表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第4章 二つの生を越えて
PR
241/321

第39話 基本授業継続

 夏の終わりが近づき、朝晩に少しずつ涼しさを感じるようになった頃、王立士官学校では秋季課程が始まった。


 夏季休暇直後の課外学習では、シルウァニア王国との国境付近まで赴き、防御壁の偵察を行った。その後も本来の課外学習である行軍や山岳移動、河川渡河などを続けている途中、シルウァニア軍の斥候部隊と遭遇戦になった。第1学年と第2学年に死傷者が出るという結果になったが、学校側は予定していた教育課程を中断することなく、そのまま通常授業へ戻していた。


 そして秋から、士官候補生たちは本格的な戦術教育へ入る。


 この日の授業は、小隊戦術、分隊指揮、そして偵察だった。


 教室ではなく、校内の広大な訓練場に候補生たちが集められている。訓練場には土を盛って作った丘陵、木材で作られた簡易的な建物、森林を模した区画、街道を示す細い道などが設置されており、一つの小さな戦場が作られていた。


「今日から諸君らは、ただ命令された通りに動く訓練をやめる」


 壇上に立った教官が候補生たちを見渡した。


「これまで学んできたのは、兵士として必要な基礎だ。だが、士官候補生である以上、それだけでは足りない。諸君ら自身が状況を判断し、部下へ命令を出し、任務を達成しなければならない」


 俺は腕を組んだまま、訓練場の模型を眺めていた。


 夏の課外学習で実際に敵と遭遇した直後だからなのか、以前よりも教官の言葉が具体的に感じられる。


 実際の戦場では、教官が横に立って「次はこうしろ」と教えてくれるわけではない。


 敵が突然現れる。


 予定していた道が使えなくなる。


 部隊の一部が遅れる。


 情報が間違っている。


 そういう状況で、自分で決断しなければならない。


「本日の演習は一つの作戦として行う」


 教官が地図を広げた。


「偵察部隊が敵を発見し、その情報を小隊へ伝達する。小隊は敵情に応じて行動を決定し、その一部を分隊単位で運用する。つまり、本日の三つの授業を別々に行うわけではない」


 候補生たちがざわめく。


「偵察から始まり、分隊指揮を経て、小隊戦術へつなげる。」


 俺は少しだけ興味を持った。


 なるほど。


 単独の技術ではなく、一連の流れとして訓練するわけか。


「演習区域はここから北側の模擬森林地帯まで。敵役は第三学年の候補生が担当する」


 教官が地図上の一点を指した。


「諸君らの任務は、街道を通って後方へ向かう輸送隊を安全に通過させること。そのために敵の位置を確認し、必要ならば迂回路を確保する」


 敵を倒せ、とは言わない。


 任務は輸送隊の通過。


 俺はその部分を聞いて、少しだけ頷いた。


「ただし、一つ条件を追加する」


 教官が続けた。


「敵の正確な兵力は不明とする」


 周囲から小さなどよめきが起きる。


「敵の情報が少ない状態から始めろということだ。偵察して情報を集め、その情報を基に判断しろ」


 教官が一歩下がった。


「では、開始」


 俺たちは一斉に動き始めた。


 まず偵察班が前へ出る。


 俺の所属する班にもルリウスがいた。別のクラスで普段はあまり一緒に訓練することはないが、こうした実習では同じ班になることがある。


「殿下、あの丘の向こうを確認してきます」


「分かりました。ただし深入りはしないでください。敵を見つけたら位置だけ確認して戻りましょう」


「承知しました」


 ルリウスたちは森林へ入っていった。


 俺は後方で地図を確認する。


 今回の訓練では、敵の位置が分からない。


 ならば、まず情報を得る必要がある。


 しばらくすると、ルリウスが戻ってきた。


「殿下、敵を確認しました」


「規模は?」


「正確には分かりません。ただ、森林の奥に歩兵が十数人。それと、丘の反対側にも人影があります」


「二つに分かれている?」


「そのように見えます」


 俺は地図を見る。


 もし敵が二手に分かれているなら、街道をそのまま進むのは危険だ。


「どちらが主力かは?」


「不明です」


「分かりました。現時点では判断しません」


 ここで敵を一つの部隊だと決めつければ、偵察で得た情報そのものを誤って解釈することになる。


「偵察班をもう一組、東側へ」


「はい」


 別の候補生が走っていく。


 しばらくすると、今度は別の報告が入った。


「東側には敵はいません!」


「では、敵は森林と丘の間にいる可能性が高い」


 俺は地図上の街道を指した。


「輸送隊はここで一度停止させます」


「停止させるんですか?」


 候補生が尋ねる。


「今の情報だけでは敵の正確な位置が分かりません。無理に前進させる必要はありません」


 教官がこちらを見ていた。


 まだ何も言わない。


 演習だから当然だ。


 俺たち自身で判断させるつもりなのだろう。


 そのとき、遠くから伝令役の候補生が走ってきた。


「敵が動きました!」


 全員の視線が集まる。


「どこへ?」


「森林から街道方向です!」


 俺は地図を見る。


 敵が動いた。


 しかし、こちらの偵察によってその動きが把握できた。


「分隊を二つに分けます」


 俺は周囲の候補生へ向き直った。


「第一分隊は街道を維持。第二分隊は丘の北側へ回ってください」


「目的は?」


 分隊長役の候補生が尋ねる。


「敵を撃破することではありません。敵の進路を確認し、輸送隊が通過できる場所を確保します」


「了解!」


 それぞれの分隊が動き始める。


 俺はその動きを見ながら、地図を確認する。


 敵は街道へ向かっている。


 しかし、こちらは丘の地形を利用できる。


 正面から押し返す必要はない。


 敵が街道へ出てくる前に進路を限定すればいい。


「殿下」


 ルリウスが戻ってきた。


「敵の一部が丘の反対側へ移動しています」


「人数は?」


「五人程度です」


「それなら、第二分隊だけで対応できます」


 俺は地図を見た。


「第一分隊はそのまま。輸送隊を動かします」


「はい」


 ここで一つ間違えれば、二つに分かれた敵に挟まれる。


 しかし、今のところ相手はこちらの配置を知らない。


 情報の差を利用できる。


 輸送隊がゆっくりと街道を進み始めた。


 そして――。


「敵役、前進!」


 模擬敵を担当している第三学年が動いた。


 森林から兵士役の候補生が姿を現す。


 こちらの第一分隊が街道を塞ぐ。


 第二分隊は丘の反対側へ回っている。


「接触!」


 誰かが叫ぶ。


 だが、教官からすぐに声が飛んだ。


「状況停止!」


 模擬戦が止まった。


 候補生たちが武器を下ろす。


 俺は少し考えながら教官を見る。


「殿下、なぜ敵を正面から攻撃しなかった?」


 教官から質問が飛んできた。


「任務が輸送隊の通過だからです」


「それだけか?」


「敵を正面から攻撃すれば、敵部隊の規模によってはこちらの損害が増えます。それなら街道を押さえたまま時間を稼ぎ、輸送隊を通す方が目的に適しています」


 教官は頷いた。


「では、もし敵が予想以上に多かったら?」


「撤退します」


 周囲から少し意外そうな空気が流れた。


「すぐに?」


「はい。輸送隊が通過できた時点で任務の大半は達成されています。そこで敵を追う必要はありません」


「……よし」


 教官が言った。


「それが今日の小隊戦術で覚えてほしいことだ」


 教官は候補生たち全員を見渡した。


「戦術とは敵を倒す技術ではない。与えられた任務を達成するために、兵力をどう使うかを考えることだ。」


 俺は黙って聞いていた。


 夏の遭遇戦とは違う。


 あの時は突然敵が現れ、戦うしかなかった。


 だが今日の演習では、最初に偵察を行い、情報を集め、その情報をもとに判断する時間があった。


 同じ軍事行動でも、それだけで結果は大きく変わる。


「次は分隊指揮」


 教官が言った。


「今度は諸君ら自身が、部下へ命令を出せ」


 候補生たちが交代で分隊長役を務める。


 俺の番が終わったあと、次にルリウスが指揮を担当した。


「第一分隊、丘の東側へ移動。敵を確認したら戦闘せず報告してください」


 簡潔な命令だった。


「命令が短すぎる」


 別の候補生が言う。


 ルリウスは少し考えた。


「……では、敵を発見した場合はその場で停止し、敵の人数と方向を報告してください」


「よし」


 教官が頷く。


「今のように、必要な情報を追加する。長すぎれば伝達に時間がかかる。短すぎれば誤解が生じる。指揮官には、その中間を判断する能力が必要だ」


 俺はその様子を見ていた。


 ルリウスも少しずつ指揮官としての経験を積んでいる。


 普段は別クラスなのでこうした姿を見る機会は少ないが、なかなか悪くない。


 最後に、再び偵察訓練が行われた。


 今度は俺自身が偵察班へ入る。


 森林へ入ると、さっきまでの模擬戦とは違って静かだった。


 足音を抑えながら進む。


 前方に敵役がいる。


 俺は手を上げ、全員を止めた。


 敵は八人。


 位置は森林の奥。


 こちらには気づいていない。


 俺はその場で記録した。


「戻ります」


 ルリウスが頷いた。


 俺たちは来た道を戻る。


 敵を発見した。


 それで任務は達成だ。


 わざわざ近づく必要はない。


 訓練場へ戻ると、教官が記録を受け取った。


「敵兵力、八人。位置、森林中央。こちらには未接触。正確です」


 教官が記録を閉じた。


「本日の三つの課程は、すべてここでつながっている」


 候補生たちが聞いている。


「偵察で情報を得る。分隊がその情報をもとに動く。そして小隊指揮官が全体を見て、任務を達成する」


 教官は訓練場を見渡した。


「どれか一つだけ優秀でも意味がない。偵察が間違えば指揮官は誤った判断をする。分隊が命令を理解できなければ作戦は崩れる。小隊指揮官が判断を間違えれば、正しい情報があっても失敗する」


 そこで授業は終了となった。


 俺は訓練場を離れながら、今日の演習を思い返した。


 小隊戦術。


 分隊指揮。


 偵察。


 どれも単独で学ぶものだと思っていたが、実際には一つの流れになっている。


 夏の課外学習で経験した遭遇戦も、もし事前に十分な偵察ができていれば、結果は違っていたのかもしれない。


 もちろん、今さらそれを考えても仕方がない。


 ただ、今回の授業で何を学ぶべきなのかは、よく分かった。


「殿下」


 訓練場を出たところでルリウスが声をかけてきた。


「何でしょう?」


「今日の授業、なかなか面白かったですね」


「そうですね」


「夏の課外学習を経験した後だからでしょうか。以前よりも分かりやすく感じました」


「私も同じです」


 俺はそう答えた。


「実際に経験すると、机上で学ぶ内容の意味も変わりますから」


 ルリウスは頷いた。


 俺たちはそのまま校舎へ戻った。


 次の授業がある。


 今日はまだ一日が終わったわけではない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ