃準備を整えます」
教官は頷いた。
「その考え方でいい。陣地は壁そのものではない。部隊がどのように戦うかを含めて陣地である」
その後、俺たちは実際に資材を使って陣地を構築することになった。
班ごとに場所を選び、土を掘り、土嚢を積み、杭を打つ。単純な作業に見えるが、実際にやってみるとかなり大変だった。土は思ったより重く、運搬するだけでも体力を使う。さらに全員が好き勝手に作業をすれば、陣地としてまとまりのないものになってしまう。
「そこはもう少し低くしてください」
ティアが班員へ指示を出している。
「ここを高くしすぎると、後ろから見た時に射界を塞いでしまいます」
「分かりました」
ティアは地面に描いた簡単な図を確認しながら、次の場所へ移動する。
少し離れたところではエリシアも作業を指示していた。
俺は自分の班の作業を進めながら、その様子を眺める。
「殿下」
隣にいたルリウスが声をかけてきた。
「ティア殿下も随分慣れておられますね」
「そうですね。こういう作業も意外と得意みたいです」
「意外ですか?」
「もっと魔法の方に興味があると思っていたので」
「確かに」
ルリウスが笑う。
昼前には一つ目の陣地が完成した。
教官の確認を受ける。
「悪くない。ただし、ここに問題がある」
教官が陣地の一角を指した。
「この部分から敵に側面へ回り込まれた場合、後方との連絡が切れる」
「確かに」
俺は地形を見直した。
「では、ここに予備陣地を作ります」
「そうしろ」
候補生たちは再び作業に戻る。
昼食を挟んで、午後からは今度は敵が攻撃してくることを想定した模擬演習になった。
敵役の班が正面から進んでくる。
こちらは陣地に入り、地形と防御施設を利用して迎え撃つ。
しかし、教官が途中で条件を変更する。
「敵が左翼から回り込んだ!」
「こちらの補給路が使えなくなった!」
「第一陣地が突破された!」
そのたびに候補生たちは対応を迫られた。
「殿下、どうしますか?」
班員の一人が俺を見る。
「第一陣地を放棄します」
「放棄するんですか?」
「はい。今のまま守っても包囲されます。第二陣地まで下がり、敵をそこへ誘導します」
俺は後方を指した。
「その間に負傷者役と物資を後方へ移してください」
「了解!」
班員たちが動く。
教官はそれを見ながら、何も言わなかった。
演習が終わった後、各班の問題点が指摘されていく。
「陣地そのものを強固にすることだけを考えていた班が多かった」
教官が言う。
「しかし、本当に重要なのは、その陣地を使って部隊をどう運用するかだ。敵が予想外の方向から来た時、陣地が一つ壊れた時、補給が途絶えた時まで考えて構築しなければ意味がない」
俺はその言葉を聞きながら、夏の課外学習を思い出した。
敵が予定外の方向から現れた。
それだけで、準備していた計画は簡単に崩れる。
だからこそ、作戦も陣地も一つの形に固執してはいけない。
「殿下」
授業が終わり、片付けをしているとティアがこちらへ来た。
「今日は土まみれだね」
「ティアも同じでしょう」
「そうだけど」
ティアが自分の服についた土を払う。
「でも、こういう授業も面白いね。最初はただ穴を掘るだけかと思ってた」
「実際はかなり違ったね」
「うん」
ティアは訓練場に残された陣地を振り返った。
「冬になったら、またこういう訓練はあるのかな」
「学年によるでしょうね」
「そうじゃなくて」
ティアが少しだけ笑う。
「冬って、私たちの結婚式があるでしょう?」
「……そうですね」
俺も一瞬だけ言葉に詰まった。
最近は戦争準備や学校の授業ばかり考えていたので、改めて言われると少し不思議な気分になる。
「準備、大変そうだね」
「父上が色々と進めているみたいです」
「私の方にも色々届いてるよ」
ティアが苦笑する。
「衣装とか日程とか、覚えることが多くて大変」
「そうでしょうね」
「レノは?」
「私も確認する書類がいくつかあるそうです」
「やっぱり王太子って大変なんだね」
「ティアも王太子妃になるんだから、他人事ではありませんよ」
「分かってる」
ティアは少し笑ってから、再び陣地を見た。
「……なんだか変な感じ」
「何がです?」
「今はこうやって泥だらけになって訓練してるのに、冬には結婚式なんだなって」
「それは確かに」
俺も陣地を見た。
土と木材で作られた簡素な防御施設。
今日一日、候補生たちが作ったものだ。
「まあ、学校では学校です」
「そうだね」
ティアは笑った。
「じゃあ、片付けようか」
「そうしましょう」
俺たちは残った道具を集め始めた。
冬の話をしたのは、それだけだった。訓練が終われば、明日の授業もある。結婚式の準備についても、これから少しずつ進んでいくことになる。
まずは今日の片付けを終わらせる。




